〇石井公成『東アジア仏教史』(岩波新書) 岩波書店 2019.2
インドで誕生した仏教は、シルクロードを経て東アジアに伝えられ、相互交流を繰り返しながら各地で花ひらいた。その二千年にわたる歩みをダイナミックにとらえた通史である。「東アジア」とは、日本、中国、朝鮮、ベトナム。そして、西域~北アジアに興亡した多様な遊牧民族国家にも触れる。
そもそも仏教は、当時のインドの宗教と共通する要素とともに、インド的でない面を最初から持っていた。だからこそ、その新しさと普遍性によって、アジア諸国に広がっていく一方、インドでは消えていったという。普遍宗教とはそういうものかもしれない。釈迦の入滅後、インドの仏教は様々な潮流を生み出したが、5世紀頃からヒンドゥー教に押されて衰退に向かう。
一方、インドの西北地域に広がっていった仏教は、ソグディアナ(ソグド人の土地)の手前で東に転じ、西域北道・南道あるいは天山北路を通って中国に伝わった。中央アジアの(土着の信仰や文化と結びついた)仏教が、中国に与えた影響は大きく、たとえば死者を極楽に導く引路菩薩には、死者の道案内をするマニ教の女神の影響が指摘されるという。こういう文化の混淆性、大好き。また、近年はインド、スリランカ、東南アジア、ベトナム、中国南部を結ぶ「海のシルクロード」も仏教伝播の道として注目を集めているそうだ。
中国への仏教伝来は紀元前後。貴族層の関心を集め、儒教と一致する面があると考えられたり、老子に結びつけられたり、呪術的な力を期待されたり、廃仏と復興が繰り返されるのだが、仏教経典には若い男女の恋愛話や性的な描写がしばしば見られ、これが中国で恋愛文学が発展する一因となったというのは、思ってもみなかった指摘でびっくりした。
廃仏のたび、反省から新たな思想・運動が起こり、インドや西域の外国僧を開祖としない集団が複数生まれたことも興味深い。禅宗は達磨を始祖とするが、実質的には慧可の果たした役割が大きいという。末法思想に基づく「三階教」、天台思想、中国浄土教などが生まれ、周辺諸国へ展開していく。
日本では厩戸皇子(聖徳太子)が大きな役割を果たす。著者によれば、仏教史が釈尊のイメージの変遷史であるように、日本の仏教史は聖徳太子のイメージの変遷と見ることができるとのこと。さて唐代は中国仏教の全盛期で、東インド出身の善無畏、ソグド系の不空などが活躍し、日本、新羅などから多くの僧侶が入唐した。このグローバルできらびやかな「盛世」の記述は、読んでいてうっとりするが、唐末の乱世を背景に広がった禅宗も好きだ。禅宗こそ「東アジアの仏教」だと近年思うようになった。
北宋・南宋ではさらに禅宗が盛んになり、日本では多様な鎌倉仏教が隆盛する。この時期、高麗やベトナムでも新しい仏教の動きが起きていて興味深い。近世以降については省略するが、仏教の伝播は、西から東へという一方通行ばかりでなく、時には逆に向かう影響関係もあることが面白かった。また、仏教は「宗教」の範疇にとどまらず、東アジアの文化・思想を広い範囲で支えているをことを感じた。それと、敢えて書かないが、高僧説話には実に興味深いものが多かった。