〇日本民藝館 特別展・復帰50年記念『沖縄の美』(2022年6月23日~8月21日)
琉球王国として独自の文化を形成してきた沖縄。日本へ復帰して50年の節目にあたり、改めて沖縄が「美の宝庫」であることを紹介する。さあ沖縄だ!と勢い込んで訪ねたが、玄関ホールの展示は、あまり「沖縄」っぽくなかった。階段左の展示ケースに並んだ素朴な朱塗の器は、根来か何かに思われた。右の展示ケースには、小型の厨子甕(ジーシガーミ)や流釉の抱瓶(だちびん)など、沖縄らしい品もあったが、鉄の塊から削り出したような無骨な鉄瓶や、昭和の子供のお茶碗のような赤絵梅花文のうつわなど、地域性の薄い品も交じっていた。まわりの壁を彩る四角い布は「紅型風呂敷」だが、紺地に松竹梅など、日本伝統の吉祥文が多い。
ただ、階段の踊り場に鎮座する屋根獅子(シイサアと振り仮名)だけは、明らかに「沖縄」を主張していた。顔とたてがみの区別がつかない状況で、目尻を吊り上げ、大きく口を開けて威嚇する様子は、威厳と愛嬌が同居していて、水木しげるの描く妖怪を思わせた。
まずは2階の大展示室へ。紅型(びんがた)・絣・縞などの着物・織物が多数展示されていた。やっぱり水色地に赤や黄色で複雑な文様を配した紅型衣装を見ると、ああ沖縄だな!と思う。しかし、沖縄の人たちが、いつもこのような(沖縄の土産物屋で見るような)紅型衣装を着ていたわけでないことは理解している。白地に青の涼し気な絣や、東北産みたいな紺絣もあった。芭蕉布の着物も展示されていたが、触れないので、感触は想像するだけ。
着物・織物の間に、やきものなどの工芸品も展示されていたが、昭和初期の「琉球張子人形」が珍しくて目を引いた。調べたら、現代的にアレンジされた人形も売られているみたい。次回、沖縄に行ったら自分用にGETしたい(※おでかけコロカル・那覇編:〈玩具ロードワークス〉の琉球張子はユーモラスで愛嬌たっぷり)。
2階の階段まわりは、厨子甕(蓮の花が描かれた可憐なもの)など特別展関連でまとめられていた。階段裏のスペースでは、モノクロの短編映画『琉球の風物』(1938年、日本民藝協会企画)が流れていて興味深かった。首里城正殿、守礼之門、玉陵(たまうどぅん)などの史跡のほか、組踊、水汲み、魚市場の女性たち、琉球空手など、さまざまな風景が記録されている。このほか、「沖縄離島の織物」を展示する1室がある。
特別展以外では「日本の諸工芸」が面白かった。『調馬図』(室町時代)は、3件の断簡をそれぞれ軸装したもの。うち1件は、逃げようとする男の袖(腕?)に白馬が嚙みついており、もうひとりの男が必死で手綱を引いているという、マンガのような場面。「朝鮮工芸にみる文字表現」に出ていた『唐四柱(タンサンジュ)』は、以前にも見たことがあるが、占い本なのだな。ネットの情報では、四柱推命とは似ても似つかぬ占いらしい。『天下絵図』は、街道沿いに丸で囲んだ都市名が書かれた地図で、日本の国絵図に似たところもある。ほかに「柳宗悦と同人」。
1階「伊万里焼の染付」では、各種の蕎麦猪口を展示。ふだん使いには本当に便利なうつわだと思う。「アメリカ先住民の工芸」にはびっくりした。柳は、1952年にサンタフェを訪れ、北アメリカ先住民による工芸の美に瞠目したという。しかし、ホピ族の儀式用マスクとか、コロンビア・キンバヤ文化の大きな土偶とか、魔術的な念が籠っていそうで、ちょっとたじろいでしまう。最後は染織品を中心とする「昭和時代の沖縄工芸」。
特別展は、自分の中の「沖縄の美」のイメージと、ぴったりはまったり、はまらなかったり、その揺れ具合が面白かった。玄関ホールの隅に撮影OKの石獅子(17-18世紀)がいるのだが、あまり気づかれていなかったので、写真に収めてきた。かわいいぞ。