見もの・読みもの日記

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SFマンガの古典/萩尾望都SF原画展(アーツ千代田3331)

2022-07-16 22:27:37 | 行ったもの(美術館・見仏)

アーツ千代田3331 『萩尾望都SF原画展:宇宙にあそび、異世界にはばたく』(2022年7月9日~7月24日)

 こんな展覧会があることを、開催直前に初めて知った。2016年に武蔵野市立吉祥寺美術館で開催され、各地を巡回してきた展覧会が、6年ぶりに東京に凱旋するのだという。6年前かあ…私は茨城に住んでいた頃だ。今日7月16日は、萩尾望都×星野之宣のスペシャル対談イベントも開催されているはずだが、私が気づいたときは、もう申込み期間が終わっていた。残念。

 会場の「アーツ千代田3331」を訪ねるのは、木下直之先生の『疫病・たいさ〜ん!』以来2度目だが、ずっと広いスペースを贅沢に使って、カラーイラストレーション、コミック生原稿など、約400点のSF原画が展示されている。最も初期のSF作品である「あそび玉」(1972年)の原画があってびっくりしたが、実は原画は失われていて、『SFマンガ競作大全集』に収録する際(1980年、Pt.5らしい。私はこれで「あそび玉」を読んだ)ゲラ刷から起こして修正を加えたものだという。

 私は70~80年代の少女マンガを読んで育った世代だが、愛読誌は、週刊マーガレット、別冊マーガレット、LaLaなど、集英社および白泉社系だったので、小学館系で活躍していた萩尾さんの作品は、雑誌では読まなかった。クラスメイトには萩尾さんファンがたくさんいたので(女子校だった)「ポーの一族」も「トーマの心臓」も単行本が友人の間をぐるぐる回っていて、否応なしに読まされたように思う。「11人いる!」もそんな出会いだったかもしれない。

 結果的には、萩尾さんの作品を好きになり、小学館から刊行された『萩尾望都作品集』(第1期、1977-78年;第2期、1984-86年)は全巻揃えて、何度も読み直した。なので、この時期までの作品が、私はいちばん愛着が深い。「11人いる!」はいわずもがな。「ウは宇宙船のウ」とか「A-A'」とか。展示の中に「11人いる!」の構想メモがあり、縦書き便箋を横に寝かせて、茶色っぽいインクで書かれていた。登場人物の心理の揺れ(不安と安定)を計算し「ボルテージをクライマックスへ向かって上げていく」など、読みやすい字で、冷静に書かれている。また、これとは別に、小さめの紙(A5判くらい)にコマ割りをしてセリフを書き込んだ、未発表原稿の束もあって、詳細は分からないものの、興味深かった。

 光瀬龍のSF小説を原作とする「百億の昼と千億の夜」は、1977-78年に『少年チャンピオン』に連載されたもの。当時、弟が『チャンピオン』を購読していたので、私は毎号読ませてもらっていた。しかし、いま原画を見ても、ついセリフを読みふけってしまうものの、難解な作品だと思う。この作品に限らず、萩尾さんのSF作品は、絵が巧いし美しいし、エンターテイメントな仕掛けも存分にあるのだけど、やっぱり核に難しさ(容易に消化できないもの)があるように思う。

 実は、今日、見つけたのだが、日経新聞が「異端者に寄り添い50年『少女漫画の神様』萩尾望都」(2019/10/5)というインタビュー記事を公開している。萩尾さんの作品の難しさは、私たちが異端者を前にしたときの戸惑いに近いのかもしれない。それでも70年代から80年代の少女だった私たちは萩尾さんの作品に魅了されたが、いまの若者はどう感じるだろう。もはや「古典」すぎると感じるかもなあ、と少し思った。

 90年代以降の萩尾さんが、マンガを描き続けつつ、イラストレーションでも精力的に仕事をされてきたことは初めて知った。角川スニーカー文庫の『∀ガンダム』ノベライズシリーズの表紙や、ハヤカワ文庫のジャック・ヴァンス「魔王子シリーズ」など。会場には、文庫本と原画がともに展示されているが、いや申し訳ないが、文庫サイズだと原画の素晴らしさの100分の1も伝わらない気がする。

 会場の最後には、写真撮影可能なパネルが数枚設置されている。この萩尾さんの描く人体のポージングの美しさはほんと好き。手先をわりと大きく描きがちで、顔つき以上に豊かな感情を表現しているように思う。

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