〇川端美季『風呂と愛国:「清潔な国民」はいかに生まれたか』(NHK出版新書) NHK出版 2024.10
「まえがき」に言う。現代に暮らす日本人の多くは、毎日風呂に入るのが当たり前だと思っている。しかしいつから私たちは毎日風呂に入るのが「当たり前」だと思うようになったのだろうか――。同じような問いかけは、何度かSNSで見たことがあって、昭和の生活を知る世代から、むかしは毎日は風呂に入らなかった、という体験報告が語られたりした。私は1960年代、東京生まれで、家に風呂はあったが、毎日は入らなかった気がする。いつの頃からか、我が家は毎日風呂を沸かすようになったが、必ず毎日入っていたのは、入浴好きの父親だけだったように思う。いまの私は、毎朝シャワーは浴びるが、めったに湯船には浸からないので、本書の「日本人」像から外れるなあ、と思いながら読んだ。
はじめに前近代の日本の湯屋について紹介する。光明皇后の逸話に始まり、仏教寺院に湯屋や設けられた浴室の説明があるが、それとは別に、営利目的の恒常的な浴場は、遅くとも鎌倉時代には存在していたという。江戸時代初期には、蒸し風呂と湯に浸かる温浴が混合したものが現れた。そのひとつが「戸棚風呂」で、やがて「柘榴口」という様式が主流になった(挿絵つきで分かりやすい)。また「湯屋」と「風呂屋」は、湯に浸かるところか蒸気浴かという機能の違いとともに、「風呂屋」は性行為を目的とする店であったという説もある。
明治期になると、男女混浴の禁止(江戸時代にも禁止令は出された)、「湯屋の二階」(男性客の社交場だった)の禁止などによって、湯屋は現代の公衆浴場に近づいていく。また西洋医学や衛生行政の立場から、身体に適した入浴方法が論じられるようになった。さらに明治30年代には「入浴好きな日本人」という言説が登場する。背景には、欧米の日本に対する偏見(黄禍論)があり、それに対抗するために「我が那には古来淋浴の美風がある」「欧米では上流階級も頻繁に入浴しない」ということが唱えられたのではないかという。おもしろいけど、対抗できるのがそこかと思うと物悲しい。なお、この時期は、日本の浴場の水質が汚いことが指摘され始めた時期でもある。
大正期には、工業化によって東京や大阪の労働者人口が急増する中、欧米の公衆浴場運動を知った社会事業家たちが、下級労働者やその家族に入浴回数が非常に少ない者がいることを問題として取り上げ、生活保障としての浴場の設置が行政レベルで展開されていく。公設浴場は「労働者」や「貧民」の慰安と労働力回復のために必要な施設とされた。本書には、大阪について、「中流以下の市民」を対象にした市営住宅が造営されたこと、その市営住宅地域内に公設浴場が設けられたことが紹介されている。なんだか大正期のほうが、いまの地方自治体より、行政のなすべきことをよく分かっている気がする。そして、「入浴好きの日本人」の原点は、近世以前の湯屋の伝統などではなく、むしろ大正期の公衆浴場普及の成功にあるのではないかと思った。
このほか、女性は家庭において入浴習慣を実践・継承する役割を期待されたこと、明治期の「国民道徳」の論者が、あたかも清潔な身体の重視と歩調を合わせるように、日本人の精神の「潔白」を重視したこと、さらに国定修身教科書では清潔・健康が「世のため国のため」の徳目となっていることを紹介する。ただし、この末尾の3章は、結論ありきの感があって、好みが分かれると思う。私は大正期の社会事業や細民救済施策の実態をもっと知りたくなった。ほかの本を探して読んでみよう。