見もの・読みもの日記

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曹操注で読む/孫子(渡邉義浩)

2022-12-27 23:38:48 | 読んだもの(書籍)

〇渡邉義浩『孫子-「兵法の真髄」を読む』(中公新書) 中央公論新社 2022.11.25

 中国古典が好きで10代の頃から読んできたが、『孫子』はきちんと読んだ記憶がない。どうせ軍事マニアが喜ぶようなことが書いてあるのだろう、と軽く見てきたためだ。

 はじめに『孫子』の成立事情に関する解説がある。そもそも孫子とは何者か。『史記』は、春秋時代の孫武(前6世紀頃)と戦国時代の孫臏(前4世紀頃)の二人の伝記を収めている。歴代の『孫子』研究では、現行の『孫子』は孫臏の著作とされてきたが、1972年「銀雀山漢簡」の発見と分析により、現行『孫子』の中核的な執筆者は孫武と考えられるようになった。

 孫武には黄老思想との共通性が見られる。孫武の次の時代に活躍した呉起の著作『呉子』は、儒家を根拠として軍事思想を展開した。さらに次の時代の孫臏は、打ち続く戦乱を背景に、儒家に対抗し、戦争こそが天下を支配するために最も重要な手段であると主張した。漢帝国が成立し、儒教が国教化すると反儒教的な『孫臏兵法』は読まれなくなっていく。しかし後漢末の戦乱の中で『孫子』は再び脚光を浴びる。以上の整理は分かりやすく、納得できた。銀雀山漢簡は湯浅邦弘さんの『諸子百家』にも出てきたが、実に世紀の大発見だったのだな。

 後漢末に『孫子』の諸本を比較して底本を定め、個性的な注を付けたのは魏の武帝・曹操である。現行『孫子』とは、魏武注『孫子』13編をいう。そこで本書では、『孫子』テキストの主要部分を曹操の解釈である魏武注とともに読んでいく。

 魏武注は、ふつうに訓詁学的な解説もあるが、自らの戦いの経験に基づいて、抽象的な本文を具体的に展開してみせたり、時には本文の趣旨に反する見解を述べたりしていて、とても面白い。孫子を読むというより、曹操の前に座って、講釈を聞いているような気分になる。思い浮かぶイメージは、個人的な趣味で、中国ドラマ『軍師聯盟(軍師連盟)』の曹操だった。

 『孫子』の本文も、あらためて興味深く読んだ。印象的だったのは、戦争が社会や経済に大きな負荷をかけることを強く意識している点である。遠征には輜重・兵站が要る。徴兵された者は、従軍の間、耕作にかかわれない。さらに戦功への報償も必要である。百戦百勝しても戦争は国力を弱める。だから、なるべく戦端を開かずに敵を屈服させることが望ましく、戦う場合は速やかに決着をつける。

 戦わずに敵を屈服させるために重要なのは情報戦、間諜(スパイ)である。特に重要なのは「反間」(敵の間諜を寝返らせて用いること)だというあたり、ドラマ『風起隴西』を思い出した。敵の間諜を自軍に引き入れるためにも、自軍の間諜を敵の反間にしないためにも、将は間諜を厚遇しなければならない、という主張は納得できる。人間の心理を、非常にドライに観察していると思う。

 戦いに速やかに勝利するには、あらかじめ敵と味方の実情を的確に把握しておくこと、地形に合わせて軍を動かすこと、敵の「虚」(準備が整っていないところ)を衝くこと、「勢」を利用すること、などの条件がある。ここで感じ入ったのは、自軍の能力を最大限に引き出すには、兵士を死地に追い込むことだという、極めつけにドライな指摘である。追いつめられた兵は、教えられなくても警戒し、命じられなくても必死で戦う。それはそうだろう。

 一方、将軍論においては、必死の覚悟をした将は(柔軟に対処することができないので)殺すことができると軽んじられている。必ず生きようとする将は捕虜にすることができる。清廉潔白な将は辱めておびき出すことができ、民草を愛する将は民を痛めつけて煩わすことができる、と続く。これらは全て将たる者の弱点として語られているのだ。

 将と君主の関係も興味深かった。「君命に受けざるところあり」は有名な言葉だが、君主は軍事に関して将に全権を委任し、口を出してはいけない。国政と軍政は原理・原則が異なるという主張である。しかしこれは、実際の中国の歴史では、どのくらい実現されてきたのだろう。

 なお、「あとがき」には、ロシアによるウクライナ侵攻が始まり、ロシア政府の戦術に『孫子』にそぐわない部分が多いことに気づいたという著者の所感が述べられている。もちろん、はるか古代の兵法書がそのまま現代に役立つわけではない。しかし私も、近日、ニュースになっている日本政府の「反撃能力」問題が、『孫子』に照らし合わせて正しいかを、何度も考えてしまった。


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