見もの・読みもの日記

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命じられた不条理/総員玉砕せよ!(水木しげる)

2015-10-03 11:13:47 | 読んだもの(書籍)
○水木しげる『総員玉砕せよ!』(講談社文庫) 講談社 1995.6

 先日、境港の「水木しげる記念館」に行ったとき、館内のショップで購入した。私は子供の頃から水木しげる氏の妖怪マンガが大好きで、作者が戦争で片腕を失くされた方だというのは存じ上げていたが、戦争マンガはあまり読んでこなかった。ところが、この夏、京都国際マンガミュージアムで『マンガと戦争展 6つの視点と3人の原画から』で、この『総員玉砕せよ!』を見て、何よりもその「絵ヅラ」の迫力に圧倒されて、立ちすくんでしまい、これは読みたいと思っていたのだ。

 舞台は昭和18年末のニューブリテン島。物語は静かな兵隊の日常生活から始まる。休日にピー屋(慰安所)に出かけるも、大行列で相手をしてもらえず、慰安婦と「女郎の歌」を合唱して終わる兵隊たち。ヤシの木の伐採、魚とり、正月料理のブタさがし、料理に風呂、洗濯、余興の歌に踊り。絵の心得のある丸山は仕官のために花札を描かされる。物資の不足を別にすれば、一見のどかな日常だが、ワニに襲われて命を落とす仲間もいた。

 やがて米兵の上陸によって状況は一変し、毎日が厳しい生死の境となる。次々に兵隊たちが死んでいくが、悲しんだり思い出にふけるゆとりは無論なく、ページをめくれば、前のページの出来事は忘れざるを得ない。一片の文学的感傷もなく、後ろに置き捨てられていく死者たち。戦場とはこういうものなんだな、と感じる。水木しげる氏がモデルなのかと思っていた丸山二等兵でさえ、途中であっけなく戦死してしまう。

 この作品は、水木氏が所属した大隊(作品中では支隊)の命運をほぼ忠実にたどったものだが、水木氏は空爆で左腕を吹き飛ばされて後方に移送されたため、物語後半の「玉砕」には参加していない。前半は体験に基づくが、後半は資料等に基づく再構成なのである。しかし、後半の迫真性はすさまじい。水木氏の念が、本当にその光景を見て、彼らの声を聞いてきたようなどす黒い実感がある。

 下級兵士と上官は意識的に書き分けられているように思った。意思を完全に奪われている下級兵士に比べて、上官は階級に応じて、わずかなりとも自分の意思や判断で動く自由があり、また責任がある。ビンタが仕事のような鬼軍曹に意外な部下思いの一面があったり、部下と苦楽をともにする小隊長がいたり、若い小隊長の判断の誤りを穏やかにとがめる人生経験豊富な分隊長もいたりして、ひとりひとりが印象に残る。

 しかし作者が許していないのは、玉砕を決定した若い大隊長(作品中では支隊長)だ。大楠公(楠木正成)に心酔し、無理な少数で敵の大軍に攻撃をかけさせ、どうにもならない劣勢と見るや、自分の死にがいを求めて「玉砕あるのみ」の命令を下す。敵に与えるダメージがどのくらいになるか、他に選択肢はないのかという戦略的な判断も、同じ人間としての部下への同情もない。戦争とはこういうもので、誰かの、必ずしも合理的でない判断に、自分の生命を預けることなのだということを、暗澹と描き出している。こうした悪魔に比べれば、水木マンガに躍動する妖怪たちの、なんと懐かしいことか。

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