○米谷匡史『アジア/日本』(思考のフロンティア) 岩波書店 2006.11
(東)アジアの近代化は、西洋の衝撃によってもたらされた。しかし、アジア諸国にとって、切実な近代化体験とは、西洋/東洋の相克ではなくて、むしろアジア内部に引き起こされた摩擦と抗争であった。
近代日本のアジア論には、「脱亜論」と「興亜論」という2つの潮流があったとされる。前者は、停滞するアジアを蔑視し、発展する日本の優越を誇っていこうとする立場であり、後者は、日本が他のアジア諸国を近代化に導き、連帯して、欧米の圧迫に対抗しようというものである。具体的な問題について見るなら、西郷隆盛の「征韓論」と勝海舟の「清・韓国・日本の三国提携論」の対立と言ってもいい(松浦玲さんの著書にもあったが、海舟のアジア外交論って、もう少し論じられてもいいのに)。
現在は、福沢諭吉を代表とする「脱亜論」に、オリエンタリズムや植民地主義の暴力を指摘して、批判する意見が強い。しかし、「脱亜」と「興亜」には、絶対的な差異があったわけではない。西郷隆盛は、明治政府が起こした江華島事件を厳しく批判しているし、勝海舟は軍艦に乗って韓国に開国を迫りに行くつもりだったという。したがって、近代日本における「脱亜」と「興亜」、「侵略」と「連帯」の欲望は、根底で分かち難く絡まりあっているということを、まず我々は、認識しなければならない。
この「侵略/連帯」の複雑な絡まりは、太平洋戦争中に提唱された様々な広域圏論にも持ち越される。その多くは、アジアを侵略し、支配する帝国主義日本が、アジア民族の解放・共生を唱えるという矛盾したものだったが、石原莞爾の「東亜連盟」論は、東アジアの地域連合、開発・発展を推し進めるために、日本が帝国主義政策を放棄することを主張しているという。へえー。また、尾崎秀美の「東亜共同体」論のように、中国の抗日運動に向き合うことで生まれ、帝国主義日本の内部批判を試みたものもあった。
戦後の日本は、アメリカの対米協力を通じて、東アジア分断の当事者となった。「脱亜」路線の現代版と言えるかもしれない。実は、福沢諭吉のテキスト「脱亜論」が再発見され、批判を加えられるようになったのは、まさにこの時期(1960年代)からだそうだ。へえー。聞き逃せない指摘。一方で、日本の資本は、東アジア・東南アジアに積極的に進出していった。そこには、アジアの発展に介入し、主導しようとする「興亜」の論理が再生しているとも言える。
以上は「日本」を主体に、脱亜/興亜(侵略/連帯)のスジで要約してみたが、植民地の側にも、様々な問題がある。日本帝国主義に協力しながら母国の近代化を志した者もいるし、独自の近代化を唱えて、伝統社会に対する「近代」の暴力を内在化しているケースもある。これらは、単純に善悪を評価できるものではない。
本書は、長い道のりを辛抱強く歩き続けるような論考である。単純明快な二分論、短いセンテンスで早めに結論を言い切るのがカッコいいと思っている読者は、たぶん最後までついてこられないだろう。実は、私も途中で「結論はどうなるんだろう?」と最後を盗み見ようとしたことが何度かあった。結局、もつれた糸は、最後までもつれたままである。矛盾に向き合う繊細な眼差し、ねばり強く自立した思考。その程度のサジェスチョンしか得られないのは、ちょっと不満である。しかし、「思考のフロンティア」には、これでふさわしいのかも知れない。
(東)アジアの近代化は、西洋の衝撃によってもたらされた。しかし、アジア諸国にとって、切実な近代化体験とは、西洋/東洋の相克ではなくて、むしろアジア内部に引き起こされた摩擦と抗争であった。
近代日本のアジア論には、「脱亜論」と「興亜論」という2つの潮流があったとされる。前者は、停滞するアジアを蔑視し、発展する日本の優越を誇っていこうとする立場であり、後者は、日本が他のアジア諸国を近代化に導き、連帯して、欧米の圧迫に対抗しようというものである。具体的な問題について見るなら、西郷隆盛の「征韓論」と勝海舟の「清・韓国・日本の三国提携論」の対立と言ってもいい(松浦玲さんの著書にもあったが、海舟のアジア外交論って、もう少し論じられてもいいのに)。
現在は、福沢諭吉を代表とする「脱亜論」に、オリエンタリズムや植民地主義の暴力を指摘して、批判する意見が強い。しかし、「脱亜」と「興亜」には、絶対的な差異があったわけではない。西郷隆盛は、明治政府が起こした江華島事件を厳しく批判しているし、勝海舟は軍艦に乗って韓国に開国を迫りに行くつもりだったという。したがって、近代日本における「脱亜」と「興亜」、「侵略」と「連帯」の欲望は、根底で分かち難く絡まりあっているということを、まず我々は、認識しなければならない。
この「侵略/連帯」の複雑な絡まりは、太平洋戦争中に提唱された様々な広域圏論にも持ち越される。その多くは、アジアを侵略し、支配する帝国主義日本が、アジア民族の解放・共生を唱えるという矛盾したものだったが、石原莞爾の「東亜連盟」論は、東アジアの地域連合、開発・発展を推し進めるために、日本が帝国主義政策を放棄することを主張しているという。へえー。また、尾崎秀美の「東亜共同体」論のように、中国の抗日運動に向き合うことで生まれ、帝国主義日本の内部批判を試みたものもあった。
戦後の日本は、アメリカの対米協力を通じて、東アジア分断の当事者となった。「脱亜」路線の現代版と言えるかもしれない。実は、福沢諭吉のテキスト「脱亜論」が再発見され、批判を加えられるようになったのは、まさにこの時期(1960年代)からだそうだ。へえー。聞き逃せない指摘。一方で、日本の資本は、東アジア・東南アジアに積極的に進出していった。そこには、アジアの発展に介入し、主導しようとする「興亜」の論理が再生しているとも言える。
以上は「日本」を主体に、脱亜/興亜(侵略/連帯)のスジで要約してみたが、植民地の側にも、様々な問題がある。日本帝国主義に協力しながら母国の近代化を志した者もいるし、独自の近代化を唱えて、伝統社会に対する「近代」の暴力を内在化しているケースもある。これらは、単純に善悪を評価できるものではない。
本書は、長い道のりを辛抱強く歩き続けるような論考である。単純明快な二分論、短いセンテンスで早めに結論を言い切るのがカッコいいと思っている読者は、たぶん最後までついてこられないだろう。実は、私も途中で「結論はどうなるんだろう?」と最後を盗み見ようとしたことが何度かあった。結局、もつれた糸は、最後までもつれたままである。矛盾に向き合う繊細な眼差し、ねばり強く自立した思考。その程度のサジェスチョンしか得られないのは、ちょっと不満である。しかし、「思考のフロンティア」には、これでふさわしいのかも知れない。