見もの・読みもの日記

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北京・天津・河北省の旅2009【第8日】石家荘→保定→北京

2009-09-22 00:23:46 | ■中国・台湾旅行
 石家荘市近郊の毘盧寺→定州市の開元寺塔→曲陽県の北岳廟→保定市の満城漢墓に立ち寄り、北上して北京に向かう。

 毘盧寺。唐代創建といわれる古刹だが、現在は釈迦殿、毘盧殿の2つの建造物を残すのみ。前殿(釈迦殿)は、近代になって、寺の隣りに運河をつくる際、工事人夫の炊事場として使われたため、壁画が損傷してしまったとのこと。後殿(毘盧殿)は、幸い、損傷をまぬがれた。



 文物管理員のおじさんに従って、薄暗い堂内に入る。山川出版社『中国の歴史散歩』によれば、「天堂地獄から賢婦烈女に至るまで、さまざまな題材の絵が描かれ、仏・儒・道の三教にわたる壁画といわれている」そうだ。確かに「菩薩」や「明王」がいるかと思えば、「忠臣」や「孝子」の一団がいる。「玉皇大帝」や日、月、星、二十八宿の神々も肩を並べている。密集する集団の背景には、湧き上がる雲。餓鬼を引き連れた、恐ろしい「面然鬼王」の姿もある。おお、これは「水陸画」ではないか?!

 「水陸画」というのは、中国南方で始まった水陸会と呼ばれる法会で使われた画像のこと。水陸会は「先祖の亡魂をはじめ水中と陸上のあらゆる鬼神を道場に招き入れ」供養するもので、「仏・菩薩・羅漢などを筆頭として、仏典に説かれる護法神や星宿神、十王などの神々を描いた画像が道場に多数掛け並べ」られたという。私は、この夏、奈良博の『聖地寧波』展で仕入れたばかりの新知識である(引用は同展の図録から)。

 毘盧寺で購入した冊子(中国語)には、そのことがきちんと書かれていた。同寺の壁画は水陸画を”粉本”としたと考えられる。なぜなら、水陸会には120幅の画像を用いることが一般的だが、同寺の壁画は122場面から成り、水陸画の画数にほぼ一致する。しかし、惜しいかな、珍貴な”粉本”は久しい以前に失われ、壁画だけが残ったのである、云々。中国では、”紙”というメディアはあまり信頼されていなくて、壁画や石刻のほうが残りがいい。日本の場合は、紙のほうが保存がよく、建築に付随する壁画はあまり残らなかった。これって、文化や環境(気象?)の違いなのだろうか。

 写真は取れなかったので、Amazon(中国)で探した参考図書を以下に掲載しておく(日本のAmazonからはリンクを張れない)。雰囲気は伝わるだろうか。

 

 夜、建国60周年の国慶節を控えて、警備の厳しい北京に到着。

(9/28記)

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