見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

キリスト者の末裔/愛国の作法(姜尚中)

2006-10-20 00:16:09 | 読んだもの(書籍)
○姜尚中『愛国の作法』(朝日選書) 朝日新聞社 2006.10

 「本書のようなタイトルで新書を書くことになろうとは、10年前には想像もしなかった」と、著者はあとがきで述べている。確かにその頃、もっと愛国心を、という意見は、チラホラ世に出始めてはいたが、しょせん時節外れの世迷い言と、私は一笑に付していた。

 国民の税金で食べさせてもらっている官僚や政治家が、国家を大事にしよう、と言いたがるのは分かる。国家というシステムがなくなったら、彼らは飯が食えなくなるからだ。ところが、いつの間にか、国家に食わせてもらっているわけでもない大量の人々(特に若者)が「日本人なら日本を愛するのは当然」的な物言いに、本気で賛同するようになってしまった。いったい、この状況は何なのか? 私は――むかしはちょっとナショナリストを気取ったこともあるだけに、そういう自分の薄っぺらさが分かるだけに――気持ち悪くて仕方ない。

 その正体は、総中流社会の崩壊とともに見捨てられた「負け組」の若者が、安易な接着剤とナルシスティックな全能感を求める姿なのではないか、と著者は説く。彼らの「愛国」は主情的・審美的で、屈託がない。

 しかし、それとは異なる「愛国」もある。E.フロムは、人が人を愛することについて、「より多くの知識がそなわっていれば、それだけ愛は大きくなる」と語ったが、国を愛する作法にも同様のことが言える。知識と理性に基づく「愛国」は、しばしば煩悶と葛藤を呼び覚まし、時には反逆(抵抗)による忠誠という、逆説を呼び込むことさえある。本書は、こうした思索と理性に基づく「愛国」の実践者として、南原繁、矢内原忠雄、清水幾太郎、竹越与三郎、石橋湛山など、さまざまな先行者の発言を紹介する。

 最後に著者は、韓国を祖国として選んだ自らの「愛国の作法」についても語っている。それは、「ナショナルな目標を達成するためには、ナショナルな枠組みを超えなければならない」という自覚に行きつく。「多国間主義的な政治だけが、一国の行為の可能性を広げて」いけるから(これはアレントの引用?)である。

 本書の読みどころのひとつは、現在では、紹介されることの少ない、南原繁、矢内原忠雄、石橋湛山らの文章が、多数、引用されていることだろう。いずれも、理性的・論理的であると同時に、「理想の国家」を追求する真摯な情が、炎のように燃えさかっていて、ズシリと重たい読み応えがある。彼らの文章と、悪いけど『国家の品格』や『美しい国へ』を並べてみると、審美的にもどっちが上かは明らかである。

 ところで、姜尚中氏は、Wikipediaの記事によれば、プロテスタントの洗礼を受けているそうだ(クリスチャンとしての顔は、あまり見せたことがないけれど)。本書に頻出する南原繁、矢内原忠雄のバックボーンもキリスト教である。私は、近代日本が、狂信的な国家主義に偏向しかかったとき、それを「健全なインターナショナリズム」に引き戻すという点で、キリスト教が果たした役割は、意外と大きかったのではないか、と考えている。であればこそ、「愛国」論議のかまびすしい2006年のいま、どうして一般のキリスト者は、もっと大きな声を挙げないのだろう?と、私は(キリスト者ではないが)日々やきもきしているのだが。。。
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我らが師父、アンリ・ルソー/世田谷美術館

2006-10-17 22:34:24 | 行ったもの(美術館・見仏)
○世田谷美術館 開館20周年記念企画展『ルソーの見た夢、ルソーに見る夢~アンリ・ルソーと素朴派、ルソーに魅せられた日本人美術家たち』

http://www.setagayaartmuseum.or.jp/

 私もむかしは普通の美術ファンで、「泰西名画」の展覧会には欠かさず通っていた。15世紀の初期ルネサンスから20世紀の抽象画まで、西洋絵画は、常に私の親しい友だった。ところが、30歳を過ぎた頃から、東洋美術というフロンティアにのめり込み、西洋美術に足を向ける機会は、すっかり減ってしまった。2年半に渡るこのブログでも、西洋美術に関する記事は、ほとんどないはずである。

 そんな私の関心を久しぶりに掻き立てたのが、このアンリ・ルソー展である。もっとも、ルソーは「西洋絵画」の王道を歩んだ画家ではない。40歳で画家になった彼は、批評家や画壇から無視され侮辱され、絵具代にも事欠く困窮のうちに没した。しかし、私はルソーの絵が好きだ。カラリと晴れた青空のような無邪気さ、明るい静謐ににじむ抒情は、神のわざにも似ている。

 最初の部屋に入って、ルソーの作品に対したとき、ああ、やっぱり、亜欧堂田善に似ている、と思った。幕末の銅版画家・田善も、47歳のとき、画家として異様に遅いスタートを切り、見よう見真似で洋風画を描いた。周りの評価を気にせず、ただ色彩と戯れ、描くことに喜びを見出すような純真さが、似ているのかも知れない。それにしても、ルソーの作品は、「西洋」の王道を拒否して、その結果、どこか「東洋」に近接しているところがあると思う。たとえば『サン=ニコラ河岸から見たサン=ルイ島』の冴えた白い月、『牛のいる風景』の大きな賢者のような牛に、私は禅画の趣きを感じてしまう。

 実はこの展覧会、ルソー当人の作品は、23点しか出ていない。そのあとに続くのは、まず、同じ「素朴派(パントル・ナイーフ)」と呼ばれた画家たちの作品である。知らない画家ばかりだったが、興味深かった。いちばん気に入ったのはカミーユ・ボンボアである。肉付きのいい太ももを惜しげもなくさらした、健康的な女性たちをユーモラスに描いた。その一方、公園や街路樹を描いた風景画には、抒情豊かな生命力があふれている。

 後半は「日本人作家たちとルソー」と題して、ルソーの影響を受けた画家たちを特集する。藤田嗣治、岡鹿之助、小出楢重、松本竣介、ルソーを「我が師父」と呼んだ川上澄生など、さまざまな作品が並ぶ。中でも、岡鹿之助は「ルソーおよび素朴派を日本に紹介するに最も功績のあった画家であり、生涯ルソーに愛着を持ちつづけ」たという。確かに、岡の作品は、構図や色彩だけでなくて、ルソーの「本質」に学ぼうとしているように思える。

 私は、2004年、神奈川県立近代美術館・葉山館の『近代日本絵画に見る「自然と人生」』で、岡の『雪の発電所』という作品に出会った。タイトルどおり”雪の発電所”を描いた、何の変哲もない作品なのに、なぜか惹かれてならなかった。今年の春、ブリジストン美術館で、再びこの作品にめぐり会ったときも、とても懐かしく嬉しかった。ルソーの面影をだぶらせてみると、私が岡の作品に惹かれる理由が分かる気がする。

 ルソーの影響は、洋画だけに留まらない。日本画、写真、そして現代アートにも、さまざまなかたちのルソーへのオマージュを見ることができる。吉岡堅ニの『奈良の鹿』は、「ルソー風を華麗な大和絵にくるんだ」と評されているそうだ。残念ながら、この作品は11/21以降、展示(売店の図録と絵葉書で確認することはできる)。
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飼い慣らされる主体/インターネットは「僕ら」を幸せにしたか?(森健)

2006-10-16 06:14:34 | 読んだもの(書籍)
○森健『インターネットは「僕ら」を幸せにしたか?:情報化がもたらした「リスクヘッジ」社会の行方』 アスペクト 2005.9

 『グーグル・アマゾン化する社会』に続いて、森健さんの本2冊目。本書の存在に気づいたのは、ずいぶん前のことだったと思う。しかし、バッカなタイトルだなあ、と思っただけで、すぐに手に取ってみようとはしなかった。

 これには説明がいる。インターネットは我々に、想像もできなかったほどの「便利」で「快適」な生活をもたらしてくれた。しかし、私は「便利」や「快適」だけが「幸せ」の要件だとは思わない。だから、「インターネットは『僕ら』を幸せにしたか?」というタイトルを見て、「ンなわけないじゃん。そもそも設問自体が無意味!」と反発したのである。

 だが、本書は、私のような人間こそ読むべき本だった。インターネットの恩恵に日々どっぷり浸かりながら、ふと感じる居心地の悪さ。まあ、仕方ないか、とか、いや、これはインターネットとは無関係だろう、と思っている社会の変化が、本当に許容していいもの・無関係なものなのか。モヤモヤした居心地悪さの正体が、本書によって、少しずつ像を結んでいくように感じた。

 第1部は、メール、ブログ、検索エンジンについて考察したもので、近著『グーグル・アマゾン化する社会』の主旨に近い。同じ意見・趣味・嗜好を持つ者どうしの間で閉ざされたスモールワールド、偏った情報経路によって生ずるサイバーカスケードの怖さを論じ、「ウェブの進化が民主主義を衰退させる」と説く。

 第2部はユビキタス社会とICタグ、第3部は監視カメラとバイオメトリクス(生体認証)を取り上げ、「安全」「便利」の謳い文句の影で、我々の個人情報が企業と国家に吸い上げられている状況を明らかにする。

 吸い上げられた個人情報が、悪意ある使われ方をする恐れは十分にあるが、それ以上に著者が恐れるのは、「プライバシーへの介入」や「監視」が一般化した社会で、我々の内面に起きる「道徳面での微妙な変容」である。人々は、目に見える強制がない場合でも自然と「リスク回避」的になり、抑制された行動を選択するようになる。さらに、技術が提供する客観的な証拠が、人間どうしの「信用」を作り出すようになると、証拠のない人間関係は全て「不信」に置き換わってゆく。

 本書は、国内外の法令・訴訟・市民運動など、具体的な事例を多数あげていて、非常に勉強になった。実際のところ、監視カメラやICタグは、私のような普通の仕事をしている人間にも、否応なく身近になっている問題である。「安全」「便利」「快適」と引き換えに、我々は、思考と行動の主体を売り渡そうとしているのか。流れはもう止まらないのかも知れないが、せめて、しっかり目を開けて、起ころうとしている事態を見きわめておきたい。
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史料は語る・明治宰相列伝/国立公文書館

2006-10-15 08:19:47 | 行ったもの(美術館・見仏)
○国立公文書館 秋の特別展『明治宰相列伝』

http://www.archives.go.jp/event/haru_aki/06aki.html

 明治期に在任した宰相(内閣総理大臣)は、全部で17人(14代)。彼らの閲歴と業績を通じて、近代国家として体制を急速に整えていった明治日本の姿を映し出す企画である。ちなみに、7人の宰相とは、伊藤博文、黒田清隆、山県有朋、松方正義、大隈重信、桂太郎、西園寺公望。

 人物中心の歴史というのは、分かりやすくて面白い。ただし、公文書館らしく、宰相たちの「公」の業績を中心としているので、伊藤博文の女好きとか、黒田清隆の妻殺し疑惑など、三面記事的ゴシップは全て無視されている。そこが残念と言えば残念である。

 初めの展示ケースを覗き込んで、あれ?と思った。資料のそばには、わずか1、2行の解説しかないのだ。公文書館の展示は、これまで読み応えのある解説をつけてくれていたのに・・・そうか、「音声ガイド」を利用しろということだな、と気づいて、初めて「音声ガイド」なるものを借りてみた。これが、なかなか良かった。私同様、「音声ガイド」を使っている客が多いせいか、無関係なお喋りが少なく、会場が静かだったのも好ましかった。

 展示品は、明治期の文書のはずだが、ものすごく状態がいい。私は勤め先の図書館でも、ときどき明治期の文書を見ているが、全く比較にならない(比較するほうが叱られるか)。頁の端に「校正××」「謄写○○」というハンコが押してあるところからすると、展示品の一部は、保存用に清書された複製なのかもしれない(もらって帰った目録を見て、『公文類聚』という編纂書であることが判明)。

 たとえば「日清両国休戦条約」は、最後に調印者の名前が並んでいる(李鴻章の名前もあり!)が、どれも同じ筆跡で、その下に「マル印」とのみある。原本なら、ちゃんと印が押されていたことだろう。その隣、「日清講和条約」は、伊藤博文総理、山県有朋陸相らのサインが入っているので、原本と思われる。しかし、紙の状態はとてもいい。

 大津事件の発生を知らせる電報の原本というのもあった(リンク先のWikipedia掲載の画像とは別物)。さすがに、これは紙質が悪く、当時の切迫感を伝えている。

 明治35年(1902)、日英協約の締結に関連して、桂太郎首相と小村寿太郎外相が枢密院に対して行った説明資料が展示されていた。初めて読む資料だが、読んでいて、だんだん腹が立ってきた。「朕、東洋ノ平和ヲ維持シ国運隆昌ヲ期スルハ、清韓両国ヲシテ克ク其ノ領土ヲ保全シ、其ノ民人ヲ靖セシムルニ在ルヲ思ヒ」と始まる。確かに明治天皇は、本気でそう考える”苦悩する「理想的君主」”(笠原英彦)だったかも知れない。しかし、両国政府の本音は、文章の後段に現れるごとく、イギリスの清国における権益、日本の清国および韓国における権益を相互承認することにあったと思われる。その後の日本政府の行動が、何もかも雄弁に物語っている。

 いや、それはそれでもいい。ただ、あまりに本音とかけ離れた鉄面皮な美文ではないか。日本人として恥ずかしいし、清韓ニ国の人民の立場だったら、悔しすぎて、今なお平静には読めない文章だろうなあと思う。

 最後に、出口のプラズマディスプレイに流れていた、国立公文書館の活動を紹介するビデオを興味深く眺めた。所収の文書は、きちんとした殺虫殺菌処理、温湿度管理、目録整理、媒体変換(マイクロ撮影)が行われていることを知った。いつの間にか、デジタルアーカイブも充実しているし。付設のアジア歴史資料センターもいい仕事をしている。そっと応援のエールを送っておきたいと思う。
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鉄炮伝来/国立歴史民俗博物館

2006-10-14 18:50:25 | 行ったもの(美術館・見仏)
○国立歴史民俗博物館 企画展示『歴史のなかの鉄炮伝来-種子島から戊辰戦争まで-』

http://www.rekihaku.ac.jp/

 1543(天文12)年の鉄炮伝来から1868(明治元)年の戊辰戦争まで、3世紀にわたって独自の発達を遂げた、日本の鉄砲(鉄炮)の鋳造・射撃技術を紹介するもの。ありそうでなかった企画ではないかと思う。こんなに数多くの、多種多様な「鉄炮」を目にしたのは初めてのことである。

 『鉄炮記』は、天文12年(1543)、種子島に漂着した中国船に同乗していたポルトガル人が、初めて日本に鉄砲を伝えたと記す。しかし、この文書は種子島氏の顕彰のために作られたもので、信憑性を疑う声もあるそうだ(学校で習う歴史の「定説」なんて、こんなものなんだなあ)。初期の鉄砲は、形態から見て西欧型でなく東南アジア型である、という見解は面白いと思った。具体的にどこが違うのかは、よく分からなかったが。

 印象的だったのは、香雪美術館所蔵の『レパント戦闘図』。桃山時代に日本人が描いた洋風画である。帆船の浮かぶ青い海を背景に、オスマン帝国軍とヨーロッパ連合軍の戦いを描いている。西洋の鉄砲は「肩つき」で構えるのが作法だが、絵の中の兵士たちは、日本流の「頬つき」で構えているという。なるほど、言われてみれば、登場人物の動作にどことなく違和感がある。

 慶長から元和年間は、鉄砲の最盛期だった。さまざまな流派が成立し、弾の鋳造法、的の狙い方などの「秘伝」を競った。各派の「秘伝書」は、一流の書家や絵師が腕をふるった芸術作品となっている。また、残っている鉄砲も、流派ごとに少しずつ形状が異なる。最初期の火縄銃は、銃身が大人の背丈ほどもある。デカい!!(初期の活版印刷本=インキュナブラが、やたらとデカいことを思い出してしまった)

 まもなく日本国内には、徳川300年の太平の世がおとずれる。鉄砲は、剣術などと同様、武道としてなんとか命脈を保った。そして幕末、鉄砲は、再び歴史の歯車をまわす存在となる。野口武彦さんの本『長州戦争』や『幕府歩兵隊』で覚えた「ゲーベル銃」「ミニエー銃」の実物を見ることができて、わくわくした。当時の摺り物(双六)には、忍者のような黒装束の鉄砲隊も登場している。

 近代に至ると、大幅に性能を改善し、小型化した「短銃」が出現する。こうなると「鉄砲」ののどかな響きは消えて、効率的で冷酷な殺人の道具というイメージが増大する。それはそれで銃器マニアにはたまらないのだろうが、私はちょっと興味が失せる。大久保利通が持っていたレミントン二連デリンジャーが展示されていたが、おもちゃかと思うほど小さいピストルだった。たぶん、明治の元勲たちは、みんな、こんな銃を持ち歩いていたんだろうなあ。
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統制と抜け道/メディア・ナショナリズムのゆくえ(大石裕)

2006-10-12 21:01:20 | 読んだもの(書籍)
○大石裕、山本信人編著『メディア・ナショナリズムのゆくえ:「日中摩擦」を検証する』(朝日選書) 朝日新聞社 2006.10

 2005年4月に中国で発生した激しい反日デモと、その前後のメディアの反応を検証したもの。日本のマスメディア(新聞、テレビ)のほか、中国のインターネット言論、アメリカやヨーロッパのメディアの反応など、多岐にわたる。だが、新鮮な視点といえるものはあまりない。

 いちばん興味深く読んだのは、中国のインターネット言論のレポートである。政府当局の検閲フィルターを、一般ユーザーは、さまざまな方法で掻い潜ろうとした。たとえば「政府」を「正俯」(同じ発音)と言い換え、「遊行 Youxing =デモ」を「Y-X」と言い換えたり、「反0日」「政0策」という具合に不要な文字を挟み込んだり。曹植の「七歩詩」を書き込むことで、政府が人民を処罰する状況に不満を表明した例もある、というのには感銘を受けた。さすが、文華の国。

 それから、近代中国では、対外政策への不満が政変の引き金となってきた、という指摘。清末の義和団事件、そして五四運動。なるほど。そういう点では、反日運動の過熱が行き着く果てを、いちばん恐れているのは、いまの共産党政権であろう。彼らは、歴史の教訓を忘れるほど、馬鹿ではあるまい。
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中国絵画二題/畠山記念館・東博

2006-10-11 22:11:08 | 行ったもの(美術館・見仏)
■畠山記念館 秋季展『中国宋元画の精華-夏珪、牧谿、梁楷-日本人が愛した伝来の絵画』

http://www.ebara.co.jp/socialactivity/hatakeyama/index.html

 畠山美術館には、通い始めて間がないので、まだ収蔵品をよく知らないのだが、今回は、ヘンな作品が多くて、笑ってしまった。

 因陀羅筆『禅機図断簡(智常・李渤図)』は、木の下で、積み上げた書冊を前に、2人の男が向き合っている。なんだか、子どもが描いたようにたどたどしい筆致。これが国宝か~分かんないな~と思って、隣を見たら、伝・梁楷筆『猪頭図』。ブタ鼻の和尚が、ブタの頭にかぶりついてニコニコしている。うう、分かんない。さらに隣は宗達の『騎牛老子図』で、妙に丸顔の老子が、オカッパ頭の黒牛に乗って、ご満悦顔。とりあえずこっちも笑っておこう。こういうのが苦手の向きには、伝・夏珪筆『山水図』が一服の清涼剤である。


■東京国立博物館・東洋館第8室 特集陳列『中国書画精華』

http://www.tnm.jp/

 畠山美術館を出て、地下鉄を乗り継ぎ、上野の国立博物館に向かった。特別展『仏像』も始まっているはずだが、今日のお目当ては『中国書画精華』に絞っている。

 会場に入ると、簡潔で颯爽とした『李白吟行図』が目に入った。畠山美術館の『猪頭図』を描いた梁楷の作である。あのブタ鼻の和尚に比べると、ずいぶんオツにすました作品だなあ、と思うと、可笑しい。それから、因陀羅筆『寒山拾得図』。蓬髪の子鬼のような二人が楽しそうに向き合っている。実はこれも、畠山美術館にある『禅機図断簡』と、かつては一巻を成していたらしい。切断されて泣き別れた、佐竹本三十六歌仙みたいなものか。

 初見の『竹鶏図』(蘿窓筆・南宋時代)は、今回、いちばん見たかった作品である。薄明の中に立つ、大きな(ちょっと太りすぎて体の重たそうな)白鶏の姿が、薄墨の一部を塗り残すことで表現されている。よく見ると、ずいぶん陰険な目つきである。若冲の描くニワトリとは全く異質で、絶対、アクロバテッィクなポーズなど取りそうにない。何かに怒って体を膨らませているようで、凄みと迫力のあるニワトリである。

 呂紀筆『四季花鳥図』は、あ、狩野派!と指差したくなるし、王世昌筆『山水図』は、水辺を叩いて吹き上げる風の激しさに、おお、雪村!と手を打ちたくなる。それから、『売貨郎』も嬉しかった。移動式の屋台を担いで、子どものおもちゃを売る物売りの図である(そういえば、この夏、西安の城門外で、まさに”売貨郎”のおじさんを見た)。しがない露天商なのに、品のいい君子顔なのが面白い。私の記憶と記録に間違いがなければ、以前、根津美術館で見たのも呂文英の作品だったようだ。

 今年の『中国書画精華』(後期)は、バラエティ豊かで、いつもに増して面白いと思う。畠山記念館と合わせて行くと、さらに楽しめて、おすすめである。
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研究史の森/謎解き伴大納言絵巻(黒田日出男)

2006-10-10 21:44:08 | 読んだもの(書籍)
○黒田日出男『謎解き伴大納言絵巻』 小学館 2002.7

 黒田先生の絵画資料論とは、『姿としぐさの中世史』(イメージ・リーディング叢書、平凡社 1986)の頃からのおつきあいである。昨年出された『吉備大臣入唐絵巻の謎』も非常に感銘深かった。

 しかし、私は本書をずっと読み逃していた。もちろん存在は知っていたし、結論もだいたい聞きかじっていた。いつかは読もうと思いながら、放置していたのは、たぶん私が「伴大納言絵巻」を、「吉備」や「信貴山」ほどには偏愛していないせいだと思う。

 この秋は、出光美術館で、久しぶりに「伴大納言」の全巻全場面展示が行われている。よしよし、この機会に読んでおこうと思っていたが、結局、絵巻を見に行くほうが先になってしまった。だが、会場で手に入れた、最新のカラー図版集『国宝 伴大納言絵巻』を片手に本書を読むことができたのは、かえってよかったかもしれない。

 本書は、「伴大納言絵巻」最大の謎とされる、応天門炎上場面の後に登場する、後ろ向きの貴人が誰であるかという問題について、失われた1紙の存在を想定し、著者の見解を述べたものである。論証過程は非常に面白いが、結論の是非はしばらく措こう。

 本書の冒頭には「伴大納言絵巻」の研究史がまとめて紹介されている。ここで感銘深いのは、1970~80年代、『新修日本絵巻物全集』『日本絵巻大成』などのカラー図版集が刊行されるとともに、絵巻研究が大きく変貌・進展したという指摘である。それまで絵巻研究は「モノクロの世界であった」と著者は言う。ええっ、そうなの!?

 私の絵巻愛好は、少なくとも図書館に行けば、カラー版の全集が見られる時代から出発した。さすがに自分でそれらを買い揃える決心はつかず、『コンパクト版 日本の絵巻』シリーズ(中央公論社 1993)で我慢していたが、日本史や日本美術の研究者なら、当然、本物をいつでも好きなだけ眺められるものと思っていた。しかし、研究者の置かれた状況も、一般読者とあまり変わらなかったようだ。60年代以前の研究者は、モノクロ写真だけをたよりに、精緻な推論や論考を重ねていたのだ。このことに、私はひどく驚かされた。

 カラー全集の出版を契機に、日本史や日本文学の研究者が絵巻研究に参加し始め、絵巻研究は百花斉放的な活況を呈することになる。これを見ると、資料を(あるいは、できるだけ原資料に近い複製を)必要とする人のもとに届ける努力というのは大事なんだなあ、と、しみじみ思う。

 「伴大納言」はファンの多い絵巻である。だから、本書よりもっと熱いラブコールを綴った書物はいくらもあるだろう。たぶん著者も、この絵巻に対する愛情は人後に落ちないのだと思うが、本書は、ナマな感情の表出を抑え、終始、真摯な学究的な態度で対象に臨んでいる。それでも「謎解き」を終えて、「さらに豊かな謎解き」を提唱する最終章では、この絵巻の尽きせぬ魅力を語りながら、次第に昂揚する著者の気分が行間にあふれているようで、微笑ましく感じた。

 著者は「あとがき」で、「研究史とは、一種の森林である」と語っている。巨木や老木は森林の中にこそある。草原にまばらに生えていると目立つ木も、森林の中ではただの若木であることが多い。そして、研究とは、問題解決に向けての樹木たちの共同作業である、という卓抜な比喩を、本書を通じて多くの人に味わってほしいと思う。
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名優揃い!伴大納言絵巻/出光美術館

2006-10-09 08:52:50 | 行ったもの(美術館・見仏)
○出光美術館『国宝 伴大納言絵巻展-新たな発見、深まる謎-』

http://www.idemitsu.co.jp/museum/honkan/index.html

 久々に上中下巻揃っての全場面展示である。このかたちで最後に見たのはいつだったかしら。もう20年くらい前のことではないかと思う。実は今回も、上中下巻揃って本物が見られるのは第1週と第4週のみ。「ゆっくり見たければ、早く行ったほうがいいよ」とのアドバイスに従い、連休中日の午前中をねらって、さっそく出かけた。

 会場は、思ったほどの混雑ではなくて、ほっとした。絵巻の前に行き着くまでには、少し列に並んで待たなければならないが、いずれもこの展覧会を楽しみにしていたどうし、前の人がなかなか進まなくても「早く進め!」なんて野暮なことは言い合わず、みな辛抱強く順番を待っていることに感激した。警備員さんも、極力、口を出さず、観客の自治と秩序に任せているので、ありがたかった。

 さて、上巻。最大のクライマックス、応天門炎上の場面は、5月の『開館40周年記念名品展』でも、じっくり見せてもらったので、今回は、むしろ開巻冒頭から、山場の応天門に至るまでの「運び」に注目する。巻を開くと、不安げに後ろを振り返りながら、左手方向に進もうとする、徒歩立ちの男と馬に乗った男の姿。続いて現れる検非違使たちの集団。それから、集団がばらけて、三々五々大路を駆ける人々。と、画面のリズムが乱れ、後ろ脚で棒立ちになる馬。逆走する男の姿。そして、一気に朱塗りの門になだれ込む小集団。この、応天門に行き着くまでの、序破急のリズム、オペラの序曲を聴くような心地よさ!! 何度見直してもいい。

 燃え上がる応天門は、「日本絵画における三大火焔表現のひとつ」だそうだ。笑ってしまった。誰だ、こんなこと言ってるヤツ。もうひとつは『平治物語絵詞・三条殿夜討の巻』(ボストン美術館蔵)だろうが、あとひとつは何?(→図録によれば、『不動明王二童子像(青不動)』(青蓮院蔵)だという)

 この『伴大納言絵巻』は、応天門炎上の迫力が圧倒的なので、それ以外の場面の印象がやや薄い。今回も、上巻のまわりを立ち去り難くて、何度も何度もうろうろしたあげく、さて、このあとどうなるんだっけ?と考えてしまった。しかし、実はほかにも見どころは多いのである。上巻の巻末近くに登場する、後ろ姿の「謎の人物」。この絵巻は、なぜか後ろ姿の印象的な登場人物が多い。中巻で天に非道を訴える左大臣・源信とか、下巻で取り調べを受ける舎人とか。

 上巻の最後には、夜半の奏上をあらわそうとしたのか、あまりにもしどけない恰好の天皇が描かれている。烏帽子を付けないのって、裸同然の無作法だったはず。こんな姿を描いて許されるのは、後白河法皇の注文制作だからだろうか。中巻の左大臣邸、下巻の大納言邸で描かれる女性たちの表情にも、「あられもない」人間の真実が描かれている。やっぱり、後白河法皇の嗜好ではないかと勘ぐりたい。

 市井の人々では、中巻で子どもの喧嘩に親が飛び出す図もいいが、下巻で連行されていく舎人の、覚悟を決めた面構え(※)、不安と後悔の面持ちでそれを覗く隣人夫婦の描写もいい。それから、大団円間近、背中を丸めて検非違使の口上を聞く、伴大納言家の老家司。この絵巻の脇役たちは、実に名優揃いであると思う。

 展示品は、このほか、仏画・仏具など。単独だったら、けっこう目をひく作品なのだが、注目されないのはやむをえないか。

※これは私の誤読。連行される舎人と、追い立てる検非違使の1人を見誤っていた。(10/09夜、補記)
 
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一極集中の論理/グーグル・アマゾン化する社会(森健)

2006-10-08 21:49:08 | 読んだもの(書籍)
○森健『グーグル・アマゾン化する社会』(光文社新書)光文社 2006.9

 最近、新刊書(特に新書)の棚で、グーグルやアマゾンを話題にした本が目につくなあ、とは思っていた。だが、Webは使うものであって語るものじゃない、と思っていたので、食指を動かす気にはならなかった。

 ところが、仕事に関連して、「グーグルは何を目指しているのか?」ということを、少し真面目に考えてみる必要が生じた。そこで、本書を手に取った次第である。グーグル、アマゾンに代表されるWebアーキテクチャー(→技術であり、制度であり、設計思想を意味する)の最新動向「Web2.0」について語ったものだが、無責任にバラ色の未来予測もしていないし、起きている事実を矮小化したり、無用な恐怖を掻き立てたりもしない。堅実で、素人にも分かりやすい良書だと思った。

 「Web2.0」という言葉も、私は最近知ったばかりである。その意味は、本書で初めて理解した。ひとことで言うなら、ユーザーの参加によって、よりよいコンテンツを構築しようという設計思想を指している。カスタマー・レビュー(一般読者による書評)など、比較的ゆるやかなかたちで、ユーザーの「参加」を促し、成功したのがアマゾンである。

 これに対して、グーグルの仕掛けは「半強制的」である。グーグルは、便利なサービスを次々に無料で提供している。しかし、忘れてならないのは、我々がグーグルを利用すると、全ての履歴データがグーグルに収納されるということである。データが充実することで、インデックスが増え、検索効率が上がる。その結果、クライアントの広告を、より的確なターゲットに届けることができる。つまり、グーグルは「地球上の人のウェブでの振る舞いすべてをカネに変えている」とも言えるのだ。なるほど。このへんが、一部の識者がグーグルの事業に不信感を抱く理由なのか。

 アマゾン、グーグルの巨大化の背後には、「スケールフリー・ネットワーク」という現象がある。すなわち、新たにネットワークに参入する者は、なるべく、既に多くのサイトと結ばれている結節点(ハブ)に結びつこうとする。その結果、古い結節点は、ますます多くの結びつきを獲得し、「金持ちほどますます金持ちになる」という状況が出現するのである。

 著者は、参加型アーキテクチャーの理念を説明するため、何度かジェームズ・スロウィッキーの著書『「みんなの意見」は案外正しい』に言及している。ずいぶん能天気なタイトルだな、と思ったら、実際には、集団の答えが正解に近くなるためには「意見の多様性」「独立性」「分散性」「集約性」の4つの条件を満たしていなければならない、という留保がついているのだそうだ。それなら分かる。

 しかし、グーグルのひとり勝ち(=グーグルが提示する検索結果に、多くの人間が依存する状態)によって、我々は、多様な情報に接する機会を奪われているのではないか。それぞれが”主体性ある思考”をしているつもりで、実は、同じ方向を向かされている、という状況が出現しているのではないか。これは、姜尚中氏も同じような認識をどこかで述べていたように思う。

 巨大化するウェブ社会に呑み込まれず、主体性を保って生きていく方法、それはウェブ以前(もしくはウェブ以外)に蓄えられた叡智を、どれだけ身につけているかにかかわるような気がする。直感だけど。

■付記(06/11/20):偏愛する松岡正剛さんの書評サイト『千夜千冊』が本書を論じているのを発見。ちょっと嬉しい。
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1162.html
コメント (2)
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