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見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

シンポジウム『闘いとしての政治/信念としての政治』(野中広務、森達也、姜尚中)

2009-12-16 22:19:26 | 行ったもの2(講演・公演)
○東大情報学環主催 シンポジウム『闘いとしての政治/信念としての政治』(2009年12月14日 18:00~)

 11月初め、この企画を後援する毎日新聞社のネットニュースで告知を見つけた。行きたいけど、平日じゃ難しいな…と思っていたら、直前の週末に出勤命令が下り、この日は振替休に。でも、もう予約でいっぱいだろう、と思ったら、あんまり観覧希望者が多いので抽選になったとのこと。11月中旬、駄目モトで応募してみたら、当たった。思わず、ガッツポーズ!! 当日、180人収容の福武ホールラーニングシアター(東大構内)は、開演時間には、ほぼいっぱいになった(当選通知のあと、主催者からキャンセル確認のメールが流れただけのことはある)。

 最初に登壇したのは野中広務さん。テレビで見ていたより、ずんぐりした印象。30分ほどの"基調講演"のはずだったが、ご自身の閲歴を滔々と話し始められた。はじめ、簡単な自己紹介から入るのかな、と思ったら、京都の被差別に生まれ(はっきりそうおっしゃった)、しかし愛情深い両親に育てられ、当時はめずらしかった幼稚園に入り、上級の学校に進み、模範的な軍国少年となり、待ち焦がれた召集令状を手にし、8月17日に終戦を知り、割腹自殺を決意したが、上官に「その勇気があるなら、東條英機に一太刀浴びせてから死ね。そうでなければ新しい日本を立て直せ」と一喝されて生き延びることになり…と、息をもつかせぬ一代記が続く。あっ、これが野中さんの講演の「本題」なんだ、と私が気づいたのは、30分の半ばが経過した頃だった。

 私は政治家の講演を聞いた経験はほとんどないのだが、これは政治家の「語りの作法」(のひとつの典型)なのかもしれない。大学の教員や学者の講演を聞くとき、私(たち)は、話者がどんな人生を過ごしてきたか、ということには、ほとんど関心を持たない。彼の思想や主張が、どんな体験から生まれたか、ということにも。「学問の言葉」と「政治の言葉」の明らかなスタイルの違いは、その後のセッションで、ますます明らかになった。

 続いて、司会の北田暁大氏、シンポジストの森達也氏、姜尚中氏が登壇し、野中広務氏に質問を投げかけた。森氏も姜氏も、決して観念だけで物を言うタイプではないのに、「野中さんにとって権力の源泉とは」「被差別という少数派の生まれと、多数派の自民党の幹事長という役割のアンビバレンツ(両義性)について」などの質問に対して、野中氏は、まるで意地悪く身をかわすように、「それについては、私が初当選したとき…」という調子で、具体的な、ある時・ある所の体験を以て答えにしてしまう。そのたび、司会の北田さんが「今のお話の…の部分は、…という意味のお答えだと思います」と、具体→抽象への「変換器」の役割を負わなければならず、かなり苦労なさっているように見えた(面白かったけどw)。

 もちろん、きちんと噛み合った対話もあって、姜尚中氏の「保守とは何を守るものか?」という問いに対して、野中氏が「平和。反戦。そして生活(全ての日本人に中産階級の生活を可能にすること)」と即答したのは印象的だった。さらに、野中氏は、憲法9条よりも「村山談話」こそが今の日本の改憲・軍拡路線の防波堤になっていることを指摘し、戦後50周年のタイミングで村山内閣が成立し(自民党にはできなかった)談話を出してくれたことは「天の配剤だった」という表現で絶賛された。いやーびっくりしたね。このひと、本当に自民党の幹事長だったのか?!と思った。これは右翼に狙われるわけだ…。ちなみに、野中さんの登壇中、舞台袖の出入口には、制服姿のガードマンが身じろぎもせず立ち続けていた。

 このほか、イラク派兵を決める投票に際して「退席」という態度で主張を守ったこと、小渕総理に「正しい歴史教育を」と迫った江沢民氏の印象など、マスメディアには上がってこない、生々しい「政治語り」が聞けて面白かった。姜氏が、自民党結党50周年記念番組(2005)の収録控え室で「自民党は終わった」と感じた話も痛烈だった(委細略)。共通するのは「歴史」をあなどる保守政治家に「保守」の価値はない、ということだと思う。

 デモクラシー(多数派の優越)というのは、比較的よくできた合意形成システムではあるけれど、決して完全無欠の策ではない。処方を誤れば、大変なことになる、ということを、あらためて感じた。そこに抗することができるのは、やはり、リアリストとしての政治家だろう。姜氏が、野中氏を金大中氏に比して「政治家=リアリストは自殺しない」とおっしゃったのも印象的だった。むろん、そこには、政治家になりきれなかった政治家、盧武鉉氏の存在が、陰画のように浮かんでいたと思う。
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傷口にバンドエイド/映画・世界(ジャ・ジャンクー)

2009-12-15 23:21:02 | 見たもの(Webサイト・TV)
○ジャ・ジャンクー(賈樟柯)監督・脚本 映画『世界』(シネマート六本木、ジャ・ジャンクー特集上映

 『長江哀歌』『四川のうた』で、すっかり日本でも有名になったジャ・ジャンクーの監督作品。見たい見たいと思っていたこの映画を、ようやく見ることができた。舞台は、北京郊外のテーマパーク「世界公園」。エッフェル塔やピラミッドなど、世界各国のモニュメントが再現され、併設の劇場では、民族衣装のダンサーたちのショーが催されている。華やかな舞台の裏側で、愛したり、裏切ったり、金と夢を追いかけ、希望と絶望を繰り返して生きる人々。そこには、現代中国の、最も普通の人々の姿がある。

 冒頭、女主人公でダンサーのタオは「誰有創口貼(シュエイヨウツァンコウティエ~)?=誰か絆創膏持ってない?」と呼ばわりながら登場する。何度も何度も、歌うように語尾を引き延ばして、同じフレーズを繰り返すタオ。字幕の日本語は「バンドエイドない?」だが、「創口貼」(傷口に貼るもの)という、即物的な中国語の名詞のほうが、この映画には似つかわしい。誰もが、ひりひりと痛む傷口に、一時しのぎのバンドエイドを貼り替えながら、生きている。そんな映画のテーマが示されているのではないか。

 人身売買同然に北京に連れてこられた、ロシア人の同僚ダンサーたち。心を通い合わせたアンナは、金のために、望まない水商売の世界に去っていく。恋人のタイシェンに身をまかせるタオ。豊かで自由な生活への憧れから、双方の心にしのびよる裏切り。工事現場で事故に遭い、わずかな借金を気に病みながら命を落とす、友人の弟。物語は、終始抑制されたトーンで淡々と進む。この映画では、夜の光景が多用されている。安っぽい作りもののテーマパークも、ほこりっぽい建設現場も、夜の闇の中では、優しく温かく感じられるのが不思議だった。闇の中で、蜘蛛の糸のように細々と、孤独な彼らを結びつけるのは携帯電話。夢と憧れを乗せていくのは、乗ったことのない飛行機である。

 ネタバレになるけど――最後は、一酸化炭素中毒のタオとタイシェンが発見され、早朝の雪の上に並んで寝かされた状態で終わる。ネット上のレビューをいくつか読んでみると、この中毒を「自殺」と見る人と「不慮の事故」と見る人がいるようだ(描写は両義的である)。私は、2人が無意識裡に望んだ自殺のように思った。論理的には説明のつかない自殺だけど、彼らの、あなぐらに追いつめられた小動物のような閉塞感を思えば、理解できないこともない。そして、この「閉塞感」は、たぶん今の中国という国に生きる、恐ろしく多数の人々に共有されている感情だと思う。中国映画には、いろいろな才能がいるけれど、この国の「現在」の証言者・記録者として、彼ほど貴重な映画監督は他にいないんじゃないかと思う。

 ラストシーン、雪の上でピクリとも動かない2人の姿に「俺たち、死んだのか?」「いいえ、新しい始まりよ」という会話の声がかぶる。なので「2人は助かったらしい」と書いているレビューもあったが、私は、あれは死者の声ではないかと思う。分からないのは、この会話のニュアンスだ。日本語の字幕だと希望があるように感じられるが、「没有。剛剛開始了(いいえ、まだ始まったばかりよ/やっと始まりよ)」というタオの言葉は、希望なのかなあ、むしろ絶望なのかなあ…。解釈に迷う。
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NHKの本気/スペシャルドラマ『坂の上の雲』

2009-12-14 00:15:24 | 見たもの(Webサイト・TV)
NHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』第1部全5回

 大河ドラマ『天地人』の後枠に始まったスペシャルドラマ、第1回から第3回までを見た。すごい。毎回90分間、テレビに釘づけである。役者がいいのは、誰が見てもすぐ分かる。主役の3人はもちろん、その家族や友人たち、歴史を動かす軍人や政治家、外国人に至るまで、手抜きのない配役で実によい。セットとか衣装とか小道具もよくできていて(個人的には、古写真で見たとおりの大学予備門の正門に感動)、ロケの海山も美しく、つねに画面に抒情味があふれている。骨太の脚本なのに、毎回、品のいい「遊び」の要素がまぶしてあって洒落ている。あと、少し古風な日本語、特に男性たちの漢文調がいい。しっかり神経を集中させていないと、聴き取れない(意味がとれない)語句もある。

 私は、俗に言われる「司馬遼太郎史観」の信奉者ではない。――ただし、この言葉、司馬遼太郎本人の史観というより、彼の作品を利用して、都合のいいゴタクを並べたがる政治家の言い訳みたいに思われる。どちらにしても『坂の上の雲』は評論でなく小説であり、エンターテイメントとして面白いか否かのほうが重要である。そして、このドラマ、ここまで私には、非の打ちどころが浮かばない。

 今日(12/13)の第3回、前半の見どころは、肺結核を発病した正岡子規役の香川照之だろう。兄思いの妹の律を演ずる菅野美穂も、気持ちのいい好演なのだが、このあと、子規の病状が悪化するにつれ、彼らを襲う運命の過酷さを思うと、いたたまれない感じがする。中盤は、秋山真之(本木雅弘)のフンドシ姿、好古(阿部寛)の結婚で楽しませておいて、後半の見どころは、伊藤博文(加藤剛)の登場。

 いや~カッコよくて、びっくりした。私は、リアルに歴史上の伊藤博文がひいきなのだが、これに賛同してくれる人は少ない。特に女性には不人気である(女性関係の悪評が多いせいか)。原作は、ずいぶん前に読んだので、細かいニュアンスは覚えていないのだが、こんな「人物」に描かれていたかしら。臆病で、先が見通せて、それゆえ細心の注意を払って、(先人たちから託された)日本という国を、帝国列強から守り抜こうとした政治家であったことが、うかがわれる。このあと、李鴻章と相対する下関講和条約の場面も、ぜひ描いてほしいなあ。

 ひとつ困ったことは、『坂の上の雲』が始まったために、裏番組にあたるTBSの『JIN-仁-』が見られなくなってしまったこと。しかたないので、『JIN-仁-』は録画している。こういう視聴者、多いに違いない。
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軍人と色恋と美食/人形のBWH(丸谷才一)

2009-12-12 11:17:06 | 読んだもの(書籍)
○丸谷才一『人形のBWH』 文藝春秋 2009.11

 雑誌「オール読物」2007年10月号~2009年3月号に連載。丸谷さん、おいくつになられたのかなあ、と思って調べたら、1925年8月生まれ、御年84歳でいらっしゃる。古今の書物を博捜し、自由な発想で、学問の愉楽にいざなうスタイルは相変わらずだが、いくぶん「お年」を感じる点もあった。

 これは悪い意味ではない。私は、老齢の作家のエッセイが好きなのだ。読者が喜ぶようなオチをつけるとか、起承転結をきれいにまとめるとかの小賢しさが薄れて、書きたいことをだらだらと書き流すふてぶてしさには、かえって独特の味わいがある。内田百間の晩年の作品はその一例。若いころは、サービス精神旺盛だった丸谷さんのエッセイにも、ちょっとその気配が感じられるように思った。

 驚いたのは、軍人嫌い・戦争嫌いだったはずの丸谷さんの嗜好が微妙に変化していること。まず、徳川家康と国家安康銘の話題から戦国武将を論じた「戦国時代の心理学」の一段がある。池波正太郎の『真田太平記』12冊を最近お読みになったそうで「この『真田太平記』はあまり騒がれないけど、なかなかいいですよ」と書かれている。おお、これにはびっくり。丸谷さんがお薦めになる本を、私のほうが先に読んでいるなんて、滅多にないことで、嬉しくなってしまった。さらには、なんと「ロンメル戦記」の話がある! 第二次大戦で活躍し、「砂漠の狐」と呼ばれたドイツ軍の将軍である。著者によれば、人生の終わり近くなると、わたしの生きた時代はなんであったかが気になり、同時代史の類を読むと、必然的に軍人の名が出てくる。そうすると、これはましなほうだな、と思う軍人もある、ということだが、長年の丸谷読者には、かなり意外な登場である。

 それから、色っぽい話題は、もともと著者の得意分野のひとつではあったが、老年らしいあけすけさと洗練が加わり、磨きがかかったように思う。『アラビアン・ナイト』『源氏物語』など、私たちが知っているようで深くは知らない古典に描かれた男と女の性(さが)には、おののきさえ感じる。でも、小説家の永井路子さんが、道鏡は肝っ玉の小さい男だったろうと言ったのに仰天しているところは可笑しい。いや、女性は、だいたいそう思っているのではないかしら。

 もうひとつ、どうしても紹介しておきたいのは「ミシュラン東京版」への決定的批判。これはオビにも取り上げられていて、店の選び方に批判があるのかと思ったら、そうではなくて、文章なのだ。同じ店について、ミシュラン『東京2008』と文藝春秋『東京いい店うまい店』の文章を並べて、比較している。これは、どう見たって、後者のほうが上(そのレストランに行きたい、今すぐでなくても、いつか行きたいという気持ちを起こさせる)。関連して、店に合わないお客を断る鮨屋の若大将の実話が語られていて、これもいい話。料理人のつくる料理を、お金を払って食べに行くって、互いに礼節の必要な行為なんだな、と感じさせる。いろんな意味で、大人のエッセイ。
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クリスマスの準備2009(リースを飾る)

2009-12-11 21:32:48 | なごみ写真帖
先週、大雨の土曜日、東京まで出かけて、クリスマスリースを買ってきた。
年に1回だけ買い物をする、いつもの花屋さん。

お正月過ぎまで、我が家の玄関を飾る。



2008年のクリスマスリース(そうだ、こんなのだった)
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神仏に捧げられた器/根来(大倉集古館)

2009-12-10 22:53:33 | 行ったもの(美術館・見仏)
大倉集古館 特別展『根来(ねごろ)』(2009年10月3日~12月13日)

 紀州(和歌山県)根来寺を発祥の地とする朱漆器「根来」。私がその存在を知ったのは、山下裕二先生と赤瀬川原平さんの『日本美術応援団』(2000)である。オジサン2人が、この「手擦れ」の魅力は若者には分かるまい!みたいに、熱く語り合っているのを面白いと思った。

 本展は、中世期に製作された「根来」の優品を中心に、漆絵、鎌倉彫などを交えながら「根来」の真価に光を当てようとする試み。会場に入ると、とにかく見渡すかぎり「根来」がずらり。1階は、盤、盆、菜桶、高杯(たかつき)などを揃える。平安、鎌倉と注されたものもあるが、室町時代の作がいちばん多い。ただ、様式的な変化がないので、年銘でもなければ、ほとんど見分けはつかない。現在は個人蔵でも「大神神社伝来」とか「春日神社伝来」とか、寺社に伝えられたことを示すものが多かった。平安時代の高杯(大神神社伝来)は、表面が風化(?)でぼろぼろなのに、端然とした風格を保っている。

 「二月堂練行衆盤」と題された円形の朱の盆(日の丸盆、鎌倉時代→奈良博所蔵品の画像)は、長年の使用によって縁が欠け、朱漆が剥げて、下地の黒色が不定形の星雲のように現れている。やがて観音菩薩の御姿でも浮き出してきそうだ。そういえば、朱の盆(盤)は、年を経ると妖怪(→妖怪迷画館)にもなる特別な器だった。泉鏡花の『天守物語』にも登場。畳ほどの板の上に、この朱の盆を無造作に置き、「二月堂焼経」と椿の花を配したところは、インスタレーションっぽくてよかった。そういえば、今回、1階には特設の展示ケースを入れたのかなあ。落ち着いた雰囲気で、とてもよかったと思う。

 なお、「二月堂練行衆盤」というのは、修二会に参籠する練行衆(僧侶たち)が食堂(じきどう)で用いるお盆だそうだ。後学のため、詳しく記録しておこうと思うのは、2階に展示されていた「食堂作法セット」。現在の修二会で使用されている食器である。「二月堂机」と呼ばれる小机(天板裏に「二月堂食堂」の銘あり)の上には、白木の箸と黒塗の椀が3つ載っている。椀には赤字で「禾」のワンポイント。左から、吸物椀(蓋の円周が椀より小さい、はめこむタイプ)、蓋なしの飯椀(見込みが大きく浅い)、壺椀(蓋の円周が椀より大きい、かぶせるタイプ)か。机の下に朱の盆を置き、その上に小さめの蓋なし椀と、重ねた小皿3枚が並べてあった。

 2階の展示室には、厨子、唐櫃、飾り棚など大きめの品が並ぶ。太鼓、と思ったら、これは太鼓形の酒筒だった。小さいものでは、茶入や香合にも根来があるのだな。梅文、笹文、桐文など、柄物の根来は民芸の味わい。思えば、この大倉集古館は、中国風の朱塗りの柱、門扉に黒鉄の金具が取り付けられていて、根来を飾るのに、これ以上ふさわしい舞台装置はないかもしれない。ただひとつ、展示リストを求めたら、「展示替えが非常に多いので作りませんでした」というお答え。それはちょっと、寂しいのではないか。

二月堂机の写真(個人ブログ)
脚先に畳ずりを付けているところが展示品と一致。欲しい。
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豪腕オトコマエ茶人・根津嘉一郎/根津青山の茶の湯(根津美術館)

2009-12-09 23:47:29 | 行ったもの(美術館・見仏)
根津美術館 新創記念特別展 第2部『根津青山の茶の湯:初代根津嘉一郎の人と茶と道具』(2009年11月18日~12月23日)

 根津美術館のコレクションの基礎をつくった実業家・根津嘉一郎(1860-1940)は、青山(せいざん)と号した茶人でもあった。本展は、嘉一郎が蒐集した茶道具の数々を、実際に茶会で使った取り合わせで紹介する。この「実際に使った取り合わせ」がポイント。

 展示ケースには青畳を敷き、ところによっては、モルタル壁(?)に木の柱、違い棚まで仮設して「床の間」を演出。そこに書画の軸を掛け、花生、香炉、茶碗、茶杓、水指などを並べる(小さなお道具は、必ず袱紗の上に)。解説を読めば、室町時代の布袋図に江戸時代の花生、南宋の山水図に朝鮮の井戸茶碗、ベトナムの水指、という具合で、そのバラエティに驚く。しかし、どの再現茶会も「なるほど」と思わせるスジがどこかに通っている。そして、思ったのは、どの茶会のしつらえも、総じて「男っぽい」ということ。

 私は実際にお茶をやるわけではないので、比較の対象にしているのは、三井や五島や畠山のコレクションだが、それらに比べて、嘉一郎の好みは、伊賀、備前、信楽など、ゴツくて、大胆で、ストイックなものが多い。たまたまなのかもしれないけど、染付なんて、ほとんどなくて、中国モノも、けれんや遊びのない青磁や青銅器の花生ばかりだ。実業家のタイプにもいろいろあるが、経営に行き詰まった企業を多く買収し、再建を図ったことから「火中の栗を拾う男」「ボロ買い一郎」の異名を与えられ、「鉄道王」と呼ばれた(私のイメージでは”豪腕”)嘉一郎の人となりが、茶道具の趣味にも現れているように思う。茶の湯=おばさんセレブの道楽、という通俗イメージが、かなり打ち砕かれる。

 馬麟筆『夕陽山水図』を主役とした「夕陽茶会」の再現では、赤みの濃い柱(神社か、豪奢な遊郭みたい)で囲まれた床の間がしつらえられていたが、柱の赤色と画幅に捺された朱印の色が映じ合って、華やかな雰囲気を醸し出していた。さらに画賛の墨の色は、下に置かれた古銅の黒い花生に応じ、表具の「一文字」の青色が、強いアクセントになっている。こうして、周囲との調和の中に作品を置く、複雑な鑑賞法こそ、茶の湯文化の伝統なのだろう。図録やウェブ上で「作品」だけを見ていては、この味わいは分かるまい…。

 なお、それぞれの再現茶会のセクションでは、たぶん敢えて冒頭に解説パネルを置かず、鑑賞者が先入観なく作品に向き合うことが期待されている。最後に解説を読んで、「この日の注目は茶杓の○○だった」などと書いてあると、んん?どれどれ、と戻って確かめたくなる。「解説が後にあるのは不親切だ」と不満をもらしていたお客さんもいたが、これはこれで、有りだと思う。

 新創記念特別展・第1部で「書跡(古筆)」の展示だった展示室2は、「中国の花鳥画」の特集展示になっていた。伝・李安忠筆『鶉図』(中国の高官みたいに、ふてぶてしい面構え)、伝・牧谿筆『竹雀図』(これは好きだ。愛らしい~)など、南宋から明清まで15点。この「展示室2」の特集は、メイン企画とは別に、つねに要チェックである。

 2階、展示室5は「蒔絵の調度」。国内品が多く、海外輸出用の蒔絵とは、ちょっと違う感じを受けた。柴田是真の作品もあり。展示室6は「雪見の茶」と題して、この季節にふさわしい作品を展示。冬の茶会には、手触りが温かく、見込みの深い筒型の茶碗(冷めにくい)がよいとか、蒸した饅頭が喜ばれるとか、実際的な解説を興味深く読んだ。確かに、寒い日はお茶受けもあつあつの饅頭がうれしいだろうなあ…。あと、砂張(さはり)(青銅)の花生があったが、金属製なのに温かく感じられるのが不思議だった。

 久しぶりに庭を1周してみる。カフェにも入ってみたいのだが、まだ混雑しているので、次回に持ち越し。
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俗世の向こう側/ユートピア(出光美術館)

2009-12-08 23:45:33 | 行ったもの(美術館・見仏)
出光美術館 『ユートピア-描かれし夢と楽園-』(2009年10月31日~12月20日)

 ユートピア(理想郷)をテーマに、古来描かれてきた「夢」と「楽園」の特質を探ります、って具体的にどんな作品が出ているのか、まるで分からない。こういう曖昧模糊としたタイトルの展覧会は嫌いだ、と文句を言いながら、行ってみた。冒頭には、山の向こうにすっくと立ち上がって、巨大な上半身をあらわした『山越阿弥陀図』(南北朝時代)。お、佐竹本三十六歌仙の『柿本人麻呂』もある。他館からの貸出品も多少あるが、基本は同館所蔵の名品選であるようだ。

 したがって、見覚えのある作品が多いが、中には、初見のものも。斎藤秋圃の『涅槃図』はかわいい。釈迦見立てで、禿頭の小さな爺さんが向こう向きに寝そべっているのは、博多・聖福寺の住持をつとめた仙涯和尚。芭蕉扇を枕元に置いて、夕涼みの体か。寝台の周囲には、にこにこ顔で近所の人々が集まり、動物たちの代わりに、仙涯の好物や愛用の品々が集っている。盆栽、文具、茶道具、火鉢、時計にメガネ? 仙涯って「本来無一物」の禅僧かと思ったら、意外といろんな愛用品を持っていたんだな、と微笑ましかった。

 室町時代の『布袋図』は初公開だそうだ。この、だらしなく毛深いでぶ男を「ユートピア」の表象とする感覚、宮仕えの塵労を知らない若者には実感できまい、と思う。本展では、ユートピアの描き方を、いくつかの類型に分けて紹介しているが、私は、冒頭の「俗世」の対極に幻視されるユートピアにいちばん惹かれた。会場に掲げられていた陶淵明の詩はいいねえ。中年過ぎて分かる味わいだなあ。

 それに比べると、「美人衆芳―恋と雅」のユートピアは、ああ、そういうのもありね、という程度の共感しか湧かない。しかし、作品としては、大好きな宗達の伊勢物語色紙『武蔵野』そして源氏物語色紙『少女』が見られて、嬉しかった。どう見ても雛人形の紙芝居で、生身の人間を描いているようには見えない愛らしさ。『松下弾弦図屏風』は、以前にも見た記憶がある。満開の桜の下、3人の美女と2人の禿(かむろ?)=少女。とりわけ、2人の少女ののびのびと自然な表情、姿態が目をひく。美女の髪型、着物の柄、そしてオバケのように長い煙管も近世初期の風俗だが、よく見ると、強い陰影が描き込まれていて、実は新しい作品なのかしら、とも思う。

 「花楽園―永遠なる四季」も、日本人好みのユートピアのひとつ。酒井抱一の『十二カ月花鳥図貼付屏風』では、十月の柿の木に目白が可愛かった。
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職人デザイナー/柴田是真の漆×絵(三井記念美術館)

2009-12-07 22:33:31 | 行ったもの(美術館・見仏)
三井記念美術館 特別展『江戸の粋・明治の技 柴田是真の漆×絵』(2009年12月5日~2010年2月7日)

 幕末から明治期に活躍した漆芸家・画家、柴田是真(1807-1891)の魅力を紹介する展覧会。薄暗い会場の冒頭には『宝尽文料紙箱』が展示されていた。つるりとした黒漆塗の箱に、笠、鍵、七宝、宝珠などが、蒔絵、漆絵、螺鈿など各種の技法で表わされている。いやー美しい。古さと新しさが、絶妙のバランスを保っている。「笠のひも…とくに見応えがある」という解説を読んでエッと見直した。細い紐の部分に、砂子のような青い螺鈿がちりばめられていたのだ。

 展示室1は「漆×絵」の「漆」に焦点化し、漆工芸の数々を展示する。『流水蝙蝠角盆』の花柄(カタバミ柄)のコウモリの愛らしさ。『稲穂に薬缶角盆』では朱色の薬缶をどアップで配した大胆なデザイン。しかし、いちばん面白かったのは『砂張塗盆』で、どう見ても砂張(さはり=金属製)に見えるのに、紙の器胎に塗りを施したものだという。暗い茶室で金属盆と信じて手にした瞬間、その軽さにびっくりする趣向。ほかにも紫檀木材を模した「だまし漆器」の香合は、ごていねいに干割れと鎹(かすがい)まで演出されている。古墨を模したとんこつ(煙草入れ)や、革製にしか見えない文箱など、是真の技術の確かさと、遊び心に感嘆した。

 会場に用意された展示リストを見ると、これらの名品には全て「エドソンコレクション」と注記されている。エドソンって誰?という答えは、なぜか、順路の中ほどあたり、展示室4を待たなければならない(この間、ちょっとフラストレーションがたまる)。展示室4の壁には、米国人のキャサリン&トーマス・エドソン夫妻による「あいさつ」パネルが掲げられている。

 この「あいさつ」、平明、率直、朴訥な感じさえして、とても気持ちのいい文章である(展示図録にも収録)。「私たちはテキサス州サンアントニオで育ちましたので、日本美術に触れる機会はあまりありませんでした」と始まる。たまたま、キャサリンの母が購入した家にあった日本の屏風に刺激されて、東洋美術コレクターの道を歩み始める。七宝、薩摩焼、漆工へと対象を広げ、是真と出会う。「一人の作家に焦点を当てて収集するには、時間を要しますが、是真という人物の中に、私たちが時間をかけてこたえていきたくなる人間性を発見したのです」という。こういう、コレクターと芸術家の出会いって、幸せだなあと思う。

 私は、是真といえば蒔絵師の印象が強かったが、本展は是真を「漆芸家であり画家」と紹介しており、「漆×絵」の「絵」も多数出品されている。工芸家らしいデザインの妙、人間くさい表情の動物、確かな写実、古画の模倣など、変幻自在だが、私は、春風駘蕩として脱力した感じの、雛人形の絵なんか好きだなあ。また、まさに「漆×絵」=「漆絵(うるしえ)」というジャンルでは、ぬめぬめ、てかてかした漆の質感を利用して、霊芝、蛙、宝貝などを効果的に描き出している。是真銘の入っている作品は、70~80歳代の晩年のものが多いが、「技術」一本に生きる職人の誇りと独創的な「芸術」性が、見事に調和した幸福を感じさせる。

 余談だが、図録の略年譜を眺めていたら、是真先生、44歳で長男をもうけ、52歳で次男、68歳で三男、72歳で長女をもうけている(妻は3回娶った)。死の前年、84歳で帝室技芸員を命じられ、1年弱の勤務?を経て、翌年には帝室技芸員の年金を受けている。いろんな意味で、すごい人かも。お墓は浅草今戸の称福寺か。今度お参りに行ってみよう。

柴田是真生誕二百年展公式サイト
2007年開設。蒔絵・研究日誌(ブログ)は現在も更新中。

日本橋「和紙の はいばら(榛原)」
文化三年(1806年)創業の和紙舗。是真のパトロンだった。
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夢は外地を駆け巡る/日本鉄道旅行地図帳:朝鮮・台湾、満洲・樺太

2009-12-06 23:55:18 | 読んだもの(書籍)
○今尾恵介・原武史監修『日本鉄道旅行地図帳:歴史編成:朝鮮・台湾』『同:満洲・樺太』(新潮「旅」ムック) 新潮社 2009.11

 「日本の鉄道、全線・全駅・全廃線のすべての位置を正確に記載した初の地図」として人気(100万部超え)の「日本鉄道旅行地図帳」に新たに「歴史編成」のサブシリーズが加わった。戦前外地を「朝鮮・台湾」「満洲・樺太」の2冊に編集したものだ。歴史好きと鉄道好きを兼ねる(ただし、どちらもアマチュア)私のような人間には、神棚に祀りたいようなアイテムである。

 豊富なデータ、見やすさ重視の実用性は徹底している。当然のごとく、路線ごとに全駅名の一覧(駅間距離、開業・改称・廃止等の年月日、駅名のよみ※日本語読み)付きである。各線の沿革、軌間(線路の幅)、動力の種類(蒸気、内燃)、電気鉄道の場合は電圧も。「一目でわかる東京からの時間・距離(昭和15年)」からは、具体的な旅のイメージが湧いてくる。東京から満洲国の新京(現・長春)までは4日。上野→新潟航路→羅津(現・北朝鮮)経由でも、東京→下関航路→釜山経由でも、あまり変わらなかったんだな、とか。

 地図には、各都市の名産品が注記されており、納得できるものもあれば、意外なものもある。台湾は、バナナ、サトウキビが多いが、台東の「栗饅頭、レモン羊羹」、新北投(台北北部の温泉地)の「萩の餅、湯の花」って…。史跡や車窓の絶景に関する注も行き届いているが、北朝鮮の海岸線に「奇岩が海に突出」とか「無限に続く如き白砂青松」と、のどかな解説が添えられているのを見ると、当時は、この路線を日本人が行き来していたんだよなあ、と感慨に誘われる。今も風景はそのままなのだろうか。

 当時の駅弁掛紙(!)、切符、旅行案内などカラー図版も見飽きないし、読みものも楽しい。私が感銘を受けたのは、満鉄の象徴「超特急あじあ号」の機関車(パシナ)が何色だったか?という問題。残っている写真は全てモノクロなのだそうだ。編集部が入手した唯一の色刷り資料は、昭和10年の路線図が描かれた絵葉書で、濃藍色のパシナが緑色の客車を牽引している。よく見つけたなあ。雰囲気は、新潮社オンラインショップのページ(満鉄あじあ号オリジナルグッズ発売)で。
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