見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

秘境の隣人/NHKスペシャル・シリーズ「深海の巨大生物」

2013-08-10 23:45:19 | 見たもの(Webサイト・TV)
○NHKスペシャル シリーズ「深海の巨大生物」(NHKオンデマンド)

 四月から札幌に移住して、いろいろ生活が変わった。宿舎でBSが見られることが分かって、テレビ視聴の機会が増えた。世間で話題の朝ドラ『あまちゃん』とかTBS『半沢直樹』を私も見ている。その波及で、NHKオンデマンドも「見逃し見放題パック」(月額945円)を契約してしまった。表題のシリーズは、

第1回「伝説のイカ 宿命の闘い」7月27日(土)19:30~
第2回「謎の海底サメ王国」7月28日(日)21:00~

と題して放送されたもの。この週末は東京に所用があって見られなかったが、オンデマンド配信で見ることができた。そうすると欲が出て、今年のはじめに見逃していた、

世界初撮影!深海の超巨大イカ」1月13日(日)21:00~  

もオンデマンドで視聴してしまった。もうね、これだけ視聴習慣が変わってくると、放送をリアルタイムに見ている視聴者だけを数える「視聴率」って、意味をなさないのではないかと思う。そして、テレビを見る人は減ったというけれど、ドラマでもドキュメンタリーでも、やっぱり私たちは、面白い番組を待っているのだ。

 このシリーズは、文句なく面白かった。世界で初めて撮影されたというダイオウイカの映像のインパクト。またその映像が、どんなSF作家にも演出家にも作り出せないくらい、美しいし神秘的だし(あのメタリック・ゴールド、大きな目)。あ、でも久石譲の音楽は、映像の魅力を三割増しくらいにしているかもしれない。

 このプロジェクトに参加した科学者たちの、生き生きした表情も印象的だった。深海生物の出現や撮影に立ち会ったときの、子どものように無邪気な喜びかた。好きなことを仕事にするって、こういう表情をつくるんだな、と思った。とりわけ、40年にわたってダイオウイカを追ってきた窪寺恒己博士が潜水艇に乗り込み、ついに23分間、生きたダイオウイカとの邂逅を果たしたあと、チームメイトが拍手で迎えるシーンは感動的だった。窪寺博士と同様に、未知の何かのために人生を捧げている研究者が、世界中にいるんだろうな。そういう時間のかかる基礎研究を「税金の無駄遣い」で切り捨てないでほしいな…。

 私は子どもの頃、ジュール・ベルヌの『海底二万里』が大好きで、繰り返し貪り読んだ。ベルヌの作品の中では一番好きだったと思う。科学と虚構がほどよくブレンドされた「現実味のある空想科学小説」だったし。一方で登場人物には、子供心に謎を残す複雑な陰影があった。ノーチラス号が遭遇する巨大生物は、原文では「タコ」と「イカ」が混用されているという。私が読んだ本も、あるものは「イカ」、あるものは「タコ」になっていたと思う。

 それにしても、ダイオウイカの出現ポイントが小笠原諸島沖にあるとか、深海ザメの王国が駿河湾・相模湾にあるとか聞くと嬉しくなる。石油や鉱物資源があると聞くより嬉しい。どうか日本人が、この貴重な隣人と末永く付き合っていけますように。
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五彩手の素朴美/出光美術館 日本陶磁名品選(苫小牧市美術博物館)

2013-08-10 22:08:54 | 行ったもの(美術館・見仏)
苫小牧市美術博物館 開館記念『出光美術館 日本陶磁名品選-江戸時代前期の多彩な装飾世界-』(2013年7月27日~8月25日)

 札幌から鉄道で約1時間。はじめて苫小牧市を訪ねてみた。同館は、もと苫小牧市博物館と呼ばれていた施設を、先月、美術館機能を併せ持つ複合施設としてリニューアル開館したばかりらしい。この展覧会は、出光美術館が所蔵する江戸時代前期の色絵磁器を、古九谷を中心に70点余り展示するもの。ああ~やっぱり素晴らしかった。

 東京の出光美術館が「古九谷」を特集したのは、調べてみたら、2004年(古九谷-その謎にせまる-)だった。私にとっては、日本のやきものって面白い!という出発点になった展覧会で、強く記憶に残っている。当時、私が特に惹かれたのは、大胆な意匠の「青手」だが、今回は、冒頭の「五彩手」に魅入られた。はじまりは、中国の青花芙蓉手や呉須手をモデルに幾何学的な区画を重んじ、緑・黄・青・紫・赤の五彩に塗り分ける格調高いデザインだったものが、次第に山水・人物・花鳥などを自由奔放に描く「雅味ある意匠」に転じていく。

 いやほんとに鳥や小動物が可愛い。無人の山水図も可愛い。時間をかけて丁寧に可愛く描こうとしていないのが、ゆるくてかわいい。「つきしま かるかや」的素朴美である。もしかして東京の出光美術館では、数々の名品の影に隠れて、なかなか出番のない作品が来ているのではないかしら。そうだとしたら、逆に得をした気分。

 裏面に「承応弐歳」(承応二年)という銘を持つ作品が2件。ひとつは、牡丹のような八重の梅を赤一色(枝は黒)で描いた、ちょっと西洋風のデザインの五客揃いの角皿だった。4代家綱の時代で、17世紀の中葉である。

 最も古九谷らしいデザイン(と私が考える)「青手」は20点ほど。青い太湖石の上に片足立ちした鳥が、牡丹の葉をついばむデザイン、記憶になかったけど、面白いと思った。虎文は戸栗美術館のマークを思い出した(あれは染付?)。斬新なデザインに見覚えがあって、あっ西瓜文!と思った大皿は、出品リストをよく見たら「南瓜文」とあった。長円型の縞模様の実で、中国でよく見るスイカに似ているのだが。

 「赤絵」が10点ほど。色絵梅竹酒瓶は、余白の広さが柿右衛門を思わせる。細い頸の部分の文様の処理がオシャレ。最後に、瑠璃釉、鉄釉などを少しずつ。本物の古典美にひたれて、楽しいひとときだった。
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管弦の遊び/天理大学雅楽部 北海道公演(札幌)

2013-08-07 21:08:29 | 行ったもの2(講演・公演)
札幌市教育文化会館 『天理大学雅楽部 北海道公演』(2013年8月6日、18:30~)

 東京にいたときから、機会があるごとに雅楽公演を見てきた。天理大学雅楽部の存在は、もちろん知らないわけはないので、ときどきホームページを覗いて、東京公演ないかな~とチェックをしていた。しかし、なかなか観覧の機会にめぐまれないままでいたら、先月、札幌市内某所で、この公演のポスターを見つけて、びっくりした。

 18:30の開演に間に合うように職場を飛び出すのは気が引けるが、なんとかなるだろう。しかし、北海道で雅楽公演なんて、お客は入るんだろうか?と余計な心配をしていた。それが行ってみたら、大ホール(1,100席)「完売です!」という会話が聞こえた。2階席の上のほうは少し空いていたかもしれないが、確かによく入っていた。全席自由で、私が入場したときは、まだ1階に探せば空席があったが、全体のフォーメーションが見えたほうが楽しいだろうと思い、2階の最前列に座ることにした。

 プログラムは、伎楽「迦楼羅」、管弦「越天楽」「陪臚」、謡物(催馬楽)「我家(わいえ)」、舞楽「納曽利」「太平楽」と、バラエティに富んだ構成。札幌在住のOBだというおじさんが舞台袖に上がって、各演目の簡単な解説をつとめた。実は、プログラムに佐藤浩司先生のお名前があったので、昨年の国立劇場での伎楽公演と同様、解説なさるのかな、と思って、楽しみにしていたら、さっきtwitterで「軽度の脳梗塞の為検査入院」というつぶやきを見た。では、あのOBのおじさんはピンチヒッターだったのかしら。「天理大学雅楽部の北海道公演は40年ぶりです」という言葉に、奇縁を感じた。

 伎楽「迦楼羅」は復元曲なんだろうな。子供にもわかる単純な所作芝居。10人ほどの楽隊が、舞台の下手に整列して楽を奏する。二人の農夫(紙か布の仮面)が畑を耕していると、イタズラものの迦楼羅が作物を食い荒らしにくる。毘沙門天が現れて、迦楼羅を改心させ、以後、悪虫を退治する益鳥(霊鳥)となる。という説明だったが、現れたのが、二人の巨漢(金剛力士?)を左右に従えた、白髪眉のおじいちゃん(太孤父)だったので「?」と思った。あの腰の曲がったおじいちゃんが毘沙門天の化身という設定らしい。伎楽は舞台を踏み鳴らす音が所作のアクセントになっていて、そこが舞楽と異なるように思った。

 管弦で場面転換。周囲に朱の欄干が巡らされる。舞台上には15、6人が、色とりどりの直衣姿で座す。背景が青一色なので、海の底の平家一門みたいだなあ、などと妄想する。「音取」に続いて、ゆったりした「越天楽」と、いくぶん調子の早い「陪臚」を演奏。

 場面転換して謡物(うたいもの)。楽人は後方に退き、前方には鶴翼の形に10人ほどが並ぶ。中央の1人が笏拍子を鳴らしてリズムを取りながら、催馬楽「我家」を唄う。のびのある男声が耳に心地よかった。歌詞は全く聞き取れなかったが、源氏物語にも登場する「大君来ませ、婿にせむ」という、あれのことか。もう少しくつろいで唄ってくれてもよかったのに。曲数ももっと聞きたかった。

 ここで15分休憩。第二部は舞楽。舞台の左右に楽人。最初は、右方(高麗楽)の「納曽利」。装束は黄色の袍に、緑色の裲襠(りょうとう、モコモコした房のついたエプロンみたいなもの)を付ける。ぴょこぴょこ飛び跳ねる様子がかわいい。続いて、左方(唐楽)の「太平楽」。昨年、東京の国立劇場で見た『四天王寺の聖霊会』のフォーメーションと、少し違うような気がしたのだが、単に私の気のせいかしら。この曲は、芸術的に完成された熟練の舞人よりも、多少雑なくらい元気な若人が舞うほうが、覇気が感じられていいと思う。隣りの席にいた小学生くらいの男子が、目を輝かせて見ていた。そうだよね、カッコいいって思うよね。最後に「長慶子」を奏して、しみじみと幕。

 北海道公演は、このあと小樽、函館、旭川と続く。ぜひまた来年も札幌に来てほしい。
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とりあえず読んでみる/戦後史の正体(孫崎享)

2013-08-05 00:53:45 | 読んだもの(書籍)
○孫崎享『戦後史の正体:1945-2012』(戦後再発見双書) 創元社 2012.8

 とりあえず虚心坦懐に読んでみよう。話はそれからだ。著者は1966年に外務省に入り、外交官としてキャリアを積み、情報部門のトップである国際情報局長もつとめた、2002年から2009年までは防衛大学校で安全保障について講義した人物。そんな著者が、嬉しいことに「高校生にでも読める」ように、戦後の日米関係史を総ざらいに語ったのが本書である。

 記述は1945年9月2日、戦艦ミズーリ号上における降伏文書調印式から始まる。「みなさんはこの降伏文書を読んだことがありますか?」と著者は問いかける。確かに、日本人が国際社会に生きようとするなら、知っておかなければならないのは、8月15日の玉音放送ではなくて、降伏文書であるはずだ。そんなふうに、本書はわれわれのガラパゴス化した戦後史の固定観念を、公文書等の客観的な物証に基づき、ゆさぶる一面を持っている。

 本書は日本の戦後史を、米国から加えられる圧力に対する「自主」路線と「追随」路線の相克として描き出している。それは、日米の外交史にとどまらない。対ソ連、対中国など日本の外交政策全般ともかかわるし、日本の内政問題にも深く影を落としている。

 敗戦直後の10年は「追随」路線の吉田茂と「自主」路線の重光葵が激しく対立した時代だった。それから岸信介と保守合同の時代に続き、経済成長の1960年代。このへんから私の記憶に残る首相たちが次々に登場し、厳しい評価の俎上にのる。同時代の印象とは180度異なる評価を与えられている首相もいて、興味深かった。参考までに、著者の分類まとめ(367頁)を引用しておくと、以下のとおり。

(1)自主派…重光葵、石橋湛山、芦田均、岸信介、鳩山一郎、佐藤栄作、田中角栄、福田赳夫、宮沢喜一、細川護熙、鳩山由紀夫
(2)追随派…吉田茂、池田勇人、三木武夫、中曽根康弘、小泉純一郎
(3)一部抵抗派…鈴木善幸、竹下登、橋本龍太郎、福田康夫

 岸信介が、1960年の新安保条約締結など「対米追随一辺倒」に見えて、実はそうでない人物だったのではないか、という指摘には大いに共感。このひとは、私もよく分かっていないけど、まだまだ研究すべき余地があると思う。佐藤栄作も、米国との蜜月を保って、長期政権と経済成長を達成したイメージが強かったけど、本書を読むと、首相としての晩年は、ずいぶんニクソンに嫌われたんだなあ。尖閣諸島問題について米国が日本の主張に対する支持を修正し、曖昧な態度を取り始めたのも、この頃からだという。

 なぜか上述の分類から名前が落ちているが、今日、非常に評価の高い大平正芳は「追随派」と見られている。大平が、福田政権の「全方位外交」の旗を降ろし、「対米協調」路線に舵を切ったことが、のちの中曽根、小泉ラインにつながった。「日米同盟」という言葉を公式の場で初めて使ったのも大平だという。逆に「田舎の村長」呼ばわりされて、私もほとんど忘れていた鈴木善幸の外交哲学を、著者は高く評価する。最近の話では、福田康夫首相が、まるで政権を投げ出すように突然の辞任をした水面下では、米国からの圧力(巨額融資の依頼)と戦っていたというのも、納得がいくように思った。

 また、本書執筆の時点まで、25年以上にわたって続いてきた「円高」が、竹下、中曽根政権時代、「米国産業が国際競争に負けるのは米国が悪いのではなく、相手国が悪いからだ」と言い始めた米国をなだめることから始まった(1985年、プラザ合意)というのも、なるほどねえ、と思いながら読んだ。そうすると安倍政権のもとで「円安」が許されるようになった現在は、何が変わったのだろう。経済オンチの疑問として、つぶやいておく。

 ただし、本書には、米国に抵抗し「自主」路線を取ろうとした政治家や官僚の多くが、短期間で権力の座から引きずり降ろされているだけでなく、よく分からない病気や不慮の事故で亡くなったことを、やや思わせぶりに記述しているところがあって、私は少し居心地悪く読んだ。こういうところが、「謀略史観」「陰謀論」と言われて、本書が排撃される理由になっているように思う。まあ、どこまで共感し、信用するかは読者の自由裁量である。読んでみるに如かず。
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休日のつぶやき・札幌暮らし5か月目

2013-08-04 10:14:11 | 日常生活
8月になった。札幌暮らし5ヶ月目に入る。

北海道の夏は過ごしやすい。北海道の冬がどれだけ厳しいかは未体験だが、自然な一日の寒暖とともに暮らせるこの数か月は宝物だと思う。というか、人生50年を過ごしてきた東京(関東)って、夏は猛暑だし、冬はそれなりに寒冷だし、こんなふうに自然に過ごせる季節なんて、1年に何か月(何週間?)あっただろうか、と思い出す。それでもなお、イベントや情報にあふれた「劇場都市」東京が恋しいけど…。

東京や関西に出かけた週末は、展覧会やイベントを、以前に増して貪欲に回ってくるので、疲労困憊する。札幌で過ごす週末は完全休養。このリズムも、だんだん身についてきた。

ブログを書いていると、アクセスログから思わぬ情報を得ることがある。

このところ「凡て汝の手に堪ることは力を尽くしてこれを為せ」(堀田善衛『天上大風』に引用されている旧約聖書の言葉)が検索キーワードの上位に上がっているので、何事かと思ったら、スタジオジブリの新作映画『風立ちぬ』に関係しているらしい(→ジブリ ファンサイト)。ふうん。私は、宮崎駿作品は「ナウシカ」くらいしか見ていなくて、関心が薄いので、知らなかった。むしろ堀越二郎と零戦、さらに戦前の航空工学については、むかし関連書籍を読み漁ったことがある。近代戦争と科学者(技術屋)のドキュメンタリーは、ところを問わず、それだけで面白い。

それから、数日前、突然「小浜 若狭の秘仏」の検索ワードが増えたので、もしやと思ったら、今年(平成25年度)の『みほとけの里 若狭の秘仏 特別公開』の詳細が発表されていた(→福井県のページ)。昨年は、うれしくて東京から1ヶ月に2回も参加してしまった(初回再訪)。

まさか今年、北海道に移住していようとは思わなかったが、この秋も必ず1回は行きたい。運転免許を持たぬ身としてはバスツアーがたよりなので、完全確保できる週末を探して、早く申し込まなくては…。バスツアー詳細のページからパンフレットをダウンロードして、いま日程検討中である。
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週末・東京の美術館めぐり(4)/和様の書(東京国立博物館)

2013-08-03 14:48:01 | 行ったもの(美術館・見仏)
週末東京旅行2日目(7/28)。朝のうちにひとつ用事を済ませて、さらに午後から別の用事があるので、フリータイムは3時間くらい。それでも東博に1時間半くらいはいられるかなと思い、出かける。

東京国立博物館 特別展『和様の書』(2013年7月13日~9月8日)

 中国の書法の影響を受けながら独自の発展を遂げ、仮名と漢字が融合した「和様の書」を展観。やっぱり書の展覧会って、なじみがないと思われたのだろうか。第1章(第1室)が、光悦の『鹿下絵和歌巻断簡』とか、屏風、蒔絵、小袖など、書にかかわる工芸中心につくられていることに違和感。それは枝葉末節ではないのか。あと信長・秀吉・家康の自筆を並べて、戦国三傑の筆跡を見比べてみよう、みたいな。いやいや、そんなことはどうでもいいから、と舌打ちして、奥へ急ぐ。

 寸松庵色紙「あきはきの」(五島美)・継色紙「よしのかは」(文化庁)・升色紙「むはたまの」(五島美)が並んでるあたりまで来て、ほっとする。こういうのを見に来たんだから。三色紙は、8/6から展示替え。図録写真で見ると、寸松庵色紙(三種あり)の料紙がどれもきれいだ。でも図録だと表具を一緒に楽しめないのが惜しい。「よしのかは」の解説に「古様の仮名を使った」というのは、書風のことなのかな。それとも「か」を「可」でなく「閑」、「は」を「波」でなく「者」の変体仮名で書いているとか、そういうこと?と考える。

 京博の『藻塩草』は、展示室の長い壁に沿って、ほとんど解説を挟まず、ひたすら広げてあって、無心に眺めた。なぜ冒頭が定信筆「戸隠切」?といぶかしんだが、聖徳太子筆という伝承があるからか。所収の「高野切」は、連綿が強いので「う~ん第二種かな」と素人判断。ネットで答え合わせした限りでは、合っているみたいで嬉しい。第2室も、MOAの『翰墨城』がひたすら開いている。やっぱり冒頭は「戸隠切」。こっちの「高野切」は一種か三種か判断がつかなかった。まだまだです。正解は一種。個人的にイチ押しは『藻塩草』所収の「岡寺切」。きれいだなあ、書も料紙も。

 第1室から第2室に移動する壁に、いくつかの書作品が拡大してあしらわれている(確か黒っぽい壁に白文字のデザイン)。あくまで展示室の装飾なので、何の説明もないのが却って素敵で、しばらく足を留めて、うっとり眺めた。そのうち、中央の書の特徴ある文字が、藤原佐理の『国申文帖』であることを思い出した。ということは、両隣は小野道風と藤原行成か。ええと、どっちがどっちだっけ?

 第2章(第2室)「仮名の成立と三蹟」を見ながら、壁の装飾に使われていた作品を探す。ああ、円珍に「智証大師」の諡号を贈る勅書(醍醐天皇より)を揮毫しているのは小野道風なのか。男性的で、墨つきの濃いド迫力の書。このひとは柳とカエルの逸話とか、あまりにも多くの作品の「伝承筆者」に祀り上げられてしまったため、実像が見えなくなってしまって、可哀相だ。実質は、中国の普遍的書法を徹底的に学んだ唐様の人だと思う。「屏風土代」の漢詩に見覚えがあって、どこで見たんだろう?と考えていたが、京博の『宸翰(しんかん)』展だった。本展での展示は8/13から。『玉泉帖』はいいものを見せてもらった。好きだわーこの自由闊達さ。中国の連綿草の名手を挙げて比べてみようと思ったけど、そんな比較が無意味なくらい、確固とした独創性と魅力に満ちている。行成は、いちばん謹直で常識人の書だな、と思う。

 このへんで正午。すでに1時間経過していることに気づき、焦る。第3章は「信仰と書」。見どころは『平家納経』の「法師品」だろう。あ、でも図録は「書」に集中しているから、笛・鞨鼓・磬・蓋・幡など、飛天の持ちものだけ(飛天の姿なし)を描いた可憐な見返し絵は収録されていないのか。残念。経文は「当代随一の能筆の手になる」という。以上、戎光祥出版のムック本『国宝 平家納経』による。展示替えあり。

 その直前の『久能寺経』も同時代の名品。待賢門院璋子の逆修供養(生前供養)のため、鳥羽院および美福門院得子が中心となって院近臣・女房らが結縁したものという説明を読むと、感慨深い。『目無経』は、後白河法皇を中心に制作されていた絵巻が、法皇の崩御によって中止されたため、写経の料紙に転用されたものと伝える。経文の書写者の静遍(じょうへん)は平頼盛の子。晩年の西行の書跡もあったり、いろいろとすごい。大阪の藤田美術館で見たことのある『阿字義』も来ていた。

 第4章以下、いよいよ本格的に古筆(かな)の美が展開するところは、あきらめて30分で流し見る。8月にもう1回、東京に来よう。でも『古今和歌集 巻十七(曼殊院本)』が崇徳院の秘蔵本であったことは見逃さなかった。巻末に「新院御本」ナントカという跋文がある。いつまで持っていらしたのだろう。やはり都落ち前までか。

 後半には、藤田美術館の『善無畏金粟王塔下感得図』(~7/28)や『平治物語絵詞・六波羅行幸巻』(~8/4)も出ていた。どういうサービスなのかと思ったら、前者は藤原定信筆、後者は藤原教家筆の書跡を示すためであるらしい。

 ということでこの日はタイムアップ。八月中に必ず再訪問の予定(ねらいは8/6~登場の藤原忠通書状)。午後は池袋で同窓の友人と会い、夕方、札幌に戻った。この日も東京から友人が訪ねてきていて、遅い時間から駅前で飲む。どこが本拠なんだか、ヘンな生活w
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週末・東京の美術館めぐり(3)/つきしま かるかや(日本民藝館)

2013-08-03 01:41:45 | 行ったもの(美術館・見仏)
日本民芸館 特別展『つきしま かるかや-素朴表現の絵巻と説話画』(2013年6月11日~8月18日)

 同館所蔵の室町時代の絵巻『つきしま(築島物語絵巻)』とサントリー美術館所蔵の絵入本『かるかや』。この二作品をを軸に、絵巻物、物語絵、十王図など素朴表現の絵画を展観。ちょうど私が東京に行こうと決めていた週末に、矢島新先生の記念講演会『素朴絵と柳宗悦』(7月27日、18:00~)があることが分かったときは嬉しかった。こういう遅い時間からの講演会は珍しいと思うのだが、時間を有効に使えるという点で、私はありがたく感じた。16:00過ぎに入館して、まず大展示室の作品をじっくり見る。大展示室は17時に閉室になって、そのあと、講演会場に模様替えする。その間、館内のほかの展示室を見て、時間をつぶす。けっこう余裕があったので、外に出て、お茶でも飲んできたかったのだが「一時退出はできません」と言われてしまったので、ガマン。

 定刻になると、学芸員さんが銅鑼を叩いて館内をまわりながら「開場しま~す」と知らせてくれた。さっきまで、大展示室の中央にあった『築島物語絵巻』の展示ケースが外に出され(『かるかや』は別室)、50~60席ほどの椅子が並べられている。ただし、それ以外の展示物はそのままで、講師の演台と映写用スクリーンが『御馬印屏風』の前に置かれているのが可笑しかった。

 講師は、1989年に渋谷区立松涛美術館に就職し、1993年に『中世庶民信仰の絵画』という展覧会を実施した。このとき、『築島物語絵巻』を借り受けたとおっしゃっていたと思う。もともと日本人の美意識には、中国文明の完璧主義・普遍主義とは相容れない「素朴好き」の遺伝子がある。さらに、古代社会の崩壊とともに、寺院や神社は貴族の保護だけに頼っては存立できなくなり、庶民への布教の重要性が増す。そこで庶民にも分かる「素朴な信仰絵画」が生まれたのではないか、と推察。『厳島明神縁起』『長谷寺縁起』『富士参詣曼荼羅』(※狩野派でないもの)などのスライドを紹介する。

 また、室町中期の「わび茶」の発生と比較し、井戸茶碗(無作為の素朴美が発見されたもの)-楽茶碗(創作された素朴美)-織部(意図的に強調された素朴美=ゆがみ)という構造が(※私の理解です)絵画作品にも当てはまるのではないか、という仮説も面白かった。この展覧会で扱う「つきしま かるかや」的素朴美と「南画や俳画の素朴美」「禅画の素朴美」って、ちょっと違う気がする…気がする一方で、「つきしま かるかや」的素朴美が、本当に「無作為の素朴美」なのかどうかも分からないよねえ。

 庶民は常に素朴を愛するかといえば、そうではなくて、江戸時代後期の庶民の好みは高度な技術を要求する劇画タッチだった。明治初期は西洋的リアリズムが尊重されたが、大正時代には「素朴」好みが復活する。

 『築島物語絵巻』について、根津美術館にほぼ同じ図様の絵巻(ただし日本民芸館本よりかなり写実的で巧い)があるそうだ。並べて見たいなあ。それから、この『築島物語絵巻』、以前から好きだったのだが、清盛の経ヶ島造営譚→幸若舞曲『築島』をもとにしているという認識は薄かった。先日行った神戸の来迎寺(別名・築島寺)が、まさにこの絵巻の舞台なのか。絵巻をよく見ると、お菓子のひよこみたいなモコモコした造形の一人に「しやうかい」(浄海=清盛)と書かれた場面があり、隣の女性二人は「きをう」(祇王)「きによ」(祇女)である。そうすると烏帽子に白装束の起き上がりこぼしみたいなのが宗盛で、端近くに控えているのが盛国かな、などと想像する楽しみが増えてしまった。

 講師は、いま江戸時代の十王図や地獄絵の調査研究を行っているそうで、滋賀の宝幢院、千葉の長柄町、葛飾区の東覚寺(白衣の二人はキリシタン?)、川崎の明長寺、春日部の円福寺(地獄絵レリーフ)、品川の長徳寺などの作品を見せてもらった。面白いな~。日本民芸館所蔵の『十王図屏風』(淡彩のほう)もかなり好きな作品だ。いつか集めて展覧会をやってほしい。中国や朝鮮の庶民信仰の絵画(六道輪廻図)との比較考証もしてほしいところだが、中国の場合、石窟や寺院の扉などに直接描かれる場合が多いから、なかなか持ってこられないだろうな。

 展示には大津絵もいくつか出ていた。為朝とか弁慶とか頼光とか、役どころから言えば「劇画」調の似合う武者を、素朴タッチで描くギャップが面白いのだろう。室町時代の『調馬図』断簡は、人の腕に噛みつく白馬の猛々しさが描かれている。素朴絵の対極のようなリアリズム作品。

 講演が終わったとき、外がどしゃぶりになっていて、どうしようかと思ったが、30分ほど雨宿りしている間に、なんとか傘なしでも駒場東大前駅まで走っていける程度の降りまでおさまった。館内の照明に灯がともった、夜の民芸館は初めての体験で、雰囲気の違いが面白かった。『つきしま』全編の図版の掲載された図録を購入。欲しかったので、嬉しい。
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週末・東京の美術館めぐり(2)/書のチカラ(出光美術館)、曼荼羅展(根津美術館)

2013-08-02 23:32:35 | 行ったもの(美術館・見仏)
出光美術館 『文字の力・書のチカラII-書と絵画の対話』(2013年7月6日~8月18日)

 2009年1月の企画展『文字の力・書のチカラ-古典と現代の対話』につづく第二弾だそうだ。確かに第一弾は見に行っている。今に比べると、書を鑑賞するための基礎知識が全然不足していた頃だが、それなりに面白かった。今回は副題のとおり、「書における絵画的な表現」に注目した展覧会だというが、前半では、やはり『高野切』第一種や『継色紙』(あめにより)に見入ってしまう。

 いちばん印象的だったのは後陽成天皇筆『天照皇太神』の一行書。このひとの仮名はそんなにいいと思わないのだが、大きい字は魅力的だ。17世紀の光悦が制作した『古今和歌集巻』の和歌を拾い読みながら、古今集って(10世紀初め成立)ずいぶん長く日本人の美意識の基盤として作用したんだなあと感慨深く思う。書の展覧会だと思って来たのに、(伝?)雪舟の『破墨山水図』があったり、池大雅『瀟湘八景図』の4幅、白隠、仙、玉堂などの水墨作品が多数出ていたので、絵画も好きな私には得をした気分だった。

 作品解説が感覚的・抒情的なのは好みが分かれるところだろう。私は、五島美術館のような、実証的で手堅い解説のほうが好み。五島を先に見てきてよかった。

根津美術館 コレクション展『曼荼羅展 宇宙は神仏で充満する!』(2013年7月27日~9月1日)

 仏画&院政期(平安後期)の絵画好きとして、ものすごく期待して行ったのだが、裏切られなかった。至福のひとときを過ごすことができた。コレクション展だから、だいたい一度は見た記憶がある作品だったが、 何度見ても、見るたびによい。12世紀の『大日如来像』は修復を終えて初の展示だというが、いつ以来だろう? これまでコメントした記録がないが、2010年の『いのりのかたち』で見ているのではないかと推測する。赤い唇、透き通るような美肌。同時代の美女たちもこんなふうだったのだろうか。

 そして『両界曼荼羅』だが、今回とてもよかったのは、それぞれの曼荼羅の世界観(見方)が矢印入りの図で解説されていたこと。特に「金剛界曼荼羅」は、右下から円を描くように中央に至るのが、悟りに至るプロセス(向上門)だと知った。そのとおりに視線をめぐらせてみると、九つの小区画の、色と形の変化が、まるでアニメーションのように感じられる。「胎蔵界曼荼羅」も、中央の大日如来の慈悲が外へ外へと広がるとともに、悟りを求める人々の願いが集まってくることを意識すると、やはり曼荼羅が動き出す感じがする。

 『金剛界八十一尊曼荼羅』は、前述の『いのりのかたち』展で、大好きになったものだが、「金剛界曼荼羅」の「成身会」の区画に相当することを理解する。えええ、この大きさが九倍になったら、どんなに壮麗な曼荼羅だったろう! 滋賀の金剛輪寺に伝えられたという由来を、あらためて認識。柔らかいアザミみたいな(葉っぱはアサガオみたいな)宝相華が愛らしい。鎌倉時代の『愛染曼荼羅』(これも修復後、初展示)の宝相華も、藍色の池水に浮かぶスイレンに見える。古代的な極彩色の「宝相華」より、写実的な草花の姿を愛でる美意識が育っているのかもしれない。

 南北朝時代の『求聞持虚空蔵菩薩・明星天子像』の明星天子は龍の背の蓮台に立つ。四臂で、両手で珠を捧げ持ち、残る手に持つのは錠と印判かな? 面白い。頭上の月輪の中には虚空蔵菩薩。『如意輪観音・不動明王・愛染明王像』を1幅に描いた図は、「密観宝珠」といって、日本で創り出された密教画像だそうだ。こういう「ローカル」な文化や信仰が成立する過程はとても面白いと思う。

 鎌倉時代の『愛染明王像』は、胴を細く絞った台座に座し、ゆらゆら蠢くような火焔光背も独特。法勝寺安置の仏像との関連が指摘されているそうだが、煩悩と愛欲を力の源泉とした白河院に似合いすぎる。別の『愛染明王像』は金目を大きく剥き、口からは裂帛の気合が漏れそうな、迫力の画像で、画面上部の偈文は、後醍醐天皇の宸筆とする説がある。権力者と愛染明王の縁は切っても切れない。

 ほっとなごむのは『大日金輪・如意輪観音像』の厨子。色鮮やかな五輪塔を描いた薄型の厨子と、その中央にはめ込む慳貪板(けんどんいた)が別々に展示されている。慳貪板の片面には、足の短い獅子に乗った、すまし顔の大日金輪。裏面には、妙にくつろいだ風情の如意輪観音。どっちも可愛い。

 展示室2も仏画(垂迹曼荼羅など)が続き、展示室5は茶釜。展示室6は、さわやかに「盛夏の朝茶事」。根津美術館は、あまり展覧会図録を作らないのだが、最後にショップを覗いてみたら『根津美術館蔵 密教絵画 鑑賞の手引き』というソフトカバーの冊子を売っていた。奥付を見ると、2013年7月発行だから、この展覧会のために作られたものだろう。気になる細部の拡大図像も載っていて、とてもありがたい!

 長い1日は、さらに続く。
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週末・東京の美術館めぐり/日本の名蹟(五島美術館)

2013-08-01 22:40:07 | 行ったもの(美術館・見仏)
ここから、7月27-28日の東京レポートである。26日(金)21:25発の便で新千歳空港(札幌)を発つ。早い時間の便は、悪天候の影響を受けて、遅延や欠航が相次いでいたようだが、私が予約した便は、ラッキーにも順調な運航で羽田着。翌日は、気合いを入れて、東京美術館めぐりに出発。

五島美術館 春敬記念書道文庫創立30周年記念特別展『日本の名蹟-和様の書の変遷』(2013年6月22日~7月28日)

 札幌に引っ越して「東京の美術館」を思い出すとき、なぜかいつも最初に私の脳裡に浮かぶのが、この五島美術館である。本展は、書家・古筆研究者の飯島春敬氏(1906-1996)のコレクション「春敬記念書道文庫」から日本の書蹟の名品約100点を選んで展観する。春敬記念書道文庫は1983年、社団法人書芸文化院内に設けられた。そうか、今回の展示品は五島美術館の所蔵品ではないのか。というのは、実は、さっき気付いたことで、会場では、おお~五島美術館、こんな作品も持っていたのか!すごい!と、感心しまくりながら見ていた。

 冒頭には、宇治橋断碑や仏足石歌碑の拓本が数点。これらの金石文資料を「書体」の観点から眺めるのは、初めての体験である。軸装された正倉院文書は、表裏両面が見えるようになっており、日常的なメモと清書した公文書の書体の差を比べることができる。

 美しい!と声をあげそうになったのは、空海筆『金剛般若経開題断簡』。大らかで品のある四行の漢文だが、よく見ると真ん中に切り継ぎがある。二行ずつ別伝来した(前半は手鑑『翰墨城』に貼ってあった)ものを益田鈍翁が合わせたそうだ。ええ~大胆。伝・藤原行成筆の仮名消息は、中央が丸く擦り切れて裏が浮き出ている具合が、モダンアートみたいだった。釈文は「こひすればわがみぞかげとなりにける さりとて人にそはぬものゆゑ」で、私の好きな古今集の歌だ。ただし「連れ」と見られる断簡には後撰集の歌もあって、今では知られない歌集の可能性もあるという。面白いな。同じく伝・行成筆の『関戸本古今和歌集』も、たっぷりした墨色に品格を感じる。

 展示品は、基本的に展示ケースの壁に掛けてあったが、前方に台をつくって、見やすいように配慮されていたのが『高野切』。第一種、二種、三種を、比較しやすいように並べるというサービスぶり。おおお!大興奮してしまった。この断簡で見ると、第一種の美しさが抜きん出ていることに納得する。特に「み」が好きだ。このあと、少なくとも会場内では、「あ、これは高野切第二種系統の仮名」とか「第三種に似ている」というのが分かって、嬉しかった。『伊予切』(これも伝・行成筆、和漢朗詠集)が掛け並べてあったのも、くらくらするほど美しかった。これも書風に第一種、二種、三種がある。

 『元暦校本万葉集切(有栖川切)』は「それまでの仮名のイメージを変える新書風」なのか。確かに11世紀から12世紀に入るあたりで、書風に変化がある。書風だけでなくて、社会や文化が大きく動いた時代でもある。『銀切箔唐紙切』の個性的な書風も好き。伝承筆者は源俊頼だが、定実の筆と推定されている。『石山切・貫之集下』にも見入った。こちらは、定実の長男・定信。多数の作品を残しているが、何というか、琴線に触れる繊細さがある。

 展示室2に移り、藤原教長の筆と推定される『今城切』あり。息の長い「連綿」ではなく、数字ずつ切れる感じが、のちの嵯峨本の活字みたいだとちょっと思った。鎌倉以降の古筆には、今様を記した『田歌切』(朱点がついている)や、ただの手紙なのに余白のバランスが美術品みたいに絶妙な、本阿弥光悦の書状とか、面白いものがあった。最後の『西行物語絵巻断簡』には、宗達絵のおまけつき。

 書を眺め、書かれた和歌を味わい、さらに料紙や表具を愛でる。解説に学ぶことも多くて、何重にも楽しめる贅沢な展覧会だった。名残りを惜しみながら、次へ移動(以下、続く)。
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