見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

サハリン旅行2015【5日日】ユジノサハリンスク→コルサコフ→稚内

2015-08-14 20:48:31 | ■アジア(中国以外)
朝、専用車でコルサコフの港まで送ってもらい、ガイドさんたちと慌しくお別れする。サハリンは、どの街でも団地が目立っていた。キューブを積み上げたような造りが特徴的だった。



帰りもフェリーで約5時間半。少し到着が遅れたが、快適な船旅だった。出発前と同じ、南稚内のビジネスホテルに宿泊。夕食は、副港市場の和食レストランへ。稚内限定だという日本酒「最北航路」が美味しかった。中身は男山だから、当然なんだけど。



翌日は、稚内から羽田直行便に乗る者、普通列車とバスで留萌方面に出る者と、各自バラバラに帰京の途につく。私はスーパー宗谷で札幌に出て、今年4月にオープンした北海道博物館に立ち寄ったのだが、それはまた別稿としたい。

(8/18記)
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サハリン旅行2015【4日日】再び、ユジノサハリンスク

2015-08-13 20:43:03 | ■アジア(中国以外)
朝8時過ぎ、寝台列車はユジノサハリンスクに着いた。ガガーリンホテルに戻って朝食をとり、隣接するガガーリン公園を散策する。日本統治時代は豊原公園と呼ばれており、「王子ヶ池」と刻まれた石碑や祠の基壇などが残る。また、鉄道学校の生徒たちが運営する「子供鉄道」が約12分で園内をめぐっているが、まだ営業時間前だったので、乗車はできず。↓写真は、恐竜の骨格のかたちをした、本のリサイクルボックス。読み終えた本を持ち寄って、交換するためのもの。



この日も日本統治時代の痕跡を訪ねてまわる。市東部の丘陵の中腹には、かつて樺太唯一の官幣大社・樺太神社があった。神社本殿のあったところには、公務員の別荘(とガイドさんが言っていた)が建ち、現在は個人所有の邸宅となっている。フェンスの中に「奉献」の文字のある石標が残り、フェンスの外にコンクリートで校倉造を模した宝物蔵らしきものが残っている。公園の中にある参道は、最近きれいに整備されて、往時の面影はなくなってしまった。

ほかにも樺太庁豊原病院、樺太守備隊司令官邸(樺太庁博物館旧庁舎)などを見学。最も保存状態がよかったのは、北海道拓殖銀行豊原支店↓。裏側に継ぎ足し増築されて、サハリン州立美術館に使われている。



1階は全ての窓に防犯用の鉄格子が嵌まっており、建物外観そのままの飾り板がついているのがオシャレ。ガイドさんが「日本時代の建物は窓が縦長です」と言っていたが、確かにそういうデザインが多い。当時の流行だろうか。設計は、国会議事堂も手がけた矢橋賢吉(やはし けんきち)と思われる。



ビジネスマンでにぎわう町の食堂で昼食。小さな鉄道歴史博物館で、館長の熱心な説明をガイドさんの通訳で聞く。日本統治時代の橋などを見て、あとはお買い物タイム。自由市場に連れていってもらったので、近くにあるはずの「ゴロヴニン像」を見たい、とガイドさんにお願いする。旅行会社から貰った観光地図に載っていたのを、現地に来てから見つけたのだ。ガイドさんは不思議そうな顔をして「むかしのロシア海軍の軍人ですけど、日本とは何も関係ありませんよ」という。いやいや、ヴァシリー・ミハイロヴィチ・ゴロヴニン(ゴローニン)は、千島列島を測量中に松前奉行の役人に捕縛され、2年3か月、日本に抑留されて『日本幽囚記』を書いた人物。私は松前で、ゴロヴニン幽閉の地を訪ねたこともある。ガイドのオリガさんは日本統治時代の樺太には詳しいが、それ以外の時代はよく知らないのかもしれない。



自由市場には、常設店舗のほか、野菜や果物、ベリー、きのこ、搾りたての牛乳などをちょっとだけ自家用車に積んできて、小さなお店を構える素人店主がたくさんいて、楽しかった。



最後に郊外の巨大なショッピングセンターでお土産を調達。無難そうなチョコレートを爆買いし、ペットボトル入りの「間宮林蔵ビール」は夕食後に三人で消費した。

(8/18記)
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サハリン旅行2015【3日日】スミルヌィフ、ポロナイスク

2015-08-12 07:00:21 | ■アジア(中国以外)
早朝5:34、スミルヌィフ駅で下車。待っていた別の専用車に乗って、北へ約30キロメートル移動し、旧国境線(北緯50度線)を訪ねる。70年前の8月には激しい戦闘が行われた地域で、さまざまな慰霊碑や戦勝記念モニュメントを見ることができる。ちょっと中国東北地方の旅を思い出した。

かつては北緯50度線上に、片面に日本語、片面にロシア語を刻んだ国境標石が並べられていた。その遺物は、前日、ユジノサハリンスクの郷土博物館で見ることができたが、この場所に残っているのは、標石を埋め込んだ土台の石組だけである。



周辺にはトーチカ(防御陣地)も多数残っている。のどかな田園風景に打ち棄てられていると、古代か中世の遺跡のようだが、つい70年前に多数の人の生死を分けた戦闘があったことを思うと、胸がざわざわする。南樺太の「戦争」は8月9日のソ連侵攻から始まり、8月15日を過ぎて、いよいよ激しさを増し、9月初めまで継続したことは、この旅行の帰途に札幌旧市庁舎の樺太資料室でおさらいした。



旧国境付近から車で南に下り、港町のポロナイスクへ。日本統治時代の敷香町(しすかちょう)である。ホテルで朝食。まだ朝の9時前だが、すでに半日くらい観光した気分。この日は1日ポロナイスク観光で、午前中は王子製紙工場(↓ここもすさまじい廃墟)と小さな郷土博物館へ。敷香は横綱・大鵬の出生地で、小さな公園にまわし姿の銅像がある(なぜか棒立ち)。



午後はポロナイ川の河口にある中洲島にフェリーで渡り、サハリン先住民の戦争慰霊碑を見る。ポロナイスク周辺には多くの先住民が住んでいる。この中洲島には先住民のための寄宿学校があり、父母がトナカイを遊牧して旅に出る期間(ウィルタか?)、子供は学校に留まるという話が面白かった。

19:00頃に夕食を済ませて、ホテルの部屋で休息。しかし今夜はここに泊まらないのである。深夜1:40に起こしてもらい、車でポロナイスク駅へ。2:34発の夜行列車に乗り込み、ユジノサハリンスクへの帰途につく。2日連続の寝台車。



では、おやすみなさい!

(8/18記)
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サハリン旅行2015【2日日】ドリンスク、スタロドゥプスコエ

2015-08-11 22:44:32 | ■アジア(中国以外)
ホテルに荷物を預けたまま、専用車で、ユジノサハリンスクの北北東(オホーツク海側)に約43キロメートル離れたドリンスクに向かう。日本統治時代には落合(おちあい)と呼ばれた。チエホフの胸像のある公園、図書館に面した小さなレーニン広場などを観光。

ドリンスク駅は、列車の来る気配が全く感じられない田舎駅で、無人のホームでは大きな犬がくつろいでいた。しかしサハリンでは駅舎や列車の撮影は禁止。誰も見ていないと思って写真を撮っていたら、駅舎の二階からおじさんに注意された。



ガイドのオリガさんは日本統治時代の遺跡をよく知っていて、落合の学校にあった奉安殿がまだ残っているという。奉安殿とは、御真影と教育勅語を納めていた建造物である。戦前の小学校には必ずあったものと聞いているが、私は一度もホンモノを見たことがない。まさかサハリンでそんなものを見ようとは思いもしなかった。ユジノサハリンスク(豊原)の博物館の敷地にも移設された奉安殿がきれいに残っていたが、かつての「場所」に立ち続けているドリンスクの遺跡のほうが生々しかった。



↓ドリンスクに1軒だけあった「着物店」の遺構。蔵造りである。旧住民はよく覚えていて、懐かしがるのだそうだ。



旧・王子製紙落合工場も見学。びっくりした。冬場、町に温水を供給するボイラーとして、一部の設備は使われているそうだが、ほぼホラー映画の舞台になりそうな、完全な廃墟である。

↓スタロドゥプスコエ(栄浜/さかえはま)に向かう途中、「日本橋」(日本人が建造した橋)の遺構。ガイドさんの話では、昭和天皇が皇太子時代に南樺太を訪問したとき、この橋で撮った写真が残されているそうだ。



大正時代、詩人の宮沢賢治は、最愛の妹を亡くした直後、ひとりで樺太に渡り、大泊から樺太鉄道に乗って、豊原・落合を経て、終点の栄浜で下り、海岸を散歩し、さらに近傍の「白鳥湖」に寄ったのではないかと言われている。栄浜の駅舎は既に廃され、草むらだけが広がっていた。ガイドのオリガさんが「以前は線路の枕木があったんですけど…」というが、それすら土に還ろうとしている。駅灯だったかもしれない高い柱がぽつんと立っていて、私の好きだった童話、賢治の「シグナルとシグナレス」を思い出した。

白鳥湖を遠望し、栄浜海岸で砂粒のような琥珀を集めて拾う。盛りだくさんの半日を終えて、ユジノサハリンスクのホテルに戻り、昼食。午後はサハリン州郷土博物館を見学した。建物は日本時代に樺太庁博物館として使われていたもの。いわゆる帝冠様式である。博物館の庭には、日露戦争時代や第二次世界大戦時の大砲や戦車も展示されていた。



その後、町の中心部に残る日本時代の建築などを見て歩き、駅前のレストランで夕食。22:30発の寝台列車に乗り、日本ソ連の旧国境に近いスミルヌィフに向かった。

(8/17記)
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サハリン旅行2015【初日】稚内→コルサコフ→ユジノサハリンスク

2015-08-10 00:44:32 | ■アジア(中国以外)
7:30にタクシーを呼んでもらい、国際フェリーターミナルから、サハリン行きのフェリー「アインス宗谷」に乗船する。二等船室の客を見る限り、ロシア人のほうが圧倒的に多い。日本人は二割くらいか。9:00に船が出発し、船内の売店が開くと、ロシア人客が殺到し、お酒やお菓子を爆買いしていた。船内は免税なのである。自働販売機の缶ビール(サッポロ黒ラベル)もなんと100円で、水より安い。



コルサコフ到着はサハリン時間の15:30(1時間の時差あり)で5時間半の船旅である。乗船客には緑茶の缶としゃけ弁当が配られる。出発して1時間くらいすると「日露中間ラインを越えました」というアナウンスがあって、希望者には「国境通過証明書」を配布してくれる。これは帰りの船でも同じだったが、そのときの船長さんの名前が入っており、ハンコの形が行きは円、帰りは四角形で異なる。

はじめは物珍しさに興奮していたが、だんだん疲れてくると、みんな絨毯に寝転んで、ウトウトし始める。ほどよい波の揺れが快適。たぶん飛行機が同じくらい揺れたら落ち着かないのに…。



時間どおり、コルサコフに到着。バスに乗せられて、長い桟橋を渡り、入国審査を受ける。外に出たところで、現地ガイドのオリガさんと合流する。彫りの深い顔立ち、明るい髪の色が、いかにもスラブ系らしい。一方、専用車の運転手のアントンさんは黒髪の東洋系(あとで朝鮮系と分かる)。車でユジノサハリンスクへ向かう。

コルサコフは、日本統治時代には大泊(おおどまり)と呼ばれていた。港を出発してすぐ、右手に旧・北海道拓殖銀行の建物が見えると教えられ、車を止めてもらった。今は使われていない。後日、ユジノサハリンスク(豊原)に残る拓殖銀行の建物も外観だけ見学した。ユジノサハリンスクの拓銀の装飾にはライオンが使われていて、オリガさんは「コルサコフは羊でしたね」と言っていたが、確認できず。



初日はユジノサハリンスクのガガーリンホテル泊。(8/16記)

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サハリン旅行2015【前日】稚内

2015-08-09 23:53:44 | ■アジア(中国以外)
職場が変わって(夏季一斉休業があるので)長めの旅行をしやすくなったこと、昨夏、日本最北端まで行ってみて「その先」にも行ってみたくなったこと、猛暑の東京を逃げ出したくなったこと、などの理由で、今年は稚内からフェリーで行くサハリンツアーに出かけることにした。十年来の恒例だった中国旅行に同行していた友人二人がつきあってくれることになった。

ツアーの始まる前日、羽田から稚内入り。空港ではアザラシの剥製がお出迎え。いちばん奥にいるのは、稚内観光のゆるキャラ、出汁之介(だしのすけ)くんである。なつかしい。



南稚内の温泉ホテルに前泊。すでに違う国にいるように夜風が涼しくて、生き返る。

(8/16記)
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2015夏休み始まる

2015-08-09 00:48:50 | 日常生活
この週末から次の週末まで、夏休み。猛暑の関東をのがれて、北国に行ってきます。

しばらくブログの更新はありません(たぶん)



その前に久しぶりに両親の家を訪ねてきたので、庭のサルスベリ。

東京で育った子どもの頃、あまりサルスベリの記憶はなくて、夏の花といえば、夾竹桃とヒマワリ、それに朝顔だった。最近はサルスベリを見ることが増えたように思うが、気のせいか。
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民藝のゆるキャラ/動物文様の工芸と絵画(日本民藝館)

2015-08-08 23:57:46 | 行ったもの(美術館・見仏)
日本民藝館 特別展『動物文様の工芸と絵画』(2015年6月30日~8月23日)

 「動物」に着目した展覧会は、最近、全国各地、さまざまな美術館・博物館で企画されている。強く私の記憶に残っているのは、2011年、京都国立博物館の『百獣の楽園-美術にすむ動物たち-』。さすが京博で、格調高い名家の作品が多かった。それに比べると、こちらはゆるい。矢島新先生名づけるところの「素朴絵」にたくさん会えて、楽しかった。

 まず2階の大展示室で気になったのは大津絵。『天狗と象』(18世紀)は初めて見たなあ。白象ではなく、薄墨色の象だった。ほかに「猫と鼠」とか「狐と馬」とか、大津絵には二種類の動物(生物)を組み合わせたモチーフが多いかもしれない。丹緑本の『熊野の本地』はものすごく色がきれい。縞模様の夕焼け空(?)を背景に、縞模様の虎と斑模様の豹が並んでいる。ひっそりうずくまった沖縄の屋根獅子(シーサー)は、20世紀・昭和の作品だというが、時代や歴史と無関係に面白い。

 2階の各室は、日本・中国・朝鮮絵画から動物モチーフの作品がたくさん出ていた。李厳筆『花下遊狗図』(朝鮮時代)など。イヌと鷹が多いが、水墨の『猫蝶図』もかわいい。『蘇鉄雄鶏図』(朝鮮時代・16世紀)は若冲の劣化コピーみたいに感じるが、こっちのほうが古いのだな。日本の絵画では、室町時代の『調馬図』の断簡が各種出ていた。『厩図屏風』も。イギリスのスリップウェア、スペインのラスター彩など、西洋の動物絵皿も面白かった。バーナードリーチ作の『熊文皿』がゆるキャラっぽくて笑った。

 1階の併設展示「硝子工と金工」では、ちょっと珍しいものを見た。西洋の扉付き祭壇のような、上部が丸くふくらんだ形の二曲一双の『文房図屏風』。「伝江戸時代 司馬江漢筆 朝鮮時代」という、よく分からない解説がついていた。金地を背景に大きく書棚を描いていて、帙入り線装本や筆立、水注、茶器などがほぼ原寸大で描かれている。棚の奥(背景)はブルーで、配色が西洋の宗教画っぽい。陰影も描かれている。

 最後にミュージアムショップを覗いたら、珍しく特別展の図録を売っていた。民藝館のコレクションには好きな作品がたくさんあるのだが、これまで写真等を所蔵することができなかったので、嬉しい。水滴や泥人形などの小品は、写真で見ると、あ、こんな顔をしていたのか、と微笑みたくなるものもある。久しぶりに西館(旧柳宗悦邸)も見学して帰った。
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随身庭騎絵巻を見に行く/東博・常設展(国宝室)ほか

2015-08-05 23:57:12 | 行ったもの(美術館・見仏)
気がついたら、東京国立博物館にしばらくご無沙汰していた。『鳥獣戯画』は京都で見たのでいいことにして、次の『クレオパトラ』にも関心が湧かない。それで、あぶなく常設展の名品を見逃すところだった。

■本館2室(国宝室) 『随身庭騎絵巻』(2015年7月7日~8月2日)

 大好きな絵巻作品。所蔵している大倉集古館で最後に見たのは2013年である。同館が2019年まで改修工事で休館中のため、東博で展示となったのだろう。ちゃんと全面開いているよな…と祈るような気持ちで近づき、確かに巻頭から巻末まで見ることができて満足した。著名な「随身」を描いたということになっているけど、「馬」の存在感が圧倒的である。

 その他の常設展。本館8室(書画の展開-安土桃山~江戸)には、マンガのような『虫太平記絵巻』。めずらしいな、と思ったら、これも大倉集古館の所蔵品。また『方広寺大仏殿炎上図』は、長澤蘆雪の独創と写生の妙が発揮された大好きな作品で、「個人蔵」ではあるが、大倉集古館で何度か見たことがあるもの。まとめて東博でお預かり中なのかな、と思った。展示機会の少ない、応挙の『朝顔狗子図杉戸』が見られたのも嬉しかった。

 本館3室(禅と水墨画)には、どこか楽しげで親しみの感じられる『山水図屏風』(六曲一双)。雪村かな?と思って近づいたら、「秀峰」印があるだけで、作者不明の作品。でも「雪村の画風に似ている」という解説にうなずく。7室(屏風と襖絵)では、個人蔵の『洛中洛外図屏風』と東博所蔵の『厳島遊楽図屏風』が面白かった(↓写真、初めて見る?)。どちらも江戸時代・17世紀。以上は全て、8月2日までの展示。



■本館15室(歴史史料)『養生と医学』(2015年7月7日~8月30日)

 最近、歴史史料の展示が面白くないなあと思っていたが、今回は力が入っている。内臓の位置を模型で示した銅人形は、幕末のものかと思ったら、寛文2年(1662)作と知って驚いた。意外と古い。「国宝」マークつきの「医心房」が2件出ていて、「平安・12世紀」の古写本は分かるが、「江戸・17世紀」本も国宝なのか。挿絵つきでめずらしい巻だからだろうか? 『解体図』は腑分けの記録で、生首の皮を剥いだ図はかなりグロテスク。これ、科博の『医は仁術』展で見たような気がする。もっと血腥い解剖図もあったはずで、いちおう許容範囲と判断した図を公開したのだろう。館内でもらえるパンフレット(ホームページでDLも可能)の表紙になっている錦絵『飲食養生鑑』も、確か『医は仁術』展に出ていたものである。『巨登富貴草(ことぶきぐさ)』(18世紀、多紀元悳著、粟田口蝶斎筆)は、不老長寿の薬を求める主人公が飛行船に乗って旅をし、巨人の体内に迷い込むという物語。発想は『ミクロの決死圏』を思わせる一方で、色欲・大酒・過食の不節制を避けよ、というあたりは、西欧中世のキリスト教の戒めみたいでもある。





■東洋館8室(中国絵画)『描かれた器物』(2015年6月30日~8月2日)

 絵画に描かれた器物(花瓶、水注、茶器など)に注目し、器物を描く絵画と描かれた器物 (に似たもの)をひとつのケース内に並べて展示する。所蔵品の範囲の広い、東博のような総合博物館でなければできない展示で面白かった。美術作品というよりも、風俗史料としての価値が高いものが展示されており、結果的に、あまり見たことのない作品を見ることができてよかった。なお、ここにも大倉集古館から、明時代の『宮女図巻』と清・光緒帝筆『葡萄図団扇』が出ていた。
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夏は幽霊/うらめしや~、冥途のみやげ展(東京藝術大学大学美術館)

2015-08-04 20:24:38 | 行ったもの(美術館・見仏)
東京藝術大学大学美術館 『うらめしや~、冥途のみやげ展-全生庵・三遊亭圓朝 幽霊画コレクションを中心に- 』(2015年7月22日~9月13日)

 上野・谷中の全生庵には、明治の噺家三遊亭圓朝(1839-1900)ゆかりの幽霊画が所蔵されており、毎年八月に一般公開される。ということは、むかしから知っていたが、いつも行き逃していた。本展は、その圓朝コレクションを中心に、芸大や他館が所蔵する錦絵や近代日本画等を加え、日本美術史における「うらみ」の表現をたどる。

 展示室は地下2階の左右2室のみで、比較的こじんまりした印象である。展示作品は全154点だが、実は前後期でほとんどが入れ替わる。会場のつくりはかなり凝っていて、トンネルのような暗く狭い入口をくぐると、細い通路に三遊亭圓朝の関連資料が展示されている。突き当たりに影絵のような横顔が見えていて、近づくと、圓朝そのひとだと分かった。演芸会のビラが面白くて「欧洲小説 松の操 美人活埋」なる演題も発見。原典は何だろう…。

 通路を抜けると、広々したスペースをぐるりと全生庵の幽霊画が取り囲む。生前の三遊亭圓朝が集めた作品のほか、のちに加わったものもあるそうだ。会場のアクセントなのか、天井に吊られた四角い蚊帳が効いている。描かれた幽霊はほとんどが女性であるが、髪は抜け落ち、肉は落ち、美醜も性別もどこかに置き忘れたような姿が圧倒的に多い。たぶん、近世から明治というのは、こうした悲惨な遺体や病人がたくさん目についた時代だったのではないかと思う(逆に中世以前は、もっと簡単に人が死んでいたのかもしれないな)。その中で、円山応挙筆と伝える最も有名な、足のない幽霊図は、例外的に黒髪も豊かで頬もふっくらして、儚げではあるけれど、まだ女性の美しさが匂い立っている。それにしても、どう見ても部屋の飾りにはならない悲惨な幽霊画が、なぜこんなに制作されたのだろう。春画が「火災除け」になったとは聞いたことがあるが、幽霊画も持っていると何か効能があったのだろうか。ときどき、幽霊の姿のない「風雨の柳」や「月に柳」の図もある。そうそう「雨月物語」ではないけれど、雨と月は幽霊につきものだったな、と思い出す。

 第2室は、錦絵や浮世絵に描かれた幽霊から。国芳の作品が圧倒的に多くてうれしい。平家物語に取材した作品が多くて、国芳の平家びいきを感じるとともに、江戸の人々にとって「平家物語」は軍記や歴史物語である以上に幽霊(怨霊)の物語だったんだなあと考える。

 そして、第2室の後半は、時代を超越した「うらみ」の名品揃い。曽我蕭白の『柳下鬼女図屏風』(藝大蔵)が出ていて嬉しかった。後期は、同じく蕭白『美人図』(奈良県立美術館蔵)が出るみたい。渓斎英泉の『幽霊図』は、女の幽霊が若い女の生首をぶらさげている。笑い声の漏れそうな幽霊の口元。リアルな血の色が生々しい。「でろり」の画家・祇園井特は、キャラの立った幽霊図を描いている。河鍋暁斎は、行灯の心細い明かりに浮かび上がる幽霊を描いた作品あり。静謐で冷え冷えした空気を感じさせる。月岡芳年『幽霊之図 うぶめ』は、墨を流したような薄暗がりに、血だらけの腰巻の女が後ろ向きで立っている。西洋絵画のような肉体のなまめかしさ。腕の中から赤子の小さな両足がこぼれている。これは怖い。

 最後は松岡映丘の『伊香保の沼』。湖畔に腰を下ろして、両足を水に浸し、ぼんやり前を見つめる着物姿の女性。実は、武田信玄の城攻めに遭い、降伏を拒んで入水し、龍に変じた木部姫の伝承があるのだそうだ。だからなのか、この美しい女性像が持つ禍々しさは。展覧会のポスターを飾っている上村松園『焔』は、9/1から展示で見られなかった。後期(8/18~)は私の好きな吉川観方の『朝霧・夕霧』も出るのだな。できればもう一回見にきたい。

 能面では、鬼になり切った「般若」より、なりかけの「生成」のほうが怖いものだな。噺家・二代目柳亭左龍が「道具入り怪談噺」に使用した四谷怪談の面も怖かったが、図録の解説によると「亡者の扮装をした弟子を客席に登場させた」って、それは反則だろう。

 1階の「冥途ショップ」では、白装束のお姉さんが売り子をしている。あと、エレベーターの地下2階ボタンにテプラで「うらめしや~」と貼ってあったのも地味に可笑しかった。↓谷中の福丸饅頭屋さんの展覧会オリジナル、一口饅頭。予想以上に小さくて薄くて、ぱくぱく食える。


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