〇奈良国立博物館 『第70回正倉院展』(2018年10月27日~11月12日)
恒例の正倉院展。私は朝イチに並んで入るのが好きなのだが、今年は東京の友人が、この日の夜間開館を狙って来るというので、会場内で合流することにしていた。18時少し前に博物館に到着すると、まだ短い列ができていて、5分くらい並んだ。「レイトチケット」(土日は18時半から)の待ち列もできていた。館内はかなり混雑していて、わりと気楽に会話をしているお客さんが多いのでざわついている。しかし、展示品に張りつくお客さんが少ないので、少し待つと展示ケースの前が空くのはありがたい。
入ってすぐのエリア、単立ケースに展示されていたのは『平螺鈿背八角鏡(へいらでんはいのはっかくきょう)』。ほぼ円形で八枚の花弁形に浅い切れ込みのある鏡で、白い螺鈿と赤い琥珀から成る花鳥文がびっしり埋める。よく見ると文様の隙間は青や緑のトルコ石の細片が散りばめられている。アールヌーボーを思わせる優雅な美しさ。しかし、この手の品は明治時代にかなり修復されているはず。あとで図録で確かめたら、やっぱりそうだった。
今年の目玉(図録の表紙)である『玳瑁螺鈿八角箱(たいまいらでんはっかくのはこ)』もあやしいと思ったら、やはり明治時代に大がかりな修復を受けていた。修復を完全否定するわけではないが、自分の見ているのが、伝世の至宝なのか、明治工芸の粋なのかは区別しておきたい。
見た目の美しさは劣っても、後世の追加創作が感じられない宝物のほうが私は好きだ。麻布に墨で素朴な山水景観を描いた『山水画』(素朴すぎて使いみちが思い浮かばない)とか、下貼の反故紙から毛皮の帽子をかぶった胡人の絵が発見された『緋絁鳥兜(ひのあしぎぬのとりかぶと)』にわくわくする。角の擦り切れたフェルトの敷物も好き。羊耳形(丁字形)の緒止めのついた『新羅琴』、三彩の『磁鼓』など楽器も面白かった。
銅製のうつわ『佐波理加盤(さはりのかばん)』には、包み紙あるいは緩衝材として使われた反故紙として新羅の役所で作成された文書の断片が附属している。2002年にも出陳されているそうだが、私は初めて知った。また『華厳経論帙』の内貼にも新羅の住民調査の文書が使われている。ただしこれは、昭和8年の修理で発見されたあと、もとに戻されたので、写真でしか見ることができない。内貼まで調べると、こんなものが出てきたりするのだな。
終盤は地味な展示品が多いのだが、今年は最後の部屋が混雑していた。超美麗な『犀角如意(さいかくのにょい)』の前で大渋滞が起きていたのだ。順番を待つ人があふれ返って、壁際の『未造着軸(みぞうちゃくのじく)』(未使用の巻物の軸)のケースにも近づけない。これはいったん、諦めて立ち去ることにする。
19時頃、友人と落ち合って、博物館を後にし、JR奈良駅高架下の居酒屋「ゆるり」で食事。奈良の地酒の利き酒セットもあって、安くて美味しかった。友人は大津へ、私は奈良駅前のビジネスホテル泊。
そして翌日。朝から再び奈良博に出かけた。こんなことができるのは「各展覧会2回まで無料」の奈良博プレミアムカードを持っていればこそである。朝7時半頃に到着して、20人目くらいに並んだ。私の後ろが職員の通用口で、いったん列が切られていた。8時頃から人が増え始め、9時の開館にはピロティから人があふれていたのは例年どおりである。
入館すると、計画どおり、私はまっすぐ西新館の最後の展示室に向かった。『犀角如意』をしっかり見るためである。そんなに早くお客が現れると思っていなかった担当職員は、まだのんびり談笑していた。複数の職員に警備されながら、私は10分くらい独り占めで『犀角如意』を眺めることができた。ううむ、これはきれいだ。頭部は箒のような末広がりで、尾も小さな箒形をしている。華奢な柄は、赤・青の撥鏤(ばちる)の繰り返しで六等分されており、鏡に映る裏面は、赤の裏は青、青の裏は赤という芸の細かさ。繊細な花鳥文に水晶、金、象牙などで華やかに装飾する。2005年に出品されているので、私は一度見ているはずだが記憶になかった。これも明治時代に一部修復されたものではある。
それから巻物の軸11本と軸端6隻をじっくり見る。軸端はメノウ製、黒水晶製など。軸木に取り付けられた軸端には、色鮮やかなガラス製(緑、紺、黄色、茶)や木製で彩色の花鳥文を施したものが見られた。そのほか古文書など、最後の展示室をゆっくり見たあと、巡路を逆回りに進んだ。先頭の展示室に戻った頃はだいぶ混み合っていたが、満足できた。仏像館を駆け足でひとまわりし(室生寺の釈迦如来坐像が引き続きおいでなのを確認)参観終了。この日は京都へ向かった。
恒例の正倉院展。私は朝イチに並んで入るのが好きなのだが、今年は東京の友人が、この日の夜間開館を狙って来るというので、会場内で合流することにしていた。18時少し前に博物館に到着すると、まだ短い列ができていて、5分くらい並んだ。「レイトチケット」(土日は18時半から)の待ち列もできていた。館内はかなり混雑していて、わりと気楽に会話をしているお客さんが多いのでざわついている。しかし、展示品に張りつくお客さんが少ないので、少し待つと展示ケースの前が空くのはありがたい。
入ってすぐのエリア、単立ケースに展示されていたのは『平螺鈿背八角鏡(へいらでんはいのはっかくきょう)』。ほぼ円形で八枚の花弁形に浅い切れ込みのある鏡で、白い螺鈿と赤い琥珀から成る花鳥文がびっしり埋める。よく見ると文様の隙間は青や緑のトルコ石の細片が散りばめられている。アールヌーボーを思わせる優雅な美しさ。しかし、この手の品は明治時代にかなり修復されているはず。あとで図録で確かめたら、やっぱりそうだった。
今年の目玉(図録の表紙)である『玳瑁螺鈿八角箱(たいまいらでんはっかくのはこ)』もあやしいと思ったら、やはり明治時代に大がかりな修復を受けていた。修復を完全否定するわけではないが、自分の見ているのが、伝世の至宝なのか、明治工芸の粋なのかは区別しておきたい。
見た目の美しさは劣っても、後世の追加創作が感じられない宝物のほうが私は好きだ。麻布に墨で素朴な山水景観を描いた『山水画』(素朴すぎて使いみちが思い浮かばない)とか、下貼の反故紙から毛皮の帽子をかぶった胡人の絵が発見された『緋絁鳥兜(ひのあしぎぬのとりかぶと)』にわくわくする。角の擦り切れたフェルトの敷物も好き。羊耳形(丁字形)の緒止めのついた『新羅琴』、三彩の『磁鼓』など楽器も面白かった。
銅製のうつわ『佐波理加盤(さはりのかばん)』には、包み紙あるいは緩衝材として使われた反故紙として新羅の役所で作成された文書の断片が附属している。2002年にも出陳されているそうだが、私は初めて知った。また『華厳経論帙』の内貼にも新羅の住民調査の文書が使われている。ただしこれは、昭和8年の修理で発見されたあと、もとに戻されたので、写真でしか見ることができない。内貼まで調べると、こんなものが出てきたりするのだな。
終盤は地味な展示品が多いのだが、今年は最後の部屋が混雑していた。超美麗な『犀角如意(さいかくのにょい)』の前で大渋滞が起きていたのだ。順番を待つ人があふれ返って、壁際の『未造着軸(みぞうちゃくのじく)』(未使用の巻物の軸)のケースにも近づけない。これはいったん、諦めて立ち去ることにする。
19時頃、友人と落ち合って、博物館を後にし、JR奈良駅高架下の居酒屋「ゆるり」で食事。奈良の地酒の利き酒セットもあって、安くて美味しかった。友人は大津へ、私は奈良駅前のビジネスホテル泊。
そして翌日。朝から再び奈良博に出かけた。こんなことができるのは「各展覧会2回まで無料」の奈良博プレミアムカードを持っていればこそである。朝7時半頃に到着して、20人目くらいに並んだ。私の後ろが職員の通用口で、いったん列が切られていた。8時頃から人が増え始め、9時の開館にはピロティから人があふれていたのは例年どおりである。
入館すると、計画どおり、私はまっすぐ西新館の最後の展示室に向かった。『犀角如意』をしっかり見るためである。そんなに早くお客が現れると思っていなかった担当職員は、まだのんびり談笑していた。複数の職員に警備されながら、私は10分くらい独り占めで『犀角如意』を眺めることができた。ううむ、これはきれいだ。頭部は箒のような末広がりで、尾も小さな箒形をしている。華奢な柄は、赤・青の撥鏤(ばちる)の繰り返しで六等分されており、鏡に映る裏面は、赤の裏は青、青の裏は赤という芸の細かさ。繊細な花鳥文に水晶、金、象牙などで華やかに装飾する。2005年に出品されているので、私は一度見ているはずだが記憶になかった。これも明治時代に一部修復されたものではある。
それから巻物の軸11本と軸端6隻をじっくり見る。軸端はメノウ製、黒水晶製など。軸木に取り付けられた軸端には、色鮮やかなガラス製(緑、紺、黄色、茶)や木製で彩色の花鳥文を施したものが見られた。そのほか古文書など、最後の展示室をゆっくり見たあと、巡路を逆回りに進んだ。先頭の展示室に戻った頃はだいぶ混み合っていたが、満足できた。仏像館を駆け足でひとまわりし(室生寺の釈迦如来坐像が引き続きおいでなのを確認)参観終了。この日は京都へ向かった。