見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

変えられない福祉政策/女性のいない民主主義(前田健太郎)

2019-10-14 21:51:23 | 読んだもの(書籍)

〇前田健太郎『女性のいない民主主義』(岩波新書) 岩波書店 2019.9

 前田健太郎さんは、前著『市民を雇わない国家』がたいへん面白く、その中でも、日本の公務員数が抑制されたために、他の国なら公務員になれた集団すなわち女性が大きく不利益をこうむったという指摘が、強く印象に残っていた。本書は、民主主義の国とされている日本の政治が、なぜ圧倒的に男性の手によって行われているのか、という問いから始まる。さらに著者は「そもそも、男性の支配が行われているにもかかわらず、この日本という国が民主主義の国とされているのはなぜなのだろうか」と問い直す。これには戸惑う人が多いことだろう。私は、大胆な問題設定だな~と(楽しくて)笑ってしまった。

 本書は「標準的な政治学」の学説を紹介し、これをジェンダーの視点(女性の視点という意味ではない)から批判しつつ議論を進めていく。すると、たとえば「標準的な政治学」における「戦後日本政治」(90年代以前)は権力が「極度に分散」したことになっているが、政治エリートの圧倒的多数を男性が占めてきた事実の記述がないことがはっきりする。制度上は平等な権利を与えられていても、男性支配の構造が生まれるのは、法律とは別の、見えない規範が社会に存在することに由来する。それは「男性は男らしく、女性は女らしく」というジェンダー規範である。

 次に女性の参政権獲得の歴史を簡単に振り返りながら、著者は民主主義の定義を再考する。これは、私たちの常識を問い直すものでたいへん面白かった。サミュエル・ハンティントンは、(1)成人男性の50%以上が選挙権を有している (2)執政部が議会の多数派の支持に基づいているか、定期的な選挙で選ばれている、という2つの基準に基づき、アメリカに始まり、徐々に世界に波及していく民主主義の歴史を記述した。しかし、女性参政権を最低限の条件とする「ポリアーキー指標」で眺めると、先行するニュージーランド(1893年に女性参政権導入)に長い時間をかけてアメリカが追い付く姿が浮かび上がる。

 では「ポリアーキー」(複数支配)から、さらに民主的な体制(市民の意見が平等に政策に反映される体制)に進むには、どうしたらよいか。格差と不平等を縮小し、市民が平等に意見を言う環境を整える役割を、福祉国家に期待する主張がある。しかし、歴史上、現実の福祉国家が目指したのは、市場経済の下で働く労働者の格差是正であり、家庭に閉じ込められた女性は視野に入っていなかった。今日では、ジェンダーの視点からの批判を受けて、多様な家族像を前提とした個人モデルの福祉国家も生まれている。

 しかし日本の福祉政策には、男性稼ぎ主モデルの政策が色濃く表れている。まあ社会に問題がなければ、世界の中で独自の道を歩み続けるという選択肢もあるのかもしれないが、現実はそうなっていない。いま日本の社会政策の最大の課題は少子高齢化問題だろう。これに対して本書は「福祉政策は変わりにくい」という絶望的な「現代政治学の常識」を突きつける。日本は育児支援が充実する前に高齢化が進行し始め、高齢者の数が多くなることで、保育サービスや児童手当など家族関係支出の増額へ舵を切ることが困難になってしまった。対照的に、早い段階で仕事と育児の両立支援を整えることで少子化を食い止めたスウェーデンの社会保障支出のグラフを見ながら、何とも暗澹とした気持ちになった。

 それでも政策は変えることができるはずだ。日本の政策が変わらないのは、拒否権プレイヤーが多くて、首相のリーダーシップが発揮しにくいからだという主張がある。しかし日本の政策過程では、首相も拒否権プレイヤーも男性である。「男性の首相が男女の不平等への取り組みを語る時は、往々にして、それ自体が目的となるわけではなく、別の目的を実現するための手段として政策が浮上する」という指摘には、そう、そのとおり!という共感を感じた。

 そこで、女性のリーダーシップが求められる。ここで「女性の」リーダーシップというのは、従来の男性稼ぎ主モデルの福祉政策を転換できる、ジェンダー視点をもったリーダーという意味であって、性別が女性であるか男性であるかは問わなくていいと思う。とはいえ、そうしたリーダーは女性議員の中から(あるいは女性議員の支持によって)生まれる可能性が高いので、最終章は女性議員を増やす方策と意義について論じられている。

 少し私的な雑感を交えて書かれた「おわりに」もいい文章。フェミニストは政治学の敵ではない。(フェミニストの批判は)政治学をもっと豊かな学問にしたいと願うからこそ行われてきた、というのは正しい。もっと多くの男性政治学者がこう感じてくれたらいいのに、著者はよほど例外的に、フェミニズムとよい出会いをしたのだなあと思った。

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データベースは語る/奴隷船の世界史(布留川正博)

2019-10-12 23:17:29 | 読んだもの(書籍)

〇布留川正博『奴隷船の世界史』(岩波新書) 岩波書店 2019.8

 奴隷船を主題として大西洋奴隷貿易をめぐる世界史をたどる。まず驚かされるのは、本書の基礎データとして、奴隷貿易に従事した船舶のデータベースが公開されているということ。その名は「奴隷航海」(Slave Voyage)と言って、400年間(15世紀後半~19世紀半ば)・3万5000件以上のデータ(詳しいものは、船の国籍・トン数・船主・出航地・奴隷積み上げ地・荷揚げ地・積み込まれた奴隷数・荷揚げされた奴隷数など)が公開されている。すごい。これ以前にも、個別のデータ収集は行われていたが、二人の歴史家がロンドンの公文書館で出会ったことから統合データセットのアイディアが生まれたとか、データの不足を補うため、研究者たちが各国の公文書館を掘り起こしたとか、オープンデータって具体的にこういうことか!と非常に興味く読んだ。

 さてそのデータベースに基づき、分かってきたことを整理していく。15世紀末から16世紀半ばまでにスペインは、南北アメリカに広大な植民地を築く。伝染病と植民地支配によって南北アメリカとカリブ海諸島の先住民人口は激減し、労働力の穴埋めのため、アフリカ各地から黒人奴隷が連行された。ただしスペイン人は直接奴隷貿易に参画することなく「アシエント」(請負契約)によって、ポルトガル、オランダ、次いでイギリス、フランス商人が活躍した。イギリスには南海会社が設立された(そうか、東インド会社だけじゃないんだ。さらにアフリカ会社というのもあったのか)。

 次に具体的な奴隷船の構造、船長と水夫の仕事、航海の実態、奴隷商人の人物像などが描かれる。積み荷としての奴隷には、まっすぐ立つこともできない程度の空間しか与えられなかったが、毎日一回は甲板でダンスを踊らせたり、目的地が近づくと肉を食べさせて体重を増やしたりしたというのは、商品管理の知恵として納得できた。

 なお大西洋奴隷貿易と言えば「三角貿易」(欧州→西アメリカへ繊維製品;西アフリカ→カリブ海諸島へ奴隷;カリブ海諸島→欧州へ砂糖)のイメージが強いが、18世紀後半になると、奴隷船は奴隷を売却したあと、バラストを積んで本国に帰った。砂糖などの植民地物産を本国に運ぶシャトル便には、奴隷船よりずっと大きな船舶が使われたという。

 最後に奴隷貿易廃止と奴隷制廃止の長い道のりを紹介する。18世紀のイギリスでは、奴隷の存在に否定的な風潮が醸成されつつあった。この時代に「イングランド法の下に奴隷は存在し得ない」(黒人奴隷はイングランドに入国するや否や自由になる)と主張した人がいるのがすごい。人権と法に対する意識が、今の我が国のずっと先に進んでいる。クウェイカー教徒や人道主義者(女性が多くかかわった)を中心とする奴隷貿易廃止キャンペーンと砂糖不買運動は、いったんは不成功に終わるが、ハイチの奴隷反乱(1791)、フランス革命(1789)を経て、イギリスは奴隷貿易の全面禁止を達成する。ただし、その裏面には黒人奴隷の移送地シエラ・レオネの悲劇もあった。

 その後、イギリスの圧力外交、奴隷たちの抵抗、アボリショニスト(奴隷解放主義者)の努力などによって19世紀半ばには奴隷貿易が終焉し、さらに奴隷制そのものの廃止に至る。しかし、西インドのプランテーションでは、奴隷に近い年季契約労働者が中国・インドから流入した。また、イギリスは奴隷貿易禁止を旗印に、アフリカ諸国を「文明化」するという理屈によって、アフリカの植民地化を正当化した。

 ということで、最後の章段には「奴隷制は終わっていない」という見出しがついている、奴隷制・奴隷貿易というものが、思った以上に深い爪痕をいまの世界に残していることを感じた。

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屏風の名品多数/名勝八景(出光美術館)

2019-10-09 21:16:30 | 行ったもの(美術館・見仏)

出光美術館 『名勝八景-憧れの山水』(2019年10月5日~11月10日)

 あまり詳細を把握せずに行ったら、とても面白い展覧会だった。冒頭には玉澗筆『山市晴嵐図』(湖南省・洞庭湖の瀟湘八景のひとつ)。まあ出光美術館で「名勝八景」をテーマにするなら、そりゃあこの作品が第一に来るだろうと納得する。しかしそのほかは、あまり見覚えのない屏風がずらりと並んでいて、やや意外に感じた。

 雪村かな?と思って近づいて、やっぱり、と納得した『瀟湘八景図屏風』が2件。1件(六曲一双)は薄い金泥(?)の霞たなびく中にふわふわと丸みのある山の稜線が浮いている。ちょぼちょぼと黒い墨をすばやく擦り付けたような、枝も幹も輪郭の定かでない樹々。かすかな楼閣の屋根。岡山県立美術館所蔵である。もう1件(六曲一隻)は、左側の岩山(?)は、湧き上がる雲のような、砕ける波のような不思議なかたちをしている。右端には海坊主のような丸い山のシルエット。画面の端に、雨を表したのか、だらりと薄墨が垂れている。中央を占める湖面には雁が飛び、小さな月もかかるなど、瀟湘八景のいくつかをまとめて描いたものと思われている。個人蔵。

 同題の伝・周文筆屏風(六曲一双)は、余白を大きく取りつつ、描き込むところは非常に細密。人物の衣の白や馬の鞍の赤が効果的に使われている。香雪美術館所蔵。もう1件、同題の屏風(六曲一双)は、私の眼には、雪舟など室町水墨のかっちりした様式を踏まえていると感じさせたが、作者を見たら久隅守景(江戸時代)で驚いた。そうかーこんな作品も描ける人なんだー。サントリー美術館所蔵。

 あと狩野探幽・安信の共同制作『瀟湘八景画帖』『瀟湘八景図(8幅)』も面白かった。墨色そのものの使い方が二人ともかなり大胆。ともに初公開の作品だそうで、図録には「個人蔵」の注記もなかった。

 続いて西湖。狩野元信筆(出光)、鴎斎筆(京博)、狩野山楽筆(サントリー)の3種の『西湖図屏風』が出ていた。この夏、15年ぶりに訪ねた現地の風景を思い出して、蘇堤、白堤、断橋などの名所をひとつずつ確かめた。三譚印月は描かれていなかったけど、あれはいつ造られたのだろう?感心したのは山楽の屏風(1630年の落款)に描かれた雷峰塔の姿で、レンガの塔身の上に木造の楼閣がなく、もじゃもじゃと野草が生い茂っている。実は16世紀半ば、杭州に攻め入った倭寇が雷峰塔に火を放つ事件があった。17世紀初めの絵画や刊本の挿絵には、焼け残った雷峰塔の姿が記録されており、山楽は西湖の風景に関する最新の情報を作品に反映させたことになる。ちなみに焼け残った雷峰塔は、1924年に倒壊するまで放置されており(むかし大室幹雄『西湖案内』で読んだかも)、山楽の絵そのままの古写真が残っているにも面白かった。

  さらに日本の画家・文人たちが愛した中国の景勝地ということで、池大雅筆『瀟湘八景図』『瀟湘八景帖』、岩佐又兵衛筆『瀟湘八景図巻』など、好きな作品がたくさん出ていて大満足。面白かったのは、長沢芦雪筆『赤壁図屏風』(六曲一双、一扇が規格外に大きい)。ハロウィンのお化けみたいな松の木の列に、芦雪かな?と思ったら、やっぱりそうだった。波に洗われる海岸の岩礁っぽくて、あまり赤壁を感じさせないのだが、幻想的でとてもよい。

 それから、私の好きな出光コレクション『宇治橋芝舟図屏風』(芝舟の下る右隻のみ)や『吉野龍田図屏風』、『月次風俗図屏風』の「高雄観楓」「東寺」も出ていて、得をした気分になった。『近江名所図屏風』(サントリー美術館)は、金泥の雲の切れ間に、濃紺の水面(琵琶湖)を行き交う帆船が描かれる。海岸の大きな松は唐崎の松、湖上にそびえるのは膳所城、ひときわ巨大な橋は瀬田の大橋だろう。現地では細部まで確認することができなかったが、いま図録の写真を見ると、人々の風俗が繊細に描かれていてとても面白い。猿曳きがいたり、鳥やウサギをぶら下げて売っている店があったり、蓮池に入っている人たち(男性)がいたり、もっと詳しく見たい。

 このあと、静嘉堂文庫の入口で出会った知人に「(出光の今季は)すごくお金をかけている」と裏事情を教えてもらったのも納得の、充実したラインナップだった。

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大阪・みんぱくと太陽の塔

2019-10-08 21:30:24 | なごみ写真帖

先月の関西旅行で大阪の国立民族学博物館の『驚異と怪異』展を見に行ったとき、会場内で撮影が許可されていたもの。中華系の龍踊り(じゃおどり)に使うような龍。

あと、全然関係ないのだが、万博記念公園の太陽の塔。前々日に奈良博でマニ教絵画を見たせいで、マニ僧に見えてしかたなかった(白衣の袖に赤い縁どりがトレードマーク)。

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古くて美しいもの/2019東美アートフェア

2019-10-07 23:28:24 | 行ったもの(美術館・見仏)

東京美術倶楽部 『2019東美アートフェア』(2019年10月4~6日)

 週末、美術商の展示会である東美アートフェアを久しぶりに覗きに行った。あれ?今年は3年に一度の『東美特別展』の年じゃなかったかな?と思ったが、裏事情はよく分からない。この展示会は、ひところお客が増えすぎて混雑がひどかったが、少し雰囲気が落ち着いたように感じた。気になったブースをメモそておく。

 4階。ブースには、多様な美術品を並べる店と、テーマを絞る店がある。4階では那須屋の川上不白特集や岸本画廊の小泉淳作特集が魅力的だった。田島美術店は、河井寛次郎、浜田庄司など民藝運動周辺の陶芸作品を展示。近代陶芸は、これまであまり気にしていなかったのだが、ほかのお店でもけっこう見た。根強い人気があるのだな。藤井香雲堂は宮川香山の真葛焼を扱っていて、蓮に翡翠(かわせみ)の立体小皿が素晴らしく愛らしくて見とれた。玄海楼は日本古典文学の素養を試されるような古筆の名品が並ぶ。「古筆」に「古代仮名」という中国語表記が添えてあるのが面白かった。単品では、西楽堂にあった仙厓筆の松尾大明神像が可愛かった。

 3階。池内美術に「藤房本三十六歌仙絵」の源重之像があった。毛利家伝来。藤房本というのは、万里小路藤房(1291-1375)を筆者とする歌仙絵らしい。像主は丸顔で、膝の上に笏を立てて顎を載せている。歌仙らしくなくて面白かった。去来はいつも印象的なブースで、木造仏、テラコッタ、縄文土器、鏃などを季節の草花と組み合わせて、瀟洒に仕上げていた。小西大閑堂にも平安時代の木造仏3躯。

 個人的に今年いちばん来てよかった!と思ったのは浦上蒼穹堂で、遼のやきものを大特集。遼三彩の皿(裏側は無釉であることを確認)、鳳凰のアタマのついた緑釉瓶、褐釉の皮嚢壺(皮袋のかたち)が多数。 驚いたのは布製のブーツ(左右揃い)と帽子。鳳凰文が刺繍されている。汚れて茶ばんでいるが、本来は白色だった様子。ブーツは綿入りなのか(?)厚みがあってフカフカしていそう。これ遼代(10-12世紀)のものなのか? 超一級の考古資料だと思うのだが、ガラスケースなしの展示(さすがに触らないよう注意書あり)で呆れるやら興奮するやら。

 尚雅堂には、古代中国の小さな俑が各種。灰陶加彩の六朝のラクダとか騎馬人物とか武官とか。唐のふっくらした婦人俑は、目の下から頬にかけて濃い紅色がはっきり残っていて「これが当時の化粧法に基づくもとの彩色なんですよ。残っているのは珍しいの」と店員の女性の方に教えてもらった。古美術宮下には光琳の団扇図。木賊と撫子だったかな。

 1階。祥雲というお店に紺紙金銀交書のむちゃくちゃ美しい古経切があったのだが、題目の「道神足無極変化経」という名前に心当たりがなく、本文に「月天子」が出てきたり、なんだか怪しい経典だなあと思ったら、神護寺経のひとつだった。二月堂焼経や平安時代の僧形八幡神像もこのお店だったかしら。眼福。お店を忘れたが、根来の足つき盤、七言絶句を線刻した陶枕など、私がお金持ちだったら欲しいと思った。

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2019年初秋@東京+大阪展覧会拾遺:驚異と怪異(みんぱく)など

2019-10-06 22:55:19 | 行ったもの(美術館・見仏)

レポートを書いていない展覧会が溜まってきたので、とりあえずメモだけでも。

国立民族学博物館 特別展『驚異と怪異-想像界の生きものたち』(2019年8月29日~11月26日)

 むちゃくちゃ楽しい展示! 世界各地の人々の想像の中に息づく生きものを具体化した仮面・神像・衣装・木彫・護符・玩具・絵馬等々を「人魚」「龍」「水怪」「霊鳥・鳥人」「有角人」「蟲」などのカテゴリーごとに集めて見せる。広い展示会場には、迷路のように曲がりくねった巡路が用意されていて、角を曲がるたびに、思いもよらない怪物に出会って驚く。ちょっとお化け屋敷気分。ライデン国立博物館が保存する、江戸時代の日本で蒐集された人魚のミイラや鬼の首も里帰り。国内の寺社や個人コレクションに伝わる幻獣のミイラや爪・骨などが多数出ていて、よくぞ探し当てて、公開に応じてもらったなあと驚く。西洋の貴重書は、ゲスナーとかキルヒャーとか、澁澤龍彦に耽溺した日々を思い出す。

根津美術館 新創開館10周年企画展『美しきいのち-日本・東洋の花鳥表現』(2019年9月7日~11月4日)

 東洋、特に中国と日本における花鳥表現の展開を絵画と工芸でたどる。「院体花鳥画と草虫画」は本家・中国を中心に、小品だが色がきれい。「漢画系花鳥画」では、狩野派より前に室町将軍家の御用をつとめ、いちはやく漢画を取り入れた「小栗派」の存在を知る。戯墨筆『芦雁図』が可愛かった。可愛いといえば、伝・狩野元信筆『四季花鳥図屏風』に描かれた鳥たちは全部可愛い。「明・清時代の花鳥画」では、周度筆『花鳥図』の、爪でがっちり岩を掴んだ鳥の姿に鶴亭を思い出した。

泉屋博古館・分館 住友財団修復助成30年記念『文化財よ、永遠に』(2019年9月10日~10月27日)

 この秋、全国4会場で開催されている同展の2箇所目。9月28日に出かけて、高橋真作先生(東京国立博物館)と板倉聖哲先生(東京大学東洋文化研究所)のギャラリートークを聞いてきた。「中国元明絵画と室町水墨」という題目だったが、前期に室町水墨は1件しか出ていなかったため、高橋先生は鎌倉仏画についても解説。日光輪王寺の『軍荼利明王(金剛童子)像』は、寺伝では軍荼利明王だが図像学的に金剛童子像と推定されるとのこと。同じ日光輪王寺の『不動明王像』とともに、初めて見た作品かもしれない。神奈川・称名寺の『十二神将像』は金沢文庫で展示されたときに見たもの。大倉集古館の『十六羅漢像』はむかし見ているかなあ。羅漢とは「応供」(供養を受けるのにふさわしい者)の意味であると初めて知る。それで羅漢図には、花や果物を捧げる動物や供養人が描かれることが多いのか。

 中国絵画は鑁阿寺伝来の『雪景山水図』と元代の『草虫図』『立花図』。元代には文人画が隆盛するが、日本に残っているのは南宋絵画の雰囲気に近く、しかも南宋絵画に比べて大画面のものが多いとの説明にとても納得。滋賀・聖衆来迎寺所蔵の『立花図』はガラスの花瓶に生けてある。

 ほかに増上寺の狩野一信の『五百羅漢図』を久しぶりに見た。曽山幸彦『弓術之図(弓を引く人)』は、髷を結い、帯刀した若者が片膝をついて、まさに矢を放ったところを紙に木炭で描いたもの(明治時代、東大工学部建築学専攻所蔵)。モデルと画力の両方に見とれる。馬を駆って薄野を行く武士を描いた『かりくら』も魅力的な大作で、誰かと思ったら木島櫻谷の作品だった。

五島美術館 館蔵・秋の優品展『筆墨の躍動』(2019年8月31日~10月20日)

 「墨」を切り口に、高僧の墨蹟や法帖、水墨画、さらに近代の書画までバラエティ豊かな展示。狩野探幽の道中スケッチ『旅絵日記』が面白かった。

静嘉堂文庫美術館 『入門 墨の美術-古写経・古筆・水墨画-』(2019年8月31日~10月14日)

 「墨」の多彩で奥深いモノクロームの世界をわかりやすく紹介。五島美術館とは意識的に時期を合わせた企画なのか偶然なのかは不明である。同館所蔵『寒山図』(元代墨画)の筆を構えた寒山は、愛嬌があって昔から好きなのだが、今回、展覧会のキャラクターとして使いまわされていて楽しかった(※チラシPDF)。ぜひ今後も、墨画をテーマにした展覧会では復活・継続使用してほしい。『白描平家物語絵巻』(室町時代)は、画面の小さい小絵の絵巻。初めて見たような気がする。「二代の后」(藤原多子)が夜更けに二条天皇に召される場面が描かれていた。

※出光美術館『名勝八景』と東京美術倶楽部『東美アートフェア』は別稿の予定。

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悲しき宿命の子ら/中華ドラマ『九州縹緲録』

2019-10-03 22:36:15 | 見たもの(Webサイト・TV)

〇『九州縹緲録』全56集(2019年、檸檬影業他)

 春に見ていた『九州・海上牧雲記』と同じ、玄幻ドラマ(ファンタジー)「九州」シリーズの最新作。繰り返しておくと、「九州」は7人の作家が共同創作した架空世界で、内海を囲む3つの大陸に、人族、羽族、鮫族、魅族などが暮らしている。八大王朝の年譜もあり、本作に描かれる胤朝は『海上牧雲記』の端朝より700年くらい前の設定らしい。

 北陸の草原に育った阿蘇勒(アスラ)(劉昊然)は、青陽部の部族長の世子(跡継ぎ)という生まれに似合わず、気の優しい身体虚弱な少年だったが、「青銅の血」を受け継ぎ、ひとたび我を忘れると悪鬼のように荒れ狂う性質を持っていた。東陸・胤朝の諸侯国である下唐国の百里景洪は、北陸との同盟を固めようと阿蘇勒を下唐国に招く。ここで阿蘇勒が出会った少年と少女が姫野(ジーイエ)(陳若軒)と羽然(イーラン)(宗祖児)。無口な姫野は、下唐国の下級武士の息子で、妾の子として実の親にも蔑まれながら、いつか戦士として名を挙げることを渇望していた。天真爛漫で姉御肌の羽然は、寧州の羽族の少女だったが、国を滅ぼされ、叔母の宮羽衣とともに下唐国に身を寄せていた。三人は意気投合し、いつまでも他愛なく遊び暮らすことを願うが、運命はそれを許さない。

 かつてこの世界には、平和のために戦う天駆武士団という結社が存在したが、皇帝殺しの汚名を着せられ、今は日陰の身となっていた。阿蘇勒は、天駆の宗主しか持つことのできない蒼雲古歯剣を手に入れ、新たな宗主に推戴される。そのことが彼を苦難の道に導く。

 胤朝の皇都では、年若い気弱な皇帝に代わって、叔母の長公主が権勢を揮っていた。諸侯国の一つである離国の贏無翳は、乱れ切った皇都を武威によって制圧するが、なお、さまざまな思惑と陰謀が渦巻く。皇帝の妹・小舟公主は、阿蘇勒を皇都に招き、天駆の力を借りて事態を打開しようとするが、結果として、姫野と羽然も、複雑な権力闘争の渦に飲み込まれていく。そんな中で惹かれ合う姫野と羽然、阿蘇勒と小舟公主。

 この二組の若者カップルの、せめてどちらかは幸せになってくれるだろうと思っていたのだが甘かった。以下【ネタバレ】になるが、羽然は、故郷・青州(寧州)において、自分が「姫武神」の資格を持つことを知り、鶴雪団と呼ばれる羽族の武士を呼び覚まし、羽族が安寧に暮らせる国を復興するため、神殿の奥深く(一種の巫女として)留まることを選択する。小舟公主は、胤朝皇帝として即位し、母国の安定のため、下唐国のドラ息子・百里煜との政略結婚を受け入れる。ええ~! 姫野と阿蘇勒には、未来を感じさせる終わり方なのだが、ヒロインふたりは絶望的な宿命を受け入れるだけなのか。

 このドラマ、序盤で下唐国の将軍・息衍との大人の恋に泣かされる蘇瞬卿とか、終盤の長公主、羽然の叔母の宮羽衣、あと阿蘇勒の幼なじみの蘇瑪とか、女性の運命は徹底して残酷かもしれない。しかも運命に流されていくのではなく、母国のため、信じるもののため、過酷な運命を自分の意思で選ばざるを得ないように仕組まれている、その容赦のなさが物語の魅力でもある。贏無翳の娘・玉郡主は、惚れた姫野に振られるだけでマシなほうか(ファザコンでかわいい)。私は気性がまっすぐで表裏のない羽然が好きで、幸せになってほしかったのになあ。

 女性だけでなく男性も、シチュエーションによって善悪の印象がくるくる入れ替わる人物が多くて魅力的だった。離国の国主・贏無翳を演じた張豊毅は相変わらずシブい! しかし、終盤にもう一度戻ってくるかと思っていたのに当てが外れた。阿蘇勒と死闘を繰り広げる、辰月教団の妖術使い・雷碧城は張志堅。やっぱりこのひとは悪役がはまる。天駆武士団の復興に全てをささげた(それゆえ独善的でもある)鉄皇大人・翼天瞻(江涛)も面白かった。盲目の策士・百里寧卿(魏千翔)もよい。

 『九州・海上牧雲記』に比べるとファンタジー要素は少なめ。というか、妖術使いとか羽族とか狼王とかが、あまりにリアリティをもって画面の中にいるので、ファンタジーだということを忘れてしまう。そして相変わらず、騎馬軍団のアクションの迫力がすごい。日本の視聴者には『九州・海上牧雲記』よりこっちのほうが入り込みやすいのではないかと思う。結末もまあまあ、許せる結末だし。中国では、原作ファンの評価は厳しかったと聞く。原作はどんな小説なのかなあ。主役の少年少女たちは、まだ少年少女のままで終わってしまうのだが、彼らの10年後、20年後の物語があるなら読んでみたい。

2020/11/23:タイトルの「縹緲」を「縹渺」から訂正。

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京都で和の芋栗パフェ

2019-10-02 22:46:58 | 食べたもの(銘菓・名産)

9月の三連休のレポートが書き切れないうちに、仕事で1泊2日京都出張に行ってきた。

月曜の午後に京都について、六波羅蜜寺~清水寺~祇園を歩いた。清水寺界隈は、平日なら人が少ないかと思ったが、修学旅行生と外国人観光客(西洋・東洋)でそこそこの混雑。

祇園の鍵善が月曜休業だったので、河原町四条の永楽屋で季節商品「和の芋栗パフェ」。喫茶室は京都の本店にしかないのね。また行きたい。

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