見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

2022年5月関西旅行:東寺、六孫王神社

2022-05-11 19:48:57 | 行ったもの(美術館・見仏)

 関西旅行3日目。行きたかったところは2日目までに全て行けたのと、期待していた神護寺の宝物虫払いが今年も中止だったので、最終日をどう過ごすか考えた結果、予定より早めに京都を離れることにした。

 あさイチで東寺へ。すでに食堂の納経所に長い列ができていてびっくりした。久しぶりに見る光景だが、案内の方が、手際よく列を捌いていた。ご朱印をいただいたあとは、夜叉神堂にお参りするのが私の定番コース。すると、どちらのお堂も本物の夜叉神立像ではなく、等身大の写真パネルが飾られていた。おや?昨年7月には雄夜叉神だけが「御遷座」だったのに。「雄夜叉神立像は、修理を終えて宝物館に御遷座しています」の貼り紙。そして現在は、雌夜叉神が修理に入っているらしかった。

東寺宝物館 2022年春期特別展『東寺と後七日御修法-江戸時代の再興と二間観音-』(2022年3月20日〜5月25日)

 毎年正月8日から14日までの7日間に行われている後七日御修法(ごしちにちのみしほ)を特集する。弘法大師空海が承和2年(835)に宮中で勤修したのが始まりだが、戦国時代と明治初期に中断している。中断なく受け継がれてきたものも尊いが、このように、中断しては再興されてきた伝統も意義深いものだ。

 当初は空海が唐から持ち帰った法具類を用いていたが、戦国時代の中断を経て、元和9年(1623)の再興に際しては、使用不能になった『健陀穀子袈裟(けんだこくしのけさ)』を模倣した新たな袈裟を、御水尾天皇が寄進している。元禄時代には、両界曼荼羅図や五大尊十二天像も新調された。展覧会では、後世の模本が展示されているとガッカリしていたが、こういう努力がなければ、伝統の再興も継続も果たせなかっただろう。今回、2階の展示ホールに『五大尊十二天像(元禄本)』の一部が出ているのを、あらためて、ありがたく眺めた。

 2階ホールには、巨大な千手観音立像の膝元に、ほんとに雄夜叉神立像がいらっしゃっていた。腐朽菌などによる被害が確認されたため、令和3年度に修理を実施したとの説明あり。やんちゃな雄夜叉神を、隣りの地蔵菩薩立像がしっかり見張っているようにも見えた。

 1階には、江戸時代に御七日御修法の観音供の本尊として用いられた、二間観音立像(聖観音・梵天・帝釈天)が、六角厨子と一緒に展示されていた。おや、これは以前にも見たな、と思ったのは、2020年春の『東寺名宝展-重要文化財 二間観音と密教工芸-』のことだ。私は3月中に参観したのだが、4月に緊急事態宣言が出て展覧会が途中終了してしまったので、要望に応えて、再度公開になったのだという。

 館内には御七日御修法のさまざまな風景の写真パネルが飾られていたが、マスク姿の僧侶が目立っていたので、去年か今年の撮影なのだろう。1月14日の結願の日に雪がちらついたのは、今年だっただろうか。

六孫王神社(京都市南区)

 もう1か所、東寺の北側になる六孫王神社に寄っていく。清和源氏の始祖・源経基を祭神とすることで知られる神社である。前回の参拝は2012年で、大河ドラマ『平清盛』に影響されて、源平ゆかりの史跡を巡っていたときだ。私は元来、平家びいきなのだが、今年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』を見ていると、源氏も大変だねえ、という気持ちになっている。

 前回は、社務所に人がいらっしゃらなくて、住所と名前を書いてお金と一緒に置いてきたら、後日、ご朱印を送ってくださった。今回は、その場で書いていただきながら、10年前のお礼を申し上げてきた。

 これで関西旅行は切り上げ。お昼前の「ひかり」自由席で熱海に向かった。

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2022年5月関西旅行:細見美術館、龍谷ミュージアムほか

2022-05-11 07:27:10 | 行ったもの(美術館・見仏)

浄土宗総本山 知恩院(京都市東山区)

 「春の京都非公開文化財特別公開」の企画で、通常非公開の大方丈・小方丈が公開されているというので来てみた。狩野尚信、信政らによる襖絵が見どころ。特に大方丈・鶴の間の襖絵は、2005年から建物の修理工事の関係で佛教大学宗教文化ミュージアムに預けられていたが、本年2月に知恩院に戻ってきたもので、16年ぶりの公開となる。金地の背景に、黒と灰色の羽根をまとった鶴たち(マナヅルか?)が力強く描かれていて、華やかというより、厳粛な雰囲気だった。尚信って、江戸狩野の人だと思っていたが、京都や大阪での制作にもかかわっているのだな。

細見美術館 琳派展22『つながる琳派スピリット 神坂雪佳』(2022年4月23日~6月19日)

 近代京都において図案家・画家として活躍した神坂雪佳(1866-1942)の多彩な作品を紹介する。一度見たら忘れない『金魚玉』や、どれも楽しい『十二ヶ月草花図』など。図案集『百々世草』はデジタルで全頁を鑑賞することができる。鷹峯の光悦村を想像して描いた『光悦村図』も面白かった。

 関連する琳派作品では、宗達の『双犬図』(白犬と黒犬がじゃれあう)や中村芳中の『白梅小禽図屏風』(鳥の顔!)など、このへんの琳派はかわいい。

白峯神宮(京都市上京区)

 白峯神宮は「春の京都非公開文化財特別公開」に初参加。しかし、あまり文化財はないのではないか?と半信半疑で行ってみた。特別公開の拝観料を払って上がらせていただいたお部屋には『崇徳上皇像・附(つけたり)随身像』。ただし原本(鎌倉時代)は京博にあり、展示はかなり新しい(たぶん近代の)模写である。ほかに由来のよく分からない楽器、刀剣など。蹴鞠の装束・靴(鴨沓/かもぐつ)・鞠などは、同神宮を拠点に蹴鞠保存会が活動していることもあって、それなりに見る価値はあった。

 これで「文化財特別公開」の名目で1,000円取るのはどうかなあ、と思ったが、やがて話の上手いおばさんが登場して、同神宮の由緒やら蹴鞠の作法やらを熱心に解説してくれたので、まあ文句は言わないことにしておく。

龍谷ミュージアム 春季特別展『ブッダのお弟子さん-教えをつなぐ物語-』(2022年4月23日~ 6月19日)

 釈尊を支えた10人の直弟子(十大弟子)、釈尊の涅槃の時に後を任された16人の高弟(十六羅漢)をはじめ、絵画や彫刻に表わされた仏弟子や在家信者の姿を紹介する。2020年春に中止になった展覧会をあらためて開催するものである(出品作品は一部変更あり)。

 特に興味深かったのは羅漢図で、愛知・妙興寺(中国・元時代)の8幅、三重・津観音大宝院(中国・明時代、刺繍)の4幅、京都・永観堂禅林寺(鎌倉時代)の4幅の計16幅を使って、十六羅漢図の並べ方を再現したコーナーがあった。妙興寺の羅漢は、虎を懐かせたり、獅子に騎乗したり、摩竭魚に乗ったり、やることが派手でアニメっぽくて楽しかった。永観堂禅林寺の第十三尊者・因掲陀(いんかだ)だったと思うのだが、小さな魚か貝(?)の上に立って海を渡りながら、目から光線を発してる羅漢がいた。これは大和文華館で見た眉間寺旧蔵『羅漢図』とそっくり! 変わった図様だと思っていたが、類例があったのか。

 ほかにも大徳寺の五百羅漢図(中国・南宋時代)、清凉寺の十六羅漢図(中国・北宋時代)、東博でよく見る日本最古の十六羅漢図(平安時代)など、羅漢図の代表的な名品が、1~2幅ずつ来ていた。また、焼失した法隆寺金堂壁画には『山中羅漢図』があり、その模本(明治時代)が残っていることを初めて知った。

 十大弟子は、さらに「二大弟子」を取り出すことがあるのだが、東南アジア系統では舎利弗と目連、東アジアでは阿難と迦葉を指すことが多いという。なるほど。見たことのある舎利弗・目連像があると思ったら、神奈川・称名寺の十大弟子立像だった。また、妙にビビッドな彩色の羅漢像坐像は、延暦寺の宝物館で気になったもの(※写真)で懐かしかった。

 以上、市バス1日乗車券を使い倒して予定を終了。最後に「Gallery SUGATA」に寄ったことは別記事とする。

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2022年5月関西旅行:最澄と天台宗のすべて(京都国立博物館)

2022-05-10 09:50:17 | 行ったもの(美術館・見仏)

京都国立博物館 伝教大師1200年大遠忌記念・特別展『最澄と天台宗のすべて』(2022年4月12日~5月22日)

 関西旅行2日目は京博からスタート。開館20分前くらいに行ってみたところ、まだ列はできておらず、10~15人くらいがパラパラと門前に立っていた。しばらくすると中の人が出てきて「博物館のフェンスに沿ってお並びください」とアナウンスする。結局、開門前には50人前後が並んだと思うが、いつもの特別展に比べると、少ないほうだと思う。

 ほぼ先頭で入館できたので、巡路どおり第1室から見ることにした。冒頭には兵庫・一乗寺の『聖徳太子及び天台高僧像』から「龍樹」と「善無畏」。善無畏像はいちばん好きなので、得をした気分。龍樹像も赤やピンクが基調で、華やかで美しい。東京では見られなかった兵庫・福祥寺の『天台四祖像』(南北朝時代)が並んでいた。左上の四租・灌頂が僧侶らしくない風貌で目につく。

 第1室は『伝教大師入唐牒』『弘法大師請来目録』(東寺、最澄筆)など、最澄の筆跡を中心に、国宝・重文級の文書がずらりと並ぶ。第2室には、朱塗・金の金具の勅封唐櫃とその納入品が展示されており、勅使を迎えて、勅封を解く儀式のビデオが流れていた。

 階下へ。2階は絵画中心だが、私の見たかった菩薩遊戯坐像(伝如意輪観音)(愛媛・等妙寺、鎌倉時代13世紀)を見つけて直行する。小さいが神経のゆきとどいた精巧な像だ。ゆったりした長い衣、華やかな瓔珞にもかかわらず、すぐに戦闘モードに入れそうな、男性的な印象である。ちょっと『陳情令』の含光君を思わせる。

 絵画は、京都・三千院の『阿弥陀聖衆来迎図』(鎌倉時代)が来ていて、ああ!と声が出てしまった。前日、中之島香雪美術館で、そっくりの模本(滋賀・金剛輪寺伝来)を見たばかりだったので。鎌倉時代には立像の来迎図が一般化するが、本作は、かなり古い来迎図を写したものと考えられている。三重・西来寺の『阿弥陀四尊来迎図』(鎌倉時代)は半跏坐の阿弥陀如来と観音・勢至、それに地蔵菩薩を加えたもの。みんな丸顔でかわいい。

 京博の『閻魔天曼荼羅図』、奈良博の『普賢菩薩像』などの名品に続いて、極めつけは『釈迦金棺出現図』。たぶん、2018年1月に東博の国宝室で見て以来である。みんな優しい顔で、特に釈迦如来が、母親に向き合う息子の顔なのが、なんとも言えない。

 1階の大展示室では、日吉山王金銅装神輿(樹下宮)(ひえさんのうこんどうそうみこし、じゅげぐう)の前で、しばらく足が止まってしまった。以前にも展覧会で古い神輿を見た記憶がある。おそらく、2013年の『大神社展』で見た、和歌山・鞆淵八幡神社の『沃懸地螺鈿金銅装神輿(いかけじらでんこんどうそうしんよ)』だろう。鞆淵八幡神社の神輿が、平安末期~鎌倉初期のものと推定されているのに対し、こちらは江戸時代の作。ぐるぐる巻かれた太い綱、厚みのある金具など、頑丈そうで、力強く、華やかである。基台の四方を囲む金色の飾り金具には、松の枝で群れ遊ぶサル(神猿)の群れが浮き彫りになっている(会場の巡路や出口を示すバナーにもこのサルが使われてて、可愛かった)。

 彫刻は、愛媛・浄土寺の空也上人像(六体の小仏を口から吐いている)、大阪・興善寺の釈迦如来坐像と薬師如来坐像など。びっくりしたのは、延暦寺横川の聖観音菩薩立像がおいでになっていたことだ。遠目に見つけた瞬間、もしや…と思って近づき、歓喜した。2005年の秋に、ここ京博(旧本館)の『最澄と天台の国宝』展でお会いしたときの感慨がよみがえった。

 1階の奥の部屋(特別展示室)には、延暦寺根本中堂の不滅の法灯が再現展示されていた。展示の灯りは電飾だと思うが、「不滅の法灯」の解説に「これは本当に最澄以来守り継がれてきたものです」とあって、念押しの強調に笑ってしまった。

 さて天台の名宝は、まだたくさん。絵画は、福井・國神神社の『白山参詣曼荼羅図』、愛知・密厳院の『兜率天曼荼羅図』など、初めて見たものも多い。美麗な『聖徳太子二侍者像(廟窟太子)』(鎌倉時代)には所蔵者情報がなかった。昨年は聖徳太子の御聖忌記念展で「廟窟太子」の図をいくつか見たが、これは初見だと思う。『阿弥陀聖衆来迎図』(滋賀・西教寺)は、雲のなびき方から「迅雲来迎」と呼ばれるもので、見ていた子供が「ほんとだ!速いね!」と感嘆していた。

 文書でおもしろいと思ったのは、後深草院の消息(正応5/1292年5月)で、興福寺及び延暦寺の強訴の動向を伏見天皇に尋ねたものだという。また花園天皇の消息(正慶2/1333年閏2月、尊円親王宛てか)には、延暦寺根本中堂に飛び込んだ鳩が常明灯を消した一件が綴られており、「常燈事鳩消」の文字が私にも読めた。

 楽しかった~。東博と京博を見たわけだが、京博のほうが演出や解説が少なめで(常設展示室を特別展に転用しているので、あまり凝った演出ができない事情もあるかもしれないが)超級のお宝を淡々と展示する態度が私の好みである。

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三省堂、神保町本店ビル建て替え

2022-05-09 20:48:19 | 街の本屋さん

 三省堂書店の神保町本店が、施設の老朽化に伴い建て替えられることになり、現在の建物で営業を5月8日で終了することになった。連休の谷間の5月6日(金)、仕事は休みを取ったので、久しぶりに神保町に行って、別れを惜しんできた。

 ちょうど買いたい新刊書があったのだが、仮店舗への引っ越し準備が始まっているのか、全体に品薄で、私の探している本もなかった。仕方ないので、2階の「UCCカフェ コンフォート」で、クラシックなプリンアラモードを食べてきた。

 近年、書籍の発行点数は減少気味で、私自身、リアルな書店に滞在して、じっくり面白そうな本を探索する機会は減ってしまった。だいたいネット等で目星をつけたものを、サッと買って帰ってしまう。なので、建て替え後の店舗が拡張される可能性は低いと思うが、せめて今くらいの棚数が残ることを祈っている。

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2022年5月関西旅行:大和文華館、大安寺のすべて(奈良博)

2022-05-08 18:23:02 | 行ったもの(美術館・見仏)

大和文華館 特別企画展『泰西王侯騎馬図屏風と松浦屏風-越境する美術-』( 2022年4月8日~ 5月15日)

 関西旅行、まだ初日のレポートである。大阪で中之島香雪美術館と大阪市立美術館を見たあと、奈良の大和文華館へ向かった。本展は、東西の文明圏の境界を越えて行き来し、それぞれの地に根付いた美術工芸の諸相を眺める特別企画展。冒頭には「越境」が生み出した3つのうつわが並ぶ。ひとつはドイツのマイセン窯でつくられた柿右衛門写し。次はオランダ製の逆三角形のワイングラスで、東インド会社(VOC)の旗を掲げた帆船と農夫を側面に刻む。口縁には「祖国に繁栄を」の文字あり。最後は大越国(ベトナム)の銘を持つ山水人物文の茶碗で、日本から注文を受けて焼かれたものだという。どれも興味深い。

 本展にはサントリー美術館所蔵の『泰西王侯騎馬図屏風』が出ているはずなのだが、入口から展示室内を見渡した限り、それらしい作品が見えなかった。あれ?と思って展示室に入ると、巡路の冒頭、ちょうど入口から見えないコーナーに展示されていた。何度見ても飽きない作品。「1580年代にはスペイン王(フェリペ2世?)が甲冑姿で馬に乗る自分の肖像画を中国・明の皇帝(→万暦帝だ)に献上しようとした」「宣教師の間では日本の大名には武装した人物画が喜ばれるという情報が共有されていた」などのミニ情報が面白かった。

 『松浦屏風』も何度か見ているが、右隻第三扇の鹿の子絞りの小袖の女性は、元来、ロザリオの十字架をつまむ仕草で描かれていたが、十字架が塗りつぶされ、ただの首飾りになっている、という解説が添えられており、初めて気づいた。特に意味のない、おしゃれアイテムのつもりだったのかもしれないが、キリシタンの祈りを連想させるため、抹消されたのだろうという。

 このほか絵画は、サントリー美術館から伝・狩野山楽筆『南蛮屏風』も来ており、大和文華館所蔵の初期洋風画『婦女弾琴図』、江戸後期の宋紫石、司馬江漢、亜欧堂田善らによる洋風画も多数出ていて楽しかった。初めて見たのは『西洋戦争図巻』(江戸・19世紀)で、ヨーロッパで1830年代に刊行された銅版画(?)15図を日本で模写して紙本着色の図巻に仕立てたもの。神戸市博にもあるという。フランスのアルジェリア侵攻(1830年)、ロシアとオスマントルコの戦争(第4次?)、ポーランド11月蜂起(1830年)など、主な画題は19世紀前半の戦争と分かっているが、中世ふうの甲冑を描いた図も交じる。

 工芸は、オランダ18世紀のワイン瓶だという「オニオンボトル」が可愛かった。復刻品でもいいから欲しい。東洋陶磁を模倣してヨーロッパでつくられたうつわには、独特の「ゆるさ」が味わいになっているものも多い。マイセン窯の柿右衛門写しの『梅竹虎文皿』には、なぜか大きな赤い舌を出したトラが描かれていた。また『梅竹虎文菱花形皿』には、竹に巻き付いて溶けかかったようなトラが描かれていて、笑ってしまった。

奈良国立博物館 特別展『大安寺のすべて-天平のみほとけと祈り-』(2022年4月23日~6月19日)

 続いて奈良博へ。ゴールデンウィーク中は午後7時まで開館なので余裕で参観。本展は、わが国最初の天皇発願の寺を原点とし、時代をリードする大寺院であった大安寺の歴史を様々な角度から紹介する。大安寺には、2年前の2020年3月に拝観に行っており、木彫の仏像群の素晴らしさが、まだ記憶に新しかった。会場には、同寺が保有する奈良時代の仏像9躯のうち、8躯がいらしていた。あ、馬頭観音はいらっしゃらないのか、と思ったら、後期(5/24-)は十一面観音がお帰りになり、交代するようだ。

 前半は文書や発掘資料が多くて、やや地味な展示だが、巨大な風鐸(大安寺旧境内出土)や鬼瓦(伝・大安寺出土)から、かつての大伽藍を想像すると楽しい。三彩などの釉薬を施した陶枕のかけらが約300点(復元すると50個体以上)が見つかっていることは初めて知った。大安寺は、菩提僊那や空海など外国僧や留学僧を含む、多数の僧侶が滞在・往来する国際的な仏教道場だった。

 後半には、意外な仏画や仏像の名品が出ていてびっくりした。大安寺の本尊・釈迦如来像(現存せず)は、かつて日本随一の釈迦像として讃嘆された記録が残っているのだ。その姿を想像すべく、多様な釈迦像が集められている。また大安寺僧の勤操は、空海に虚空蔵菩薩求聞持法を伝えたといわれることから、虚空蔵菩薩の画像・彫刻もあり。さらに大安寺僧の行教が、大安寺の鎮守として八幡神を勧請した縁で、奈良・薬師寺(休ヶ岡八幡宮)の八幡三神像も展示されていた。

 興福寺・北円堂の四天王像は、もと大安寺に伝来したものだという。え~ちょうど北円堂が春の特別開扉(4/23~5/8)をしていたのだが、素通りしてきてしまった。見てくればよかった。会場には、興福寺像の模刻だという大分・永興寺と香川・鷲峰寺の四天王像が出ていた。いちばん驚いたのは、京博でおなじみ、西住寺の宝誌和尚立像で、大安寺金堂にも「面を裂いた中から仏身が現れる」三尺の宝誌像があったそうだ。

 長い歴史を刻んできた大安寺、このたび、奈良時代の大伽藍をCGで復元する試みが行われた。展覧会の会場では、CGの映像が流れている。現地に行くと、自分でコントローラーを操作することも可能らしい。ちょっと触ってみたい。

※産経新聞:900人が居住 失われた大伽藍 大安寺がCG復元(2021/12/1)

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2022年5月関西旅行:華風到来(大阪市立美術館)

2022-05-07 11:30:14 | 行ったもの(美術館・見仏)

大阪市立美術館 特別展『華風到来 チャイニーズアートセレクション』(2022年4月16日~6月5日)

 同館は本年秋から約3年間の大規模改修工事に入ることになっている。本展は、長期休館の前に館蔵品によって行う特別展で、中国美術とその影響を受けた「華風=中国風」の日本美術を選りすぐり、中国文化の魅力と広がりを紹介する。はじめに阿部コレクションを中心とする中国明清の書画。堆朱盆や豆彩・青花の磁器など工芸品も取り合わせる。

 明・沈周の『菊花文禽図』(だったかな?)。

 明・呉歴『江南春色図』(だったと思う)。安野光雅さんの『旅の絵本』みたいに、高い視線から眺めた、やわらかい色彩のひろびろとした風景が続く。時折、そこに暮らす人々の姿が小さく見える。とても愛おしく感じた作品。

 次に「古いもの」の括りで、師古斎コレクションの拓本と、青銅器・鏡、加彩俑など。拓本は、褚遂良の『雁塔聖教序』(唐・653年)が最も新しく、あとはずっと古い。『天発神讖碑(てんぱつしんしんひ)』(276年)は、三国時代の末、呉が天下を統一するという予言を聞いた呉の孫晧が建てたもの。書風は極めて特殊で「奇怪の書」「篆書にも非ず、隷書にも非ず」と評されているそうだ。いつも日本民藝館で見ている『開通褒斜道刻石(かいつうほうやどうこくせき)』もあった。

 いま見ている中国ドラマ『風起隴西』が街亭の戦い(228年)から始まっているので、四川省雅安市の『樊敏碑(はんびんひ)』(205年)は、場所も年代もドラマに近いなと思って眺めていたが、あとで調べたら、五斗米道を「米巫」と称している箇所があるそうだ。よく見てくればよかった。

 ドラマの登場人物を思わせる灰陶加彩女子(後漢時代・1~2世紀)。

 続いて日本の絵画・工芸から「憧れの中国」を取り出す。「恋にはいろんな形がある」と名付けて、鎌倉時代の『白衣観音像』から(古墳時代の三角縁四神四獣文鏡から?)大正時代・島成園の『上海娘』まで。

 最後は山口コレクションを中心とする中国の石造彫刻。私が大阪に住んでいたら、毎月でも通って眺めたいくらい素晴らしいコレクションである。仏龕の裏面の浮彫、素朴な線刻画も魅力的。供養人の名前の列を見ているだけでも想像が広がる。

 併設の『大阪市立美術館の歩みとコレクション』では、開館当時の外観写真やポスター等に加え、特別展で紹介できなかった名品の数々を展示していた。特別展に出陳しているコレクションについても、あらためて紹介。もともと同館のホームページには各種コレクションの概説があるのだが、これが「よそいき」の文章であるのに対して、今回の展示パネルは、短い文章の中にコレクターの人となりが浮かんで、印象深いものになっている。

 たとえば師古斎コレクションの岡村蓉二郎氏は、上述の『天発神讖碑』に出会って「しばらく声も出ず」「西宮に持っていた貸家を売り払い、その金を持って走るように店に行き」手に入れたなど。山口コレクションの山口謙四郎氏については、「驚くべきことに、氏はほとんど独学で自らの鑑識眼を頼りにしてコレクションを形成した」「中国の発掘調査事例などが知られない当時にあって、よくぞ集めたという逸品が揃う」など、書き手の心情が滲み出ている。なお、旧蔵者の多くは、大阪ないし関西ゆかりの実業家だが、こういう美術コレクター、今は少なくなっているのだろうなあ。

 併設展で初めて知ったことに、大阪の旧明治天皇記念館の存在がある。この壁面を飾った「御聖徳壁画」が大阪市美に収蔵されており(全部か一部か不明)、今回、洋画4件が展示されていた。私は東京育ちなので「聖徳記念絵画」といえば、神宮外苑を思い出すのだが、大阪にも同様の施設があったことを初めて知ったのである。旧明治天皇記念館(旧桜宮公会堂)は現存しているそうなので、今度、外観だけでも見に行ってみよう(レストランは敷居が高そう)。

 なお、大阪市美、高い天井のシャンデリアに灯が入っていて美しかった。写真だと写らないが、現場では七色に輝いていた。

 今回の展示は、基本的に撮影可で、近代絵画など著作権保護期間内の作品には「配布禁止」の注意書きが付いていた。私はメモ代わりに写真を撮りたいときが多いので、こういう扱いはとてもありがたい。広まってほしいと思う。

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2022年5月関西旅行:来迎(中之島香雪美術館)

2022-05-06 22:27:32 | 行ったもの(美術館・見仏)

中之島香雪美術館 企画展『来迎 たいせつな人との別れのために』(2022年4月9日~5月22日)

 今年のゴールデンウィークは、1日休めば7連休、2日休めば10連休のカレンダー、しかしまだ海外渡航はできないので、関西2泊3日にとどめておいた。初日は、久しぶりに満席に近い新幹線で大阪へ。

 阿弥陀如来が聖衆を率いてお迎えに来る「来迎図」、死後に向かう極楽のありさまを描く「浄土図」など、浄土信仰の美術を紹介する。これまで何度も見てきた来迎図だが、「平安時代までは阿弥陀如来は必ず座っている(他の菩薩は立ったり座ったり)」「鎌倉以降は立像形式が増加」「立像の阿弥陀如来の周囲を諸菩薩が囲む形式を『円陣来迎図』という」等の整理が腑に落ちて、とても面白かった。阿弥陀如来の脇侍である観音・勢至は『白宝口抄』という書物では「二十五菩薩」の中に含まれているが、絵画では、この二菩薩を別にして二十五菩薩を描くこともある。また二尊の僧形菩薩が加わることもある。

 三幅対の中幅に阿弥陀三尊・左右に二十五菩薩を描いたものや、二十五菩薩だけを二福対に描いたものは、中央に彫刻の仏像を配して使うこともできた、という指摘も新鮮だった。自分の望む来迎をかたちにするために、いろいろな演出が可能だったのだな。

 印象的だった作品は、まず『阿弥陀聖衆来迎図』(南北朝時代)。左上から右下に向かってS字に蛇行しながら、五色の雲に乗った阿弥陀如来と聖衆たちが下ってくる。絹地は茶色く劣化しているものの、各所に鮮やかな色が残る。滋賀・金剛輪寺伝来。本展が初公開だという『阿弥陀三尊像』(南宋~元時代)は、切れ長の目、髭がはっきりして男性的な観音・勢至が珍しい。寒色系は褪色しているが、赤・金・白はよく残っており、本来の華やかさを想像できる。また解体修理を終えた『阿弥陀三尊像』(鎌倉時代)は、三尊が水面(?)から立ち上がった蓮華座に座るもの。茎が枝分かれして蓮華座のほかにも花をつけているのが面白い。観音・勢至が長い蓮華茎を持っているのも古様な図像だそうだ。

 『稚児観音縁起絵巻』は、大和国の上人が出会った美しい稚児が病で亡くなったのち、十一面観音となって飛び去ったという物語。興福寺菩提院大御堂の縁起だという(ここ、行ったことがなかったが、拝観できるらしい)。絵は背を丸めた僧侶など、人体の描写が巧いと思った。『矢田地蔵縁起絵巻』は根津美術館本を何度か見た記憶があるが、これも怖いよりかわいい。2匹の蛇に巻き付かれた「両婦地獄」に笑ってしまった。『沙門地獄草紙模本』は、明治時代に桜井香雲が模写したもの。「解身地獄」の段がかなりグロだなあ。

 『帰来迎図』(南北朝時代)は、阿弥陀如来と六菩薩が往生者を迎え、極楽浄土へ帰ってゆく図だが、なぜか往生者の家の外で巨大な赤鬼と青鬼(ほぼ黒い)が見送っている。罪深い人間の臨終には、地獄の業火が押し寄せるが、阿弥陀の教えを聞くと罪が許され、菩薩が来迎するのだそうだ。それなら最初から阿弥陀如来が来てくれればいいのに、怪獣がひと暴れしたあとに登場するウルトラマンみたいである。またこの鬼たちが家の屋根より大きくて、特撮の怪獣みたいでもあった。

 以上は全て香雪美術館の所蔵品だが、他館や寺院等からの出陳も多数あった。福井・正覚寺の『阿弥陀二十五菩薩来迎図』(室町時代)は、金身の阿弥陀三尊以外、かなり褪色が進んでいるが、円陣来迎図の大作。よく見ると、楽を奏でる菩薩たちの動きが大きく躍動的である。福井県立美術館の『二十五菩薩来迎図』二幅対(鎌倉時代)は、中央で両袖を翻して踊る二菩薩がかわいい。まわりの菩薩たちも、赤い唇が心なしか微笑んでいる。

 京都・禅林寺の『阿弥陀三尊像』(南宋時代)には「張思恭筆」の落款あり。正面向きの動きの少ない三尊だが、大きな光背、敷きつめたような彩雲の表現など特徴あり。福井・正覚寺の『阿弥陀三尊来迎図』(南宋~元時代)は三尊が向かって左へ歩む図。もうひとつ京都・禅林寺の『阿弥陀三尊像』三幅対(南北朝~室町時代)は、三尊それぞれ船形の光背を背負う。衣裾の波打たせ方などが抑制されていることから、日本での制作と推定されているが、素人目にはかなり宋風に感じる。なお、以上3作品の阿弥陀は全て左手を前に伸ばした逆手来迎印。

 仏像(彫刻)は少なかったが、やや四角張った顔の菩薩立像(南北朝時代)、理知的な地蔵菩薩立像(鎌倉時代、胸元の打合せのV字形から春日地蔵と推測される)、静かな力のみなぎる来迎印の阿弥陀如来立像(鎌倉時代)など優品揃いだった。図録は読みごたえあり。見たいところが拡大図版になっているのも嬉しかった。

 なお今回の旅行では、このあと、最初に見たこの展覧会を思い出す機会が何度かあるのだが、それは今後のお楽しみ。

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初夏のモッコウバラ

2022-05-03 06:00:44 | なごみ写真帖

今年のゴールデンウィークは、久しぶりに観光地に人出が戻っているようだが、東京は冷たい雨の日が多い。仕舞ったはずのセーターやフリースを引っ張り出して、家の中で震えている。

それでも今日(5/3)から2泊3日で関西方面へ。晴れるといいな。

4月末に、上野毛の五島美術館に出かけたときに見たモッコウバラ(木香薔薇)の写真を挙げておく。

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遊ぶ、装う人々/人のすがた、人の思い(大倉集古館)

2022-05-02 19:52:36 | 行ったもの(美術館・見仏)

大倉集古館 企画展『人のすがた、人の思い』(2022年4月5日~5月29日)

 各種収蔵品を通して、人々がどのようなすがたや形、そして動きをしているか、どのような思いが表現されているかを探る。新型コロナによる行動制限が続く現在、あらためて人と人の交流の大切さを見直してみたいという思いが込められているという。

 最初のテーマ「女性の姿」では『狂言面 乙』に惹かれた。おかめ、おたふくとも呼ばれる、あまり美しくない女性の面であるが、ネットで検索すると、実に様々な種類があることが分かる。展示品(江戸時代・17世紀)は、目鼻口が顔の中央に集まった、極端な下膨れで、ちょっと怖い。醜女をあらわす面だが、仏像の役に用いることもあるそうだ。

 『鳥毛立女図』(大正時代)は正倉院宝物の模造品だが、どういう事情でこれが制作され、同館に入ったのか、不思議だった。原本は、女性の着衣や樹木にヤマドリ等の羽根が貼り付けられていたと考えられており、その雰囲気を想像するために、能の小道具である『羽団扇』(江戸時代)が添えられていたのが興味深かった。何の演目に使うのだろう? 孔明の羽毛扇は(私の中では)白のイメージだが、これは全体がつややかな濃茶色だった。

 また酒井道一筆『道成寺図』には、オレンジ色の衣を羽織った女性の後ろ姿が描かれ、足元には「黒地に丸紋づくし」の着物の裾が覗いている。この柄は、嫉妬に狂った女性の扮装に使う、という解説にはっとした。前々日に見たばかりの鏑木清方展の図録を、家に帰って確認したら『道成寺(山づくし)』や『春の夜のうらみ』の帯が、まさにこの模様だった。

 「思いに向き合う」の展示品は多種多様で、『異国船より抜荷を買取候その他禁制札』(正徳4年)という大きな制札が出ていた。こんな歴史資料もコレクションに入っているのか。文字が浮き彫りのようになっていたのは、表面の劣化の結果なのだろうか。室町時代の絵画『子島荒神像』は「中国の武将姿の日本の神」とあったたけれど、卵形の顔で、冠の紐を顎の下で結んでいる。全く武将らしくない。

 『探幽縮図(和漢古画帖)』は、鑑定などの依頼を受けて探幽が目に触れた古画を縮小模写したもの。探幽のメモ(コメント)を翻刻して添えてあるのが楽しく、価格への言及もある。南宋・劉松年の真筆と思われる作品は200貫目、明兆は100貫目、正信は金3枚か2枚(この換算レート?)。模写された作品は、楼閣山水、赤壁(?)、白衣観音など。知っている作品がないか、記憶を探ったが、よく分からなかった。なかに『慧可断臂図』っぽいものを見つけて、これは!と思ったら、探幽が「雪舟のにせもの」と断じていた。

 『宮楽図屏風』(桃山時代)は、右隻に男性舞踊、左隻に女性舞踏を描くというが、前期は右隻のみだった。実は「帝鑑図説」に基づき、音楽戯劇にハマった後唐の荘宗(李存勗)を描いたもので、なるほど、皇帝らしい人物が踊り出して、近侍の者が慌てている。とんがり帽子を被った胡人らしき舞人が踊るのは胡旋舞か。「帝鑑図説」って、戒めといいながら、破天荒な皇帝の所行を楽しんでいる感じがする。

 2階に上がって「名所に集う」は、江戸時代の風俗屏風、図巻など。『上野観桜図・隅田川納涼図』(宮川長亀、江戸18世紀)は、老若男女、さまざまな職業・風体の人々が細かく描き込まれていて楽しい。しかし老眼にはつらいなあ。デジタルで拡大しながらゆっくり見たい。最後の「民衆へのまなざし」は、英一蝶『雑画帖』と久隅守景『賀茂競馬・宇治茶摘図屏風』の競演ということになるのだろうが、私は作者不詳の『職人尽図』(室町~桃山時代)が気になった。

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あふれる物語/鏑木清方展(国立近代美術館)

2022-05-01 22:19:38 | 行ったもの(美術館・見仏)

国立近代美術館 企画展『没後50年 鏑木清方展』(2022年3月18日~5月8日)

 日本画家・鏑木清方(1878-1972)の大規模な回顧展。見どころのひとつは、2018年に同館が収蔵した美人画の名作『築地明石町』『新富町』『浜町河岸』三部作の公開である。事前にチェックしたら三作品は通期展示だったので、すっかり安心して、見に行くのが会期ぎりぎりになってしまった。

 冒頭は「生活をえがく」をテーマに、市井の風俗、風景などを描いた作品を集める。『雛市』や『鰯』などの明治風俗から、近世初期の遊楽図を思わせる『若き人々』、浮世絵を大画面にしたような『墨田河舟遊』もある。『讃春』は昭和の大礼を記念し、三井財閥の岩崎家から皇室に献上された作品で、左隻には隅田川に浮かぶ船と水上生活者の母子、右隻には宮城を背景にセーラー服姿の女学生を描く。おもしろい対比だなあ。

 このセクションの最後に三部作が登場。『築地明石町』は何度も写真で見たことがあった(切手も持っていたなあ)が、あとの二作品は知らなかった。左側の『浜町河岸』は、おぼこい感じのお嬢さん。閉じた扇を口元にあてているのは、踊りの稽古を思い返している体だという。黒襟の着物の柄が独特で、髪飾りも、白足袋に赤い鼻緒もかわいい。中央の『築地明石町』は、浅葱色の単衣に黒羽織、袖を体に巻き付けるように胸元を抱いて立つ妙齢の女性。髪型は図録に「夜会巻」とあった。わずかに覗く羽織裏(?)の強い赤、唇と鼻緒の淡い赤が効いている。右側の『新富町』は、縞の着物に青みがかった灰色(利休色というのか)の羽織、伝統的な日本髪に結った女性が、うつむきがちに蛇の目傘をさして歩む。遠目に見てもどれも素晴らしいのだが、会場では、細部を拡大した映像が流れており、目元や口元、髪の生え際などの細かい描写にびっくりした。『築地明石町』の女性が、金の指輪をはめていることにも初めて気づいた。

 しかし私が心を掴まれたのは、このあとの「物語をえがく」のセクション。『野崎村』の母に手をひかれるお染!『コレクター福富太郎の眼』展でも見た『薄雪』の梅川忠兵衛!『道成寺(山づくし)鷺娘』は左隻に白無垢の鷺娘、右隻に『京鹿子娘道成寺』の一場面を描く。この『娘道成寺』のヒロインの美しさと妖しさが尋常じゃない。所蔵は「福富太郎コレクション資料室」になっているが、東京ステーションギャラリーの展覧会には出ていなかったと思う。いやー惚れてしまった。あと赤い着物に黒い帯の女性が静かに立つ『春の夜のうらみ』(新潟近美・万代島美術館)も『娘道成寺』に取材したものだというが、激しい嫉妬の予感は微塵もなく、解説がなければ分からなかった。名作『一葉女史の墓』は展示替えで見られなかったが、『たけくらべの美登利』(京都近美)は物語の終盤の、大人びた表情がよいなあ。

 清方は、特に小説や演劇に基づいていなくても、物語を感じさせる作品が多くて好きだ。(会場では見られなかったが)袴姿の女学生を描いた『秋宵』とか、宗門改めの踏み絵に向かう遊女たちの『ためさるゝ日』とか、眺めていると、どんどん物語の想像が膨らんでいく。うつむいてお茶を差し出す女性を描いた『幽霊』(全生庵)にも同様の魅力を感じた。

 最後は「小さくえがく」と題して挿絵、雑誌の表紙、絵日記などを集める。全109件だというが、展示替えが多かったので、見られたのはその半分くらいかと思う。私はそんなに清方を知っているわけではないが、あれも見たかったし、これも見たかったな、というのがけっこうあって、やや物足りなく感じた。もうひとつ不満は、近美の会場が左→右まわりなことで『明治風俗十二ヶ月』を12月から1月の順で見なければならないことに戸惑った。

 会場には、清方が、戦後、ラジオ(?)で来し方を語った肉声の録音を聴けるコーナーがあり、明治を「幸せな時代」と語っているのが印象的だった。「少しも衰兆の見えない時代」と評していたと思う。ただし近年の日本に多い「明治好き」な人々とは違って、清方は嫌いなものに戦(いくさ)を挙げている。嫌いなものは意地でも描かなかった。東京が緊迫した二・二六事件の日でさえ、美しいものを描いていたという。清方先生、「場合」を「ばやい」と発音するのが、江戸っ子らしくて微笑ましかった。なお、常設展(所蔵作品展)には、伊東深水が描いた『清方先生寿像』が展示されている。八の字眉に小さな目の、いかにも人のよさそうなおじさんの風貌だった。

※参考:幻の名作と言われてきた『築地明石町』発見の経緯については、以下の記事が詳しい。

美術展ナビ:鏑木清方の名作「築地明石町」を発見、44年ぶり公開へ(2019/6/25)

 今回、作品の所在を探し当て、近美の収蔵に結びつけたのは、主任研究員の鶴見香織さんだが、同館で日本画を担当する研究員(学芸員)の間では「いずれ『築地明石町』が世に出てきた時にはぜひとも収蔵したい」との思いが代々受け継がれてきた、という話に感銘を受けた。研究もコレクションも、短期で結果が出るものばかりじゃないんだよなあ。鶴見さんは、以前、安田靫彦展のギャラリートークを聴いて以来のファンなので、よいお仕事をしてくださって嬉しい。

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