〇安田浩一『団地と移民:課題最先端「空間」の闘い』(角川新書) 角川書店 2022.4.10
戦後、住宅不足の解消と住宅環境の改善を目指して、1955年に日本住宅公団が設立され、翌年、第1号の公団団地が誕生した(堺市・金岡団地)。それから半世紀、本書は「老い」の境地に入った団地の歴史と現在をレポートする。2019年3月刊行の同名の単行本を加筆修正したものである。
1960年に入居を開始した常盤平団地(千葉県松戸市)。農民たちの激しい反対運動もあったものの、入居倍率は20倍を超え、団地は「豊かさ」「明るい未来」の象徴となった。しかし今では住民の半数以上が65歳以上の高齢者となった。団地の自治会長は「孤独死ゼロ」を掲げて奮闘しており、国内外から常盤平の取組みを学びに訪れる人が後を絶たないという。
1965年に入居を開始した神代団地(東京都調布市)は、西村昭五郎が撮ったロマンポルノ『団地妻』の撮影が行われた団地で、一時期は好事家が見学に訪れることもあったという。『団地妻』は濡れ場が売りだが、それなりにストーリー性を持っており、びっくりするような破滅的な結末で終わるようだ。著者は、ロマンポルノの終焉とともに映画界を去り、青森の漁師町で晩年を過ごした西村の妻にも取材している。
そして、いろいろ話題の芝園団地(埼玉県川口市)。1978年に完成したUR団地だが、いまや世帯の半数以上が外国人住民だという。2009年頃から中国人住民の急増が「治安問題」として取り上げられるようになり、外国人排斥を主張するグループが押しかけ、街宣を行うようになった。一方で、「多文化共生」の実践を求める日本人の若者が移住してきたことをきっかけに、彼の活動を外部の大学生たちが手伝うようになり、中国人住民が団地の自治会に加わり、次第に日本人住民と中国人住民の交流と共生が、ゆっくり進んでいるという。
フランス、パリ郊外のセーヌ・サン・ドニ県は、人口の75%が移民一世とその子孫で、その多くが団地に住んでいる。貧困層の移民が暮らしていけるのは(家賃は安く、自治体によっては家賃補助がつく)公営団地しかないのだ。著者は、社会活動家の女性(アルジェリア移民二世)の案内で、ブランメニル団地を取材する。犯罪の巣窟、テロリストの拠点と見做されている団地だが、歩いてみれば、当たり前の「日常」が営まれる場所でしかない。とは言え、問題はある。団地住民の組織(アソシアシオン)の中には、野宿者への炊き出しなどを通じて、団地住民に「誰かの役に立っている」実感を持ってもらおうと活動している人々もいる。
広島市営基町高層アパートは、隣接する県営アパートも合わせて基町団地と呼ばれている。ここには、終戦直後から1970年代末まで「原爆スラム」と呼ばれるバラック街があった(本書には、1969年撮影の印象的な写真が掲載されている)が、1978年、高層アパートの完成によって、木造住宅はすべて撤去された。ここは、中国から帰国した残留孤児の受入れ先でもあった。中国人でもあり、日本人でもある孤児たちは、日本人の心の中には紙一枚の壁がある、という。また近年は、若者による団地再生の取組みが、ここでも始まっている。
最後に保見団地(愛知県豊田市)。1990年に「デカセギ」で来日した日系ブラジル人のひとりは、20年も前から、団地のごみステーションの掃除をボランティアで続けている。90年代以降、保見団地では、ごみ出し・騒音など生活習慣のトラブルに端を発し、日本人とブラジル人の対立が続いてきた。比喩ではなく武力対決まであと一歩で、機動隊が出動したこともあったという。しかし「日本人と一緒にここで生きていく」という覚悟を示すブラジル人が現れ、それに呼応する日本人が現れたことで、少しずつ歩み寄りが始まっている。
後半の事例から、現状、団地をめぐっては「移民」「外国人」との共生が問題化していることが分かる。これからの日本で「団地」という社会インフラを維持していくには、この点の解決が急務だろう。しかし団地住民は高齢者が多いので、性急な解決策の押しつけではなく、ゆっくり理解と妥協を進めていくしかないと思う。私個人は、老後は外国人の多いコミュニティで、むしろ喜んで暮らしたいのだが。