〇中之島香雪美術館 企画展『来迎 たいせつな人との別れのために』(2022年4月9日~5月22日)
今年のゴールデンウィークは、1日休めば7連休、2日休めば10連休のカレンダー、しかしまだ海外渡航はできないので、関西2泊3日にとどめておいた。初日は、久しぶりに満席に近い新幹線で大阪へ。
阿弥陀如来が聖衆を率いてお迎えに来る「来迎図」、死後に向かう極楽のありさまを描く「浄土図」など、浄土信仰の美術を紹介する。これまで何度も見てきた来迎図だが、「平安時代までは阿弥陀如来は必ず座っている(他の菩薩は立ったり座ったり)」「鎌倉以降は立像形式が増加」「立像の阿弥陀如来の周囲を諸菩薩が囲む形式を『円陣来迎図』という」等の整理が腑に落ちて、とても面白かった。阿弥陀如来の脇侍である観音・勢至は『白宝口抄』という書物では「二十五菩薩」の中に含まれているが、絵画では、この二菩薩を別にして二十五菩薩を描くこともある。また二尊の僧形菩薩が加わることもある。
三幅対の中幅に阿弥陀三尊・左右に二十五菩薩を描いたものや、二十五菩薩だけを二福対に描いたものは、中央に彫刻の仏像を配して使うこともできた、という指摘も新鮮だった。自分の望む来迎をかたちにするために、いろいろな演出が可能だったのだな。
印象的だった作品は、まず『阿弥陀聖衆来迎図』(南北朝時代)。左上から右下に向かってS字に蛇行しながら、五色の雲に乗った阿弥陀如来と聖衆たちが下ってくる。絹地は茶色く劣化しているものの、各所に鮮やかな色が残る。滋賀・金剛輪寺伝来。本展が初公開だという『阿弥陀三尊像』(南宋~元時代)は、切れ長の目、髭がはっきりして男性的な観音・勢至が珍しい。寒色系は褪色しているが、赤・金・白はよく残っており、本来の華やかさを想像できる。また解体修理を終えた『阿弥陀三尊像』(鎌倉時代)は、三尊が水面(?)から立ち上がった蓮華座に座るもの。茎が枝分かれして蓮華座のほかにも花をつけているのが面白い。観音・勢至が長い蓮華茎を持っているのも古様な図像だそうだ。
『稚児観音縁起絵巻』は、大和国の上人が出会った美しい稚児が病で亡くなったのち、十一面観音となって飛び去ったという物語。興福寺菩提院大御堂の縁起だという(ここ、行ったことがなかったが、拝観できるらしい)。絵は背を丸めた僧侶など、人体の描写が巧いと思った。『矢田地蔵縁起絵巻』は根津美術館本を何度か見た記憶があるが、これも怖いよりかわいい。2匹の蛇に巻き付かれた「両婦地獄」に笑ってしまった。『沙門地獄草紙模本』は、明治時代に桜井香雲が模写したもの。「解身地獄」の段がかなりグロだなあ。
『帰来迎図』(南北朝時代)は、阿弥陀如来と六菩薩が往生者を迎え、極楽浄土へ帰ってゆく図だが、なぜか往生者の家の外で巨大な赤鬼と青鬼(ほぼ黒い)が見送っている。罪深い人間の臨終には、地獄の業火が押し寄せるが、阿弥陀の教えを聞くと罪が許され、菩薩が来迎するのだそうだ。それなら最初から阿弥陀如来が来てくれればいいのに、怪獣がひと暴れしたあとに登場するウルトラマンみたいである。またこの鬼たちが家の屋根より大きくて、特撮の怪獣みたいでもあった。
以上は全て香雪美術館の所蔵品だが、他館や寺院等からの出陳も多数あった。福井・正覚寺の『阿弥陀二十五菩薩来迎図』(室町時代)は、金身の阿弥陀三尊以外、かなり褪色が進んでいるが、円陣来迎図の大作。よく見ると、楽を奏でる菩薩たちの動きが大きく躍動的である。福井県立美術館の『二十五菩薩来迎図』二幅対(鎌倉時代)は、中央で両袖を翻して踊る二菩薩がかわいい。まわりの菩薩たちも、赤い唇が心なしか微笑んでいる。
京都・禅林寺の『阿弥陀三尊像』(南宋時代)には「張思恭筆」の落款あり。正面向きの動きの少ない三尊だが、大きな光背、敷きつめたような彩雲の表現など特徴あり。福井・正覚寺の『阿弥陀三尊来迎図』(南宋~元時代)は三尊が向かって左へ歩む図。もうひとつ京都・禅林寺の『阿弥陀三尊像』三幅対(南北朝~室町時代)は、三尊それぞれ船形の光背を背負う。衣裾の波打たせ方などが抑制されていることから、日本での制作と推定されているが、素人目にはかなり宋風に感じる。なお、以上3作品の阿弥陀は全て左手を前に伸ばした逆手来迎印。
仏像(彫刻)は少なかったが、やや四角張った顔の菩薩立像(南北朝時代)、理知的な地蔵菩薩立像(鎌倉時代、胸元の打合せのV字形から春日地蔵と推測される)、静かな力のみなぎる来迎印の阿弥陀如来立像(鎌倉時代)など優品揃いだった。図録は読みごたえあり。見たいところが拡大図版になっているのも嬉しかった。
なお今回の旅行では、このあと、最初に見たこの展覧会を思い出す機会が何度かあるのだが、それは今後のお楽しみ。