見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

2025年1月関西旅行:名品ギャラリー3~2階(京都国立博物館)

2025-01-14 23:11:31 | 行ったもの(美術館・見仏)

京都国立博物館 名品ギャラリー(3~2階)

 初春三連休の関西旅行はまず京博から。私は常設展モードの京博が大好きなので、今月は各室をじっくり紹介する。

・『京焼における仁清-御室仁清窯跡出土陶片の胎土分析からみる製陶技術-』(2025年1月2日~3月16日)

 凝ったかたち、華やかな色彩のやきものが並ぶ、お正月らしい展示室。蓮の花に蓮の葉を被せたような『色絵蓮華香炉』は、「蓮の寺」法金剛院の所蔵だと知って納得してしまった。仁清といえば色絵だと思っていたが、実はシンプルな轆轤成形の美しさも見どころ。また、仁清窯址からは、さまざまな「写し」のた陶片が出土している。ホンモノの志野と仁清の志野写し、ホンモノの信楽と仁清の信楽写しを見比べて、その技術の確かさに感銘を受けた。

・『日本の須恵器と韓国の陶質土器』(2025年1月2日~3月16日)

 日本の古墳時代を代表するやきもの「須恵器」と、朝鮮半島古代の新羅で製作された陶質土器を展示し、その親縁関係を示す。「提瓶」と呼ばれる形の須恵器は初めて見た。扁平な丸型の水筒なのだ。また、革袋をつぶしたような「革袋形提瓶」もあった。日本の古代については、まだまだ知らないことが多い。

・『神々の伝説-八幡・厳島-』(2025年1月2日~ 2月9日)

 豪華な『八幡宮縁起』2巻のうち1巻と、野趣あふれる『厳島縁起絵巻』2巻を展示。面白かったのは後者。天竺の足引宮は善哉王の寵愛を受け、身籠っていたが、嫉妬深い后妃たちの企みで、山中で斬首される。しかし王子は動物たちに助けられて成長し、母の頭蓋骨を探し当てて、母を蘇生させる。善哉王と足引宮と王子は、足引宮の故郷に身を寄せるが、善哉王は足引宮の妹に気を移してしまう(ええ~)。足引宮と王子は、流浪の果てに安芸国に至り、祀られる。この摩訶不思議な物語が、迷いのない素朴な線と、赤と緑とわずかな黄色で表現されている。こういう絶対に教科書に載らない物語のおもしろさが、もっと知れ渡ったらいいのに、と思う。

・『十二天屏風の世界』(2025年1月2日~2月9日)

 滋賀・聖衆来迎寺の『十二天屏風』(12幀のうち6幀)、京都・雲龍院の『十二天屏風』、京都・高山寺の『十二天屏風』(6曲1隻)を展示。特に聖衆来迎寺の十二天は、衣の文様の描き込みが精緻で華やか。くるりと輪になった蛇を持つ水天像と、人頭幢(人頭のついた短い杖)を持つ焔摩天像が特に美麗。

・『松竹梅の美術』(2025年1月2日~2月9日)

・『日本の女性画家』(2025年1月2日~2月9日)

 近世~幕末明治の女性画家の作品を展示。徳山玉瀾は池大雅の妻。「池玉瀾」と呼ばれることも多いが、本人は徳山姓を名乗ったという。作品は、素人目には大雅かな?と思うくらいよく似ている。玉蘭、清原雪信あたりは知っていたが、江馬細香、張紅蘭、橋本青江など、よく知らなかった名前もあり、人となりや生涯の簡潔な紹介も興味深かった。

・『塩都・揚州の繁栄と芸術-袁江・王雲筆「楼閣山水図屛風」』(2025年1月2日~2月9日)

 『楼閣山水図屛風』8曲1双は、袁江と王雲の二作品を一対にしたもの。もともと巨大な作品(大判の涅槃図くらい)に高さ50センチくらいの展示台が付いているので、さらに背が高くなっている。

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初春は不思議のキツネ/文楽・本朝二十四孝

2025-01-13 22:07:08 | 行ったもの2(講演・公演)

国立文楽劇場 令和7年初春文楽公演 第3部(2025年1月11日、17:30~)

 今年も大阪の国立文楽劇場で初春文楽公演を見て来た。恒例のお供えとにらみ鯛、と思ったら、「黒門市場様からのにらみ鯛の贈呈は、5年ぶり」と書いてあった。2020(令和2)年以来ということか。この年の正月明けから新型コロナが猛威を振るったのである。コロナ禍の間も、初春文楽公演にはにらみ鯛が飾られていたようだが、黒門市場のサイトによれば、2021年のにらみ鯛は2020年末に奉納したものだったり、2022年は奉納がなかったり(劇場は別ルートで入手?)したらしい。

 「大凧」に干支の「巳」文字を揮毫したのは、赤穂大石神社の飯尾義明宮司。国立文楽劇場は、開場40周年を記念して、昨年11月の公演とこの初春公演第2部で、大作『仮名手本忠臣蔵』の大序から九段目までを通し上演している。

 しかし私は、武士の忠義より伝奇スペクタクルが好物なので、やっぱり第三部の『本朝廿四孝(本朝二十四孝)』を選んでしまった。2階ロビーでは毛色の異なる三匹のキツネちゃんがお出迎え。彼らは昭和の新作文楽『雪狐々姿湖(ゆきはこんこんすがたのみずうみ)』に登場する白蘭尼、コン蔵、右コンとのこと。揃ってもふもふである。

・第3部『本朝二十四孝(ほんちょうにじゅうしこう)・道行似合の女夫丸/景勝上使の段/鉄砲渡しの段/十種香の段/奥庭狐火の段』

 「道行似合の女夫丸」はあまり記憶になかったのだが、自分の記録を調べたら、2020年に見ていた。「景勝上使の段」以下は何度も見ており、直近では2022年に国立劇場で見ている。八重垣姫は、今回と同じ吉田蓑二郎。むかし「十種香」を蓑助さんで見たり、「奥庭狐火」を勘十郎さんで見た記憶がどうしてもよみがえって、それに比べると蓑二郎の八重垣姫は、悪くないけどふつうの娘さんだなあと、ぼんやり思っていた。しかし「奥庭」のクライマックス、白地に狐火文の衣に早変わりしてからの激しい動きには目を見張った。この演目、歌舞伎(日本舞踊)にもあるが、そこで演じられる所作のスピードと、飛び上がり跳ねまわり、身体を左右にスイングして舞い狂う文楽人形のスピードは全く別次元である。もちろん乱暴に人形を振り回せばいいわけではなく、高貴な姫君の品格を忘れてはいけない。生身の人間らしさと、人間を超えたものになろうとする不可思議さのブレンドが絶妙だった。眼福。

 狐火(火の玉)はゆらゆらと流れ、諏訪法性の兜は、白いヤクの毛をひるがえし、意志あるもののように宙に浮かぶ。「奥庭」はキツネちゃんの印象が強いのだけど、四匹勢ぞろいするのは、本当に最後の最後なのだな。今回、私は最前列の席(上手寄り)だったので、キツネちゃんたちの表情も、それを操る人形遣い(出遣いだがプログラムに名前の記載はない)の皆さんの顔もよく見えて楽しかった。

 八重垣姫は深窓育ちのお姫様のはずだが、勝頼=箕作に恋したあとの、恥じらいつつも強引な迫り方には、この子、ギャルだな、と思ってしまった。しかし、この向こう見ずさがなければ、諏訪明神も憑依しないのだろう。一方で、ある意味、八重垣姫の一途な恋心を利用して諏訪法性の兜を武田方に取り返そうとした腰元・濡衣は、冷静沈着な仕事のデキる女性で好き。

 「十種香」で久しぶりに錣太夫と宗助を聴けたのもうれしかった。「奥庭」は芳穂太夫と錦糸で安定感あり。残念なのは、こんなに面白い舞台なのに空席が目立っていたこと。そして東京の国立劇場が閉場して1年以上になるが、やっぱり常設の劇場があるのはいいなあと思った。

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2025大阪初春散歩

2025-01-12 20:11:38 | なごみ写真帖

 初春三連休、1泊2日だけ関西で遊んできた。文楽初春公演を見るのが主な目的で、ついでに京都と大阪で、気になっていた展覧会をいくつか見てきた。今朝は朝イチで東洋陶磁美術館を見に行ったら、ずっと工事続きで落ち着かなかった中之島一帯が、だいぶ落ち着いた雰囲気になっていた。

 久しぶりに中之島図書館の正面に立ってみたが、日曜祭日は休館のため、中には入れなかった。

 周囲をぐるっと回ってみたら、何やら新しい建物が連結されているのを発見。あとで図書館のホームページをみたら、別館(新書庫棟)らしい。工期は2025年1月まで(予定)というからまもなく完成だろう。へええ、よかったね!

 東洋陶磁美術館も、改修増築と聞いたときは、どうなるかとハラハラしたが、従来の建物を生かして開放的なエントランスを付け加えた、品のいいリニューアルだった。

 中央公会堂の正面が広場として整備され、日曜祝日の日中は公会堂周辺が歩行者天国となったのもよかったと思う。ただ、相変わらず、ケバケバしいプロジェクションマッピングで人を呼ぼうとしているらしいのは私の趣味に合わない。青空を背景にしたレンガの赤と大理石の白をアーチの緑が引き締めていて、このままが一番美しいと思う。

 アーチの頂上に人影(?)を発見。調べたら、学問の神ミネルヴァと商業の神メルキュール(メルクリウス)で、2002年の改修工事で60年ぶりに復元されたものだという。

 私は公会堂の中に入ったことは、まだ一度もない。ガイドツアーや特別見学会が開かれているらしいので、いつか行ってきたい。

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実朝との縁/運慶 女人の作善と鎌倉幕府(神奈川県立金沢文庫)

2025-01-10 23:07:21 | 行ったもの(美術館・見仏)

神奈川県立金沢文庫 特別展『運慶-女人の作善と鎌倉幕府-』(2024年11月29日~2025年2月2日)

 年末に行った横須賀美術館、鎌倉国宝館との3館連携展示。本展は、サブタイトルのとおり、運慶と女性の関係にあらためて焦点を当てて紹介し、運慶の造仏、それに伴う造寺や仏事などと、女性たちの信仰の関係の一端を明らかにする。

 1階の展示室に入ってすぐのケースに出ていたのは光触寺の『頬焼阿弥陀縁起絵巻』の模本(原本は2階展示室に展示)。鎌倉時代の女性の信仰、作善を語る上で欠かせない資料である。仏師・雲慶(運慶)も登場するし。奥の吹抜展示室は、称名寺所蔵の伝・運慶仏の特集展示になっていた。地蔵菩薩坐像、それに聖徳太子立像(二歳像)もあるのだな。

 2階へ。年末に「ニコニコ美術館」を視聴したので、展示室の様子は把握していたのだが、仏像多めでうれしい。大善寺の天王立像は、2022年の『運慶』展で、金沢文庫でも横須賀美術館でも展示されたもの。繰り返しになるけど「沈鬱」という形容が似合うと思う。見たことのあるような、ないような、観音勢至菩薩立像のぺアがおいでになる(撫で肩、顔が小さい)と思ったら、京都の清水寺の所蔵だという。調べてみると、もとは阿弥陀堂に安置されていたが、現在は京博に寄託されているらしい。あわせて、静岡・瑞林寺の地蔵菩薩坐像、静岡・願生寺の阿弥陀如来坐像など、神奈川県下以外の仏像も多数出陳されていたのは、予想外で嬉しかった。個人蔵の仏像では、勢至菩薩坐像(平安~鎌倉時代)が跪座(いわゆる大和座り)で目を引いた。これは2022年の『運慶』展にも出ていたが、「特別出品」のため、図録に写真がなかったもののようだ。今回の図録は買っていないのだが、前回未収録の作品が載っているなら欲しい。

 神奈川・曹源寺の十二神将立像は、巳神だけが、ひときわ大きく、巳時生まれの実朝との関係が指摘されている。巳歳の初詣にはちょうどよいと思って、心の中で手を合わせてきた。残りの11神は、4・4・3躯ずつ、前後から覗ける展示ケースに納められており、ちょっと窮屈そうだったが、ぐっと接近して見ることができてよかった。

 運慶は、東大寺大仏の鎌倉再興に際して、康慶・快慶・定覚とともに四天王像を制作し、この形式は「大仏殿様四天王像」として後世に継承された。2022年の『運慶』展にも出ていた大仏様の四天王立像(南北朝時代、個人蔵)に加え、今回は海住山寺の四天王立像(奈良博でよく見るもの)も来ていた。

 称名寺塔頭光明院の大威徳明王像は、像内文書の奥書に「運慶」の名前があることで知られ、「健保二二年(4年=1216年)」「源氏大貳殿」の発願で造られたことも分かっている。大貳殿=大弐局は、甲斐源氏の一族である加賀美遠光の娘で、頼家・実朝の養育係をつとめた。健保4年には頼家は死没しているから、実朝(1192-1219)の厄難消徐のために発願されたと思われる。年表を見ると、この年の実朝は陳和卿に唐船の建造を命じるなど、周囲(大江広元、北条義時)との軋轢が目立ってきている。また同年、運慶は実朝持仏堂本尊の釈迦如来像を制作し、京都から送ったという記録もあるそうだ。これだけ(女性たちの願いを込めた)仏像を奉られても、実朝は若くして悲運の死を遂げてしまったのだから、運慶のつくる仏像には、現世のご利益は期待できないのかもしれない。

 称名寺聖教の文書に見える運慶は、東寺講堂の諸像を修理した際、多くの仏舎利が出現して人々を驚かせたことなどが記録されていて、面白かった。誰かの演出だろうか、などと勘ぐってしまう。また、京都・真正極楽寺の『法華経』(運慶願経)は巻七奥書に、寿永2年(1183)、願主として運慶と女大施主(運慶妻)、阿古丸(運慶子=湛慶)の名前が記載されていた。

※参考:運慶の晩年と死をめぐって/山本勉(半蔵門ミュージアム)

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2025初詣・亀戸七福神巡り

2025-01-07 21:33:34 | 行ったもの(美術館・見仏)

〇亀戸駅~寿老人(常光寺)~弁財天(東覚寺)~恵比寿神・大黒天(香取神社)~毘沙門天(普門院)~福禄寿(天祖神社)~布袋尊(龍眼寺)~亀戸天満宮

 松の内も今日で終わりだが、今年のお正月は、亀戸七福神を巡ってきた。七福神の寺社の門前には、紫に白抜きの「亀戸七福神」の旗が立っていたが、深川七福神のようにコースの道案内に点々と旗が並ぶ雰囲気はなかった。

 寿老人の常光寺。本尊は阿弥陀如来で「江戸六阿弥陀詣」の6番目の霊場でもある。

 弁財天の東覚寺。本尊は大日如来と阿弥陀如来だが、不動尊が有名らしい。亀戸七福神は、どれも大きなお寺や神社の一画に、添え物的な祀られ方をしていた。

 恵比寿神・大黒天の香取神社。かなり大きな神社で、スポーツ振興や勝負事の神様として人気を集めている。

 毘沙門天の普門院。伸び放題の草木、積もった落ち葉の野趣あふれる風情で、立ち入っていいものか、ちょっとためらってしまった。社務所を覗くと、若いお坊さんがニコニコして「ちょうど住職が戻ったところです」と声をかけてくださった。亀戸七福神のご朱印は、印判だけだと200円、手書きだと300円で、私は印判だけを集めていたのだが、「同じ金額で結構ですよ」(若いお坊さん)と言って、ご住職が手慣れた墨書を添えてくださった。

 なお、門を入ったところには「伊藤佐千夫の墓」という石碑が立っていた。あとで調べたところでは同寺の墓地に佐千夫の墓があるそうだ。伊藤佐千夫と言えば、私が思い出すのは「牛飼が歌よむ時に世のなかの新しき歌大いにおこる」(高校の現国で習った)の歌で、茅場町で牛を飼っていたと本で読んだときは、東西線の茅場町駅のあたりかと思ったのだが、実は本所茅場町と言って、いまのJR錦糸町駅の南口辺に牧場があったらしい。錦糸町駅のロータリーに佐千夫の歌碑があるという情報も初めて知ったので、今度見てこようと思う。

 福禄寿の天祖神社。お正月らしく境内に雅楽のBGMが流れていた。

 ここから最後の龍眼寺に向かう道筋が分かりにくく、私のほかにも数人が迷っていたら、通りがかりのお姉さんが「ここから行くと近いですよ」と言って、マンションの私有地を通り抜ける近道を教えてくれた。

 布袋尊の龍眼寺。萩寺とも呼ばれる。本尊の聖観音菩薩立像は江東区内最古の仏像(平安時代末期から鎌倉時代初期の作)だという。看板に写真が掲示されていたが、秘仏で拝観はできなかった。布袋尊のご朱印は尼僧の方からいただく。

 最後に亀戸天満宮にも参拝して〆めとした。亀戸エリアの商店街は、老舗の和食や和菓子もあれば、ガチ中華もあって、なかなか楽しい。また散歩に来よう。

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憧れの拓本と中国絵画/唐ごのみ(三井記念美術館)

2025-01-05 18:49:29 | 読んだもの(書籍)

三井記念美術館 『唐(から)ごのみ:国宝雪松図と中国の書画』(2024年11月23日〜2025年1月19日)

 年末恒例の円山応挙筆『雪松図屏風』公開に加え、三井家歴代にわたり珍重された中国の書画および、それらに倣って日本で描かれた作品を紹介する。という展覧会の趣旨を、だいたい理解して行ったつもりだったが、冒頭が顔真卿筆『多宝塔碑』の拓本で、おお?となってしまった。そのあとも、王羲之や褚遂良の書跡の拓本が続く。新町三井家9代当主の三井高堅(みつい たかかた、1867-1945)は中国の古拓本のコレクターで、その収蔵品は、聴氷閣本(ていひょうかくぼん)と呼ばれて世界的に名高い。ネット情報によれば、戦前の旧三井文庫で保管したもののうち大半はカリフォルニア大学バークレー校図書館に「聴氷閣文庫」として収蔵されているが、1985年三井新町家で秘蔵してきた聴氷閣所蔵本の中核をなす碑帖が三井文庫に寄蔵され、1991年初公開されたそうだ(出典:20世紀日本人名事典)。

 面白かったのは、高堅の所蔵に帰する前の旧蔵者の情報がいろいろ添えられていたこと。蘭亭序マニアだった清・呉雲(1811-1883)旧蔵の『呉平斎本蘭亭序』(宋拓)や、石鼓文の大コレクターだった明・安国(1481-1534)の『石鼓本』(宋拓)など。やたら作品内に印を押すことで嫌われたという明・項元汴(1525-1590)旧蔵の蘭亭序(宋拓)は『高江村本』と呼ばれている。高江村は、清・高士奇(1645-1704)のことという。高士奇!すぐに中国ドラマ『天下長河』で陸思宇さんが演じていた高士奇の顔が浮かんだ。鋭い審美眼の持ち主だったという。

 唐代に王羲之の書跡から集字して建てた『興福寺断碑』(明代に出土)の拓本は、高堅の父である三井松坂家7代当主・三井高敏の旧蔵品だが、高敏は、1876年(明治9年丙子)の伊勢暴動(地租改正をめぐる暴動)でコレクションの大半を焼失しており、その後に収集したものには「丙子以後精力所聚」の印が押されている。コレクターの意地を感じさせる印で泣ける。

 続いて書画だが、伝・徽宗筆『麝香猫図』をはじめ、伝・呂紀筆とか伝・牧谿筆とか、伝承作品が多数。このへんはあまり堅いことを言わずに、中国文化への強い憧れを読み取っておくのがいいのだろう。雲州名物(松平不昧旧蔵)5件、柳営御物(徳川幕府旧蔵)2件の絵画も、戸惑いながら興味深く眺めた。雲州名物の梁楷筆『六祖破経図』は、なるほど中国絵画だと思うが、伝・銭選筆『白梅図』は、ちょっと琳派を思わせる雰囲気なんだけどなあ…。でも『蓮雀図』や『柘榴図』、柳営御物の『川苣図』(ラッキョウの束?)など、嫌いじゃない。江戸の人々が憧れた中国絵画は、全般的にかわいいと思う。

 本展の見どころである応挙の『雪松図屏風』は、毎年見ているうちに、だんだん好きになってきた。特に左隻の、こんもりした松葉の茂みに、丸々と雪が降り積もった様子が、豊年の予兆を感じさせてめでたい。新春にふさわしい作品だと思う。

 今回、展示の絵画には、鑑定や入手の経緯(購入値段など)を記した付属資料がたくさん出ていて面白かった。『北三井家蔵帳』は、同家所蔵の書画リストだが、『雪松図屏風』は載っていない。なぜなら屏風や襖は「絵画」ではなく「調度品」だったから、という解説には、納得しつつも考えさせられた。

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古籍、絵画、現代工芸/平安文学、いとをかし(静嘉堂文庫美術館)

2025-01-04 22:54:37 | 行ったもの(美術館・見仏)

静嘉堂文庫美術館 『平安文学、いとをかし-国宝「源氏物語関屋澪標図屏風」と王朝美のあゆみ』(2024年11月16日~2025年1月13日)

 新年の展覧会参観は本展から。平安文学を題材とした絵画や書の名品と、静嘉堂文庫が所蔵する古典籍から「いとをかし」な平安文学の魅力を紹介する。

 と言っても最初の展示室に並んでいた古典籍は、作品時代は平安文学でも、江戸時代の版本や南北朝・室町時代の写本が中心だったので、まあそうだよね~というゆるい気持ちで眺めた。その中で『平中物語(平仲物語)』は静嘉堂文庫本(鎌倉時代写)が現存唯一の伝本だという。『今昔物語集』は享保の版本が出ていて、室町時代には南都周辺で読まれていたらしいと解説にあった。『うつほ物語』『栄花物語』『大鏡』なども版本があって、江戸の出版文化すごいな、と思った。

 鎌倉時代の文芸評論である『無名草子』(私は藤原俊成女の著作として習った)も江戸の版本が出ていた。壁のパネルの紹介を読んで「歌集の撰者に女性がいないことは残念」という趣旨の記述があることを初めて知った。言われてみればそのとおりで、平安時代は多くの女性文学者が活躍し、勅撰和歌集には女性の和歌も採られているけれど、撰者は全て(21代集まで下っても)男性なのである。それを「残念」と思ったことのなかった私には、ちょっと衝撃だった。『無名草子』、ちゃんと読んでみたくなった。

 続いて絵巻物。『平治物語絵巻・信西巻』は、信西の首級が運ばれ、獄門に晒される場面が開いていた。信西の死は12月なので真冬のはずだが、下級武士たちは、短い甲冑の下は裸の太ももをさらしていて、身軽だが寒そう。見物の群衆には女性が描かれていない(牛車の中は不明だが)。『駒競行幸絵巻』(鎌倉時代)は駒競(こまくらべ)に先立ち、頼道の高陽院に上東門院彰子が行啓した場面を描く。多くの人物が描かれ、さまざまな仕草や表情を見せており、華やかで楽しい。劣化(焼損)が激しいのが惜しいが、このたび『平治物語絵巻』ともども修復が行われたそうだ。

 さらに『源氏物語』の世界へ。俵屋宗達の『源氏物語関屋澪標図屏風』はやっぱりいいなあ。人も牛も、松も岩も藁ぶき屋根の小屋も、全てがザ・宗達である。波に浮かぶ船の人の大きさがどう見てもおかしい(小さすぎる)のだが、源氏との身分差に気後れする明石の君の船だと思うと、あれでいいのかもしれない。あと、2台の牛車はどちらも全体に九曜紋が描かれていることを確認。住吉具慶の『源氏物語図屏風』は、「葵」に碁盤の上に立った紫上の髪を切る源氏が描かれていた。室町~江戸時代の『白描源氏物語絵巻・賢木』(小絵サイズ)がユニークで可愛かったことも書き留めておこう。一種のファンアートだと思う。截金ガラス作家・山本茜さんの『空蝉』『橋姫』にも一目惚れした。「源氏物語シリーズ」は54帖全てあるのだろうか(オフィシャルサイトには15点掲載)。

 最後の展示室は平安古筆の名品揃いだが、なんといっても『高野切』(第三種)があって、わずか2行の断簡に目を奪われてしまう。しかも記されているのが「わが庵は三輪の山もと 恋しくはとぶらひ来ませ 杉立る門」(古今982)という私の大好きな和歌。実は最後の1句が読めず(思い出せず)悩んでしまったが、眼福だった。

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2025新年風景と深川江戸資料館

2025-01-03 20:10:15 | なごみ写真帖

 今年の年末年始のカレンダーは9連休で、さらに私は年休を加えて10連休にした。遠くに出かける予定は入れなかったので、せいぜい近所をぶらぶらして、のんびり過ごしている。

 今日は、正月特別開館の深川江戸資料館で獅子舞が見られるというので行ってきた。江戸の街並みを再現した常設展示室が会場。時間になると、砂村囃子睦会の獅子舞の一行が現れて、一軒一軒、年賀の詞を添えて訪ね歩く。お囃子に乗って、獅子が首を振ったり背を伸ばしたりの演技を見せたあと、パパパン、パパパン、パパパン、パンの一本絞めで締める。顔役のおじさんが「この家はハワイに行ってて留守だったな」「ここは喪中だ」など小芝居を入れてくるのが楽しい。獅子は、家々だけでなく、共同井戸や共同厠や船着き場でも舞う。江戸の獅子舞は一人で演じる「一人立ち」の獅子である。

 それから火の見櫓の前の広場で、様々な高度なパフォーマンスを見せてくれた(獅子の中の人は若者から熟練者に交代)。本来は座敷に上がってするものなので、茣蓙を敷いて、畳の上という約束事で演じてくれた。けっこう全身を使う演技で、特に足技が多い。器用に体をひねったり、丸まったりする仕草は、ネコを見ているようだった。

 最後は、厄落しのため、お客さんの頭を噛み噛みして退場。異国のお子さんも大喜び。楽しかった!

 ところで、近所の大横川は、昨年5月末から護岸耐震補強工事が進行中。このところずっと我が家の窓の正面に、大きなクレーンを積んだ作業船が停泊していたので、年末年始風景の記録に残しておこうと思っていたら、仕事納めの27日か28日に、どこかに移動してしまった。写真は越中島橋の北側の橋詰だが、ここにあった白いサクラ(オオシマザクラ?)が伐られてしまったのは本当に残念。遊歩道の封鎖は2025年1月上旬までと看板にあるのだが、サクラの開花までに終わるのだろうか。

 そういえば、長らく工事中だった巽橋は、暮れに通ったら、通行止めが解除されていた。

 今年の正月膳。おせちはコンビニやスーパーの格安品だが、お餅は老舗・深川伊勢屋さんの伸し餅なので絶品。どうやって食べても美味しい。餅は餅屋ということわざを実感する。蓋付きのお椀は両親の遺品整理のとき、1つだけ貰ってきたので、実家の家紋が入っている。

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七人の大統領で知る/韓国現代史(木村幹)

2025-01-02 22:30:33 | 読んだもの(書籍)

〇木村幹『韓国現代史:大統領たちの栄光と蹉跌』(中公新書) 中央公論新社 2008.8

 戦後、日本の植民地支配からの解放と米国の占領を経て、1948年に大韓民国が建国される。以後、60年間(本書の刊行まで)の韓国現代史を、個性豊かな大統領たちの姿を通じて描く。はじめに終戦の8月15日をどう迎えたかを、金大中、金泳三、尹譜善、李承晩、朴正熙の5人について検証し、以後も「政治的な節目」ごとに、4~5人(大統領就任前だったり、引退後だったり)の動向について語っていく。このほか、70年代以降に登場する李明博、廬武鉉を加え、最終的には7人が本書に取り上げられている。

 李承晩(1875-1965)は名前しか知らなかったので、1948年の大統領就任時にすでに73歳だったことに単純に驚いた。朝鮮王朝時代に開化派のホープとして期待され、日本統治時代はアメリカに亡命、日本の敗戦後、米軍政府と各種政治勢力にかつがれて初代大統領に就任するが、1960年の四月革命により辞任、アメリカに亡命し、ハワイで客死する。尹潽善(1897-1990)は名前も知らなかったくらいだが、かなり後の時代まで政治家として活動している。

 朴正熙(1917-1979)の軍事クーデタによる政権掌握、そして維新クーデタ(上からのクーデタ)による維新体制の発動については、近年、書籍や映画でだいぶ理解が進んだところである。興味深かったのは、韓国経済の立て直しのため、朴正熙が日本との関係改善に積極的に取り組んだこと、それが国民(特に学生)や野党強硬派の強い反発を生んだことだ。日韓国交正常化に賛成した野党政治家の金大中が、揶揄を込めて「サクラ」と呼ばれたことも初めて知った。政権の末期、朴正熙は「追い詰められることにより、弾圧し、弾圧することにより、さらに追い詰められる」状態で、深い孤独の中にいたという。1974年の暗殺未遂事件では、銃弾を受けた妻が亡くなっている。暗殺直前の1979年10月に李明博が見たという朴正熙の姿は、老いた独裁者の孤独を穿っていて、小説の一場面のようだった。

 その後、本書は、崔圭夏、全斗煥、盧泰愚の3人は取り上げてない。これは、彼らが光州事件等の裁判を受けることになった関係上、資料的な制約が大きかったからと説明されている。そのため、次に登場するのは金泳三(1928-2015)と金大中(1924-2009)である。両者とも、長年にわたって権威主義政権の下で民主化運動を牽引してきたリーダーだが、大統領就任のいきさつを見ると、きれいごとだけでは済まない「政党政治」の怖さを実感した。

 以上で旧世代が退場し、廬武鉉(1946-2009)、李明博(1941-)は、新世代の大統領と言ってよい。しかし期待を背負って登場した廬武鉉政権は、すぐに国民の支持を失い、レイムダックに陥ってしまう。韓国が未だ貧しく、権威主義体制下にあった時代には、政治家は「改革案」を示し、実行することができた。しかし豊かで民主的な社会では、政治的指導者の権能は限られており、「既にあるこの社会」よりも優れた代案を示すことは難しい。にもかかわらず、「改革」と「経済成長」を続けることができると信じていた国民は、廬武鉉政権に失望したのだ、と本書は説く。そして「経済成長」への期待は李明博政権に受け継がれる。この「豊かで民主的な社会」における政治と政治家の役割という問題は、韓国という限定を超えて、さまざまな地域に適用できると思った。

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あきらめない刑事たち/中華ドラマ『我是刑警』

2025-01-01 20:21:35 | 見たもの(Webサイト・TV)

〇『我是刑警』全38集(愛奇藝、中央電視台、2024年)

 大晦日に見終わったドラマ。おもしろかった~。ドラマは1990年代から始まる。平凡な若手警官だった秦川(于和偉)は、刑事捜査の資質を認められ、大学で法律を学び、職務に復帰したばかり。1995年1月、西山鉱山の事務所が強盗に襲われ、保安員ら十数名が殺害される事件が起きる。中昌省河昌市の警察隊は、1991年に彼らの同僚が殺害され、銃を奪われた事件との関連を疑う。まだ科学的な捜査設備の整わない中、過去の事件記録の読み直しと論理的な推論で徐々に犯人をあぶり出し、逮捕に至る。

 大きな功績を上げた秦川は、上司と衝突して、西山分局の預審科長(予審=被告事件を公判に付すべきか否かを決定すること?)で冷や飯を食うことになるが、この間にも大規模な食糧盗賊団を摘発するなど成果を挙げる。犯人たちはトンネルを掘って食糧倉庫に近づいていたら棺桶に行き当たってしまったという、これは本作で唯一笑えた事件だった。

 2001年、秦川は中昌省緒城市の刑偵(刑事捜査)支隊長に復帰。いくつかの事件を解決したあと、師匠と慕う刑事捜査の専門家・武老師(丁勇岱)からある事件の相談を受ける。2004年と2005年に昀城市で発生した短銃による殺人と金銭強奪事件。さらに2009年、軍の管轄区の門衛が殺害されて銃を奪われる事件が起き、2010年には渓城市の鋼材工場前で同様の金銭強奪事件が起きる。秦川は昀城と渓城の合同チームを作り上げようとするが、小役人の縄張り根性が邪魔をして、なかなか上手くいかない。彼らを嘲笑うように犯行を繰り返す犯人。当時、街頭の監視カメラは普及していたが、その映像を確認するには人海戦術にたよるしかなかった(今ならAIが使えるのかな)。しかし、とうとうネットカフェの検索履歴から犯人の相貌が明らかになる。その結果、悉皆調査で見逃されていた犯人の住居と家族が判明し、2012年8月、犯人・張克寒は昀城市で捕捉され、手向かおうとしたところを射殺された。

 このドラマは、捜査が犯人にたどりつくまで、視聴者も秦川らと一緒に耐えるケースが多くて、かなりストレスフルなのだが、張克寒の事件だけは(秦川らが知らない)犯人の動きを同時並行で追っていく描き方だった。他の事件では、逮捕された犯人が、それぞれ印象深い供述をするのだが、張克寒は現場で射殺されてしまうため、この描き方を選んだのではないかと思う。

 次いで秦川は、2014年1月に清江市で起きた事件にかかわる。山上のテント拵えの賭博場が何者かに爆破され、多数の死傷者を出したというもの。爆破現場の草を刈り、土を攫う捜査を何日も続け、ついに犯行に使われたと見られるリモコンを発見する。これが手がかりとなって二人組の犯人を逮捕。

 しかし清江市には「清江両案」と呼ばれる積年の未解決事件があり、刑事たちの心痛の種になっていた。秦川は、特に婦女や児童が犠牲となった凶悪な未解決事件の重点的な再捜査に乗り出す。「清江両案」は1998年、警官が殺害されて銃を奪われ、続いて銀行の支店長一家が殺害された事件。「東林案」は林城市東林県で、三人の小学生が性被害に遭い、殺害された事件。「良城案」は1997年に始まる連続婦女殺人事件。「草河案」は若い女性の連続殺害事件。いずれもDNA鑑定や指紋鑑定など、新しい(そして費用のかかる)捜査方法の適用によって解決に至る。

 ただし実験室での鑑定だけで万事が解決するわけではない。東林案では、DNA鑑定によって、犯人は近隣住民の「顧姓の者」と血縁の可能性が高いという結果が示される。東林県の刑事・陶維志(富大龍)は、この可能性を頼りに、家譜や郷土史を読み込み、石碑を探し、車どころか自転車でも通えないような僻地の集落を訪ね歩く。この黄土平原の風景が素晴らしくよかった。

 タイトルを聞いたときは、難事件を次々解決するスーパー刑事が主人公かと思ったのだが、全然違って、ものすごく厚みのある群像劇だった。武老師と秦川の師弟関係(おじさんになった秦川を川児と呼び続ける)もよいし、ちょっと嫌な上司・胡兵(馮国强)も好きだった。汚い恰好で執念だけが取り柄の陶維志も、二人の刑事仲間とあわせて、だんだん好きになった。また、このドラマでは刑事たちだけでなく、犯人やその家族たちも、それぞれ生きた人間が描かれていたと思う。90年代から2000年代の中国では、とにかく金銭を得ることが人間の尊厳と結びついていたということを嚙みしめた。

 なお、ずっと舞台になる中昌省(架空の省)は、序盤の事件では暗くて雪深い北国なのだが、張克寒の事件では長江流域の重慶らしく、清江では背景に少数民族の舞踊が登場し(貴州とか雲南?)、東林案は西北地方の風景である。

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