よませスキー場を12時50分に出発し、上信越自動車道に乗った。 皆さんの意見で「折角だから善光寺参りをしよう。」と決まり、善光寺へ 14時到着。
月曜日というのに、駐車場も人も一杯でした。 土日はどんな状況になるのかと余計な心配をした。
内心では9日(土)に甲斐善光寺
を参拝したばかりなので、今年は善光寺の前立ご本尊様にしっかりお守りして頂ける様に感じました。
境内そして表参道の人の
流れにビックリ。 表参道、仲見世通りの土産物屋さんもテントでなく、立派な家屋型店舗の商店街となっています。
境内の本堂前に立つ有名な回向柱(えこうばしら)に触れようと長い列
ができ、如来さまとの結縁を叶えるのも大変。
善光寺でもう一つ有名なものは「
お戒壇めぐり
」
、こちらは行列をするロープが張られ、係員の方が「ただ今60分待ちです。
」と叫ぶ声が聞こえ、諦めました。
その分、境内や表参道を散策しました。
宗派を超えて誰にも親しまれる善光寺。 その成り立ちや
阿弥陀如来信仰
を伝える物語を抜粋しご紹介致します。
『善光寺縁起』
昔、天竺(インド)の大金持ち月蓋(がっかい)長者が阿弥陀如来によって一人娘・如是姫(にょぜひめ)の病気を治してもらったことを喜び、阿弥陀如来のお姿を「一光三尊像」にして祀っていました。 その仏像は時を経て、朝鮮半島の百済へ。そして日本の欽明天皇のもとに、仏教と共にもたらされました。 しかし後に悪い病が流行った時、物部氏によって難波の堀へ捨てられてしまいました。 それを拾い上げたのが信濃の人「本田 善光」。善光は故郷の麻績郷(現在の飯田市)にお連れし、更に阿弥陀如来のお告げに従い、現在の地にお堂を建てて安置しました。 それが秘仏である御本尊であり、善光寺の始まりとのことです。
『牛に引かれて善光寺詣り』
昔、信濃国小諸に心の貧しいお婆さんが住んでいました。 ある日、川で布を洗い干していると一頭の牛が現れ、角に布を引っかけて走り出しました。その牛を追いかけて、お婆さんがたどり着いたのが
善光寺
。 日が暮れたお堂に入ってみると、光明に照らされた牛のよだれが「牛とのみ 思い過すな仏の道に 汝を導く己の心を」と読めました。 すると、お婆さんはすっかり信心深い人間に生まれ変わりました。
後日、近くの観音様に詣でると、観音様の足元にあの布が。 お婆さんは牛は仏様の化身と知り、ますます善光寺への信仰を深め、めでたく極楽往生をとげました。
この仏様が小諸の
布引観音
といわれています。
全員が思い通りに参拝
を済ませ、15時に善光寺を後にしました。
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