高野山参詣のため、まず丹生都比売(にうつひめ)神社を参拝いたしました。 紀ノ川より紀伊山地に入り標高450mの盆地「 天野」に当社が創建されたのは『日本書紀』に「天野の祝」として当社の宮司についての記載があることから、今から1700年以上前のことと伝えられています。
天平時代に書かれた祝詞である『丹生大明神祝詞 にうだいみょうじんのりと』によれば、「丹生都比売大神 にうつひめのおおかみ」は「天照大御神 あまてらすおおみかみ」の御妹神さまで「稚日女命 わかひるめのみこと」と申し上げ、神代に紀ノ川流域の三谷に降臨、紀州・大和を巡られ農耕を広め、この天野の地に鎮座されました。
『播磨国風土記』によれば、「神功皇后 じんぐうこうごう」の出兵の折、丹生都比売大神の託宣により、衣服・武具・船を朱色に塗ったところ戦勝することが出来たため、これに感謝して応神天皇が社殿と紀伊山地の北西部一帯の土地を神領として寄進されたとあります。
御祭神のお名前の「丹」は朱砂の鉱石から採取される朱を意味し、『魏志倭人伝』には既に古代邪馬台国の時代に丹の山があったことが記載され、その鉱脈のあるところに「丹生」の地名と神社があります。
丹生都比売大神は、この地に本拠を置く日本全国の朱砂を支配する一族の祀る女神とされています。 全国にある丹生神社は八十八社、丹生都比売大神を祀る神社は百八社、摂末社を入れると百八十社余を数え、当社は、その総本社であります。
今から1200年前「丹生都比売大神」の御子、「高野御子大神 たかのみこのおおかみ」は、真言密教の根本道場の地を求めていた弘法大師の前に、黒と白の犬を連れた狩人に化身して現れ、高野山へと導きました。
弘法大師は丹生都比売大神の御神領である高野山を借受け、山上大伽藍に大神の御社を建て守護神として祀り、真言密教の総本山高野山を開きました。 これ以降、古くから日本人の心にある祖先を大切にし、自然の恵みに感謝する神道の精神が仏教に取り入れられ、神と仏が共存する日本人の宗教観が形成されてゆきました。 中世には、当社の周囲にも数多くの堂塔が建てられ、明治の神仏分離まで五十六人の神職と僧侶で守られてきました。
高野山参詣には町石道(ちょういしみち)を登り当社に参拝した後、高野山に登ることが習慣であったようです。 現在の本殿は、室町時代に復興され、朱塗りに彫刻と彩色を施した壮観なもので、一間社春日造では日本一の規模を誇り、楼門と共に重要文化財に指定されています。 なお、平成16年7月「紀伊山地の霊場と参詣道」の丹生都比売神社境内として世界遺産に登録されました。
(丹生都比売神社パンフレットより)
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