南海高野線 九度山駅に近い慈尊院の、町石道(ちょういしみち)の起点180町石から卒塔婆石をひとつひとつ数えながら高野山山上までの祈りの道(約23.5km)を歩いて来ました。 弘法大師入定以来、高野浄土信仰の広まりと共に人々の参拝が盛んになり、参拝者が巡った高野への道で、主な七つの道が高野七口(高野山町石道、有田・龍神道、相ノ浦道、熊野古道小辺路、大峰道、黒河道、高野街道)と呼ばれていました。
その七つの道の中で、九度山の慈尊院から山上西口の大門へ通じる表参道を特に高野山町石道と言い、弘法大師が開山の折は、木造の卒塔婆でしたが、文永2年(1265)遍照光院の覚きょう上人が石造卒塔婆の建立を発願し、弘安8年(1285)20年を費やし完成。 当時の石柱150本が現在も残っており、平成16年7月には『紀伊山地の霊場と参詣道』として世界遺産に登録されました。
また、高野山は女人禁制であったため、女性は山内に入れず七口の各入口には女性のための籠り堂として女人堂が建てられ、女人信者は御廟を拝みたいと八葉蓮華の峰々をめぐる女人道を巡ったと言われています。
和歌山県伊都郡かつらぎ町のかつらぎ温泉「八風(はっぷう)の湯」を8時10分出発。
慈尊院着8時40分。 門をくぐると丹生官省符神社への長い階段が見え、慈尊院本堂を参拝して、その階段を登る途中右手に町石道の最初の町石180町石がありました。
これが、これから進む町石道の道しるべとして私たちを誘導してくれます。 高さ3mを超す五輪塔形の石柱が、根本大塔の起点1町石まで逆算に数えて進みます。(1町は約109m)
階段を登り切り正面の丹生官省符神社 を参拝し、右の脇から外の道に出て直ぐの所に179町石があり、エッもう・・・・・ といった感じで、おしゃべりしていると見過ごしてしまいます。 175町石を過ぎた頃から前方が開け雨引山が見え気持ちの良い登りで、日差しがあり暑くてTシャツ姿になった。
170町石(9時21分通過) 辺りまでは傾斜のきつい柿畑の中をドンドン高度を上げて行き、紀ノ川やこれから向かう高野山の山並みが望め、初めて見る景色に感動でした。
168~166町石までは右側が急傾斜で、もうこんなに登ったか?と高度感があり好天に感謝。
166町石先のコース外に展望台があったが、一番後ろを歩いていたので通過。 平坦になり、少し道の広くなった銭壺石(9時55分着)のある所に到着、小休止。
137町石通過、10時45分。 この辺りは軽い登り下りの繰り返しであった。
六本杉峠到着、10時50分~10時55分。 昔は見事な杉並木があった場所のようです。
124町石(古峠)通過、11時15分。 平坦で歩き易い道であった。 疲れたら上古沢駅に下れる。
二ッ鳥居到着、11時20分~11時25分。 展望台で一休み、丹生都比売神社のある天野の里が一望できる。 石の鳥居が2つ並んだ珍しい光景。 丹生明神と高野明神の鳥居で弘法大師が建立したと伝えられています。
白蛇の岩と鳥居を通過し、ゴルフ場の横を下る。 古道を歩いているのに異様な感じであった。 神田地蔵堂到着、11時40分~12時15分。 休憩を兼ね昼食とした。トイレあり。
この先も紀伊高原CCのゴルフ場サイドを歩くので「ゴルフボールに注意」の看板が多数あり。 百町石通過、12時30分。 少し町石道の左手上部にあり、見過ごすところであった。
笠木峠着、12時55分~13時。 左に進むと上古沢駅方面への分岐となっていた。
ここからは少しづつ下りであったが雑木林の道は思いのほか快適であった。 三里石通過、13時25分。
みまもり地蔵さんに見送られ、国道480号線と交差する矢立(60町石)に到着、13時45分~14時。
ここでバスが待機していてくれたが、コースの残り三分の一を全員頑張るとのことでバスを見送った。 矢立茶屋の「やきもち」は花坂名物と聞いたが食べる時間なくパス。 茶屋の左手、町石道に取り付く。
茶屋で休憩したものの、今まで下った分の急な登りが待っていた。 苦しく鍛えが足りないと感じた。 袈裟掛石通過、14時13分。 押上石通過、14時17分。言い伝えのある石がアチコチに点在し、いにしえの伝説に、この道の歴史の深さを感じた。
50町石通過、14時25分。 更に登りが続く。
再び国道480号線を横断し、展望台着、14時55分~15時05分。
鏡石通過、15時25分。 12町石から大門の7町石までの急登が始まった。
最後は急な階段を登って国道に出るが、皆さん黙々と頑張られた。 きっと良い御利益があると思います。 杉木立の中の薄暗い山道を登り切ると大門が目の前に。 それがまた普通の街中の景色にかわりビックリ。
そこは和歌山県伊都郡高野町高野山である。16時20分到着。お疲れ様でした。 巨大な重層の楼門「大門」。 何度か焼失の難に遭い、現在のもので築後約300年。 両脇の金剛力士像は江戸時代の仏師、康意〔阿形像〕:運長〔吽形像〕作を配し、一山の総門にふさわしい堂々とした門です。
大門の前でしばし休憩し、町中の道を壇上伽藍に向け進んだ。 壇上伽藍の中門手前の柵の中に1町石を発見。 うっかりすると見過ごすところでした。
全員無事、スタートの180町石から歩く祈りの道「高野山町石道」を完歩しました。
壇上伽藍の金堂のみ参拝し、宿坊「上池院」さんに17時到着しました。お疲れ様
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