白洲正子の愛した近江を歩く。 「巡って行くうちに、私はえたいのしれない魅力にとりつかれてしまった。 それが何であるか、はっきりとはいえない。 いえないから書いてみる気にもなったので、ともすれば私の足は近江へ向い、茫漠たる湖を望んで、人麿の歌を口ずさむこともあった。」 「近江山河抄」 白洲正子著 ~近江路~より (近江をめぐり、各地の伝承を綴った紀行文集)
白洲様は近江の取材で石を中心とした、一大石造文化の地であることに気づかされ「石や岩座といった古代からの自然信仰と、その岩座に宿る神の姿を観音菩薩として化現させるという日本独自の仏教の形態が形となって表され、外来の宗教である仏教を広く民衆に行き渡らせようとする過程が理解できる場所が近江だと気づくのです。」と言われる、白洲様の感じられた世界に浸ってきました。
新名神高速道路の草津田上ICを 9時に降り、上桐生の一丈野駐車場に 9時 20分到着。
平日であり、駐車場は空いていた。準備運動後、9時半に落ヶ滝線の登山路に向け出発。
栗東市の南部に聳える龍王山(604m)・鶏冠山(490m)などからなる雄大な「湖南アルプス」であります。 奈良時代から平安時代の仏教文化の一翼を担っていた金勝寺(こんしょうじ)や奈良時代後期に作られたといわれる狛坂(こまさか)磨崖仏などがあり、山並みを縦走しながら史跡をたどりました。
標高は低く、湖南アルプスと言ってもポイント、ポイントまで十数分で歩けるミニアルプスといった感じでありましたが、コースには奇岩・巨岩が沢山見られ、その岩の上を通過したりと、スリルや景色が最高でした。 北峰縦走線への分岐を通過、9時50分。
分岐より、わずか登ったら落ヶ滝に出た。 10時着。 雨がないのか水量が糸のようでした。
滝上部に移ると登山路は一枚巨岩の上に作られていた。
滝上部の沢を慎重に登り詰め、
鶏冠山と天狗岩を結ぶ尾根上に出た。10時 35分。
尾根を天狗岩に向かっている途中から、大津市に掛かる琵琶湖の近江大橋が遠望できた。
尾根道は他の山では経験できない奇岩・巨岩の間を縫って進んだ。
天狗岩が間近に見え、人の姿も確認できた。
天狗岩直下に到着、11時 25分。 20分の休憩で昼食とした。
天狗岩上より来た道を振り返る。
「お能には橋掛かり、歌舞伎にも花道があるように、とかく人生は結果より、そこへ行きつくまでの道中の方に魅力があるようだ。」 白洲正子著 ~『かくれ里』~より 遠く琵琶湖大橋が確認できた。
北峰縦走線を南東方向に進み、振り返り天狗岩を望む。
耳岩通過、12時 15分。
ずっと尾根歩きであるが、昔からの山岳信仰の場であり石仏や石の社などが沢山見られた。 茶沸観音通過、12時25分。
今回登山の最高峰「龍王山」(604m)登頂、12時 45分。 山頂標示はなく「四等三角点」のみ
山頂直下の金勝山八大龍王本殿を参拝後、
北峰縦走線を西へ戻り、白石峰から狛坂線に入り、重岩通過、13時15分。
下り出して間もなく、近江富士と呼ばれる三上山が遠望できた。
今回は登山と言うより岩稜歩きの初歩ハイキングで、歩き慣れた皆さんには物足りなかったのではと感じました。 狛坂(こまさか)磨崖仏着、13時 35分。 5 分休憩。 狛坂廃寺跡にある、縦約 6m・横約 4.5mの磨崖面に三尊像を刻んだ磨崖仏。
桐生辻出合の分岐通過、13時 50分。 ここからは南谷林道を一丈野駐車場に向け下り、14時半無事下山。
『秘境と呼ぶほど人里離れた山奥ではなく、ほんのちょっと街道筋からそれた所に、今でも「かくれ里」の名にふさわしいような、ひっそりとした真空地帯があり、そういう所を歩くのが、私は好きなのである。 近頃のように道路が完備すると、旧街道ぞいの古い社やお寺は忘れられ、昔は賑やかだった宿場などもさびれて行く。 どこもかしこも観光ブームで騒がしい今日、私に残されたのはそういう場所しかない。 その意味では、たしかに「世を避けて隠れ忍ぶ村里」であり、現代の「かくれ里」といえよう。』 白洲正子著 ~『かくれ里』~
白洲様の言う変化に富んだ「かくれ里」のミニハイク、お疲れさまでした。
帰りに金勝山(こんぜやま)を歩き、ここを参拝せずには帰れず、山号「金勝山(こんぜさん)」寺号「金勝寺(こんしょうじ)」を全員で参拝し、帰途に着きました。
奈良の都(平城京)の東北鬼門を守る国家鎮護の祈願寺として、東大寺の初代別当の良弁僧正が開基。
本尊釈迦如来他 4体の重要文化財を安置、境内地には千年杉や楓等の名木がありました。
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