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東日本大震災、最大の悲劇・大川小学校を訪ねて「命を真ん中に」を考える

2024年07月05日 | 旅行記・まち歩き
仙台市内から名取川河口へ、そして運河伝いに石巻へたどり着いたが、実は一回の滞在ですべてを取材しているわけではなく、春先から何回となく新潟から宮城へと訪れて記事にしている。
自分としては最終的に北上川を紹介したいと思っているがその布石であり、本流を前に寄り道してしまっている感がある。確かに常願寺川や只見川などにも何回も足を運び、次々に見どころを見出しては話をつないでいたことを思い出す。川沿い見渡すと(今回は運河などの紹介も含んで)、話は長くなってしまいがちなんですよねー。
ただ北上川の話に行く前に、震災支援で石巻に足を踏み入れたことによって、どうしてもここの場所は避けて通れない場所。これから紹介しようと思っていた北上川ではあるが、奇しくもその河口に位置する「石巻市震災遺構・大川小学校」がそれである。



これまでも東北沿岸沿いを何回か訪れ、震災関連施設で遺構や伝承館、メモリアル施設などはこのブログでも紹介をしてきた。被害の大きかった宮城県沿岸であるが、以前に紹介した「旧気仙沼向洋高校」や石巻に入ってこのブログでは前々回紹介した「宮脇小学校」、「荒浜小学校」は学校にいた児童・生徒は全員無事であった。
津波の高さ、石巻市は9メートル、「釜石の奇跡」といわれた岩手県釜石市では12メートル。しかし、釜石市の小中学生でも、登校していた児童生徒が津波により死亡した例はなく、欠席や下校途中で5名が亡くなっている(生存率は99.8%)。
ただ、大川小学校では、震災直後校庭に待機した児童78名中、70名が死亡、4名が行方不明。校内にいた教職員11名中10名が津波により命を落としている。これは東日本大震災だけではなく、学校管理下にあって児童等が亡くなった事案としては戦後最悪の惨事なのである。どうして、大川小学校だけが?これは震災後も様々な場面で問われることになる。



ご承知の方も多いかと思うが、この惨事を生んだ経緯として、まず地形。河口5キロにあった大川小学校は海抜1.2メートル。学校から海岸方向には小高い丘があって、海の様子を確認することはできなかった。大きな揺れに見舞われた後、児童は寒い校庭に集められて、教職員は点呼や保護者への連絡にあたっていた。時間は50分も経過していた。
釜石の奇跡とは全く違っていた点として、防災教育は実施されていたものの、教職員や避難住民には津波が襲来するという危機感がなく、児童を迎えに来た保護者が「大津波が来る」と叫んでも、教職員は「落ち着いてください!」と諫めていた。児童の中にも「早く逃げよう」という子どももいた。スクールバスも会社から「子どもを載せて避難」の無線が入っていたが、その日は校長が不在で避難を判断する大人の統制が取れていなかったのか、教頭と学校に避難してきた地区住民の間で、避難する場所で口論となっていたともいう(教頭は「山に上がらせてくれ!」と訴えていたそうだ)。
危険回避の認識の欠如、避難の遅れに加えて、こともあろうか川の土手を目指して避難してしまった(写真下:新北上大橋付近の右岸道路から見る北上川)。実際、校庭を挟んで校舎の反対側には小高い山(標高75メートル、写真下)がある。子どもたちも自然学習などでよく上っていた山だそうである。認識がなかったことで、情報の確認、避難の時期や方向判断を完全に誤ってしまったことなどが被害を大きくしてしまった理由である。



ボロボロになった校舎を目の当たりにしてショックは大きいのだが、すぐそこに裏山があるのを見上げて複雑な気持ちになる。荒浜小学校や宮脇小学校、釜石の小中学校で伝えられた「不幸中の幸い」や「間一髪の避難」、「大人や子どもの機転」などは、ここにはない。
大川小学校があった地域は津波により壊滅状態であったために、この大惨事が発生していたことは次の日になってから詳細が伝えられることになるが、十数年経過したいま、「大川伝承の会」が作成したパンフレットには、「じっとしゃがんで待っていた校庭はどんなに寒くて、怖かったでしょう。黒い津波を見たときに何を思ったでしょう。事実に向き合うことは容易ではありません。」との記載され、後世に悲惨な出来事を継承している。
校庭や周辺は公園化され、校舎脇には「大川震災伝承館(写真下:館内の展示の様子)」が整備された。土手への避難経路の途中、多分津波に多くの児童や住民が巻き込まれた地点には慰霊碑(写真下)があり、ただただ何回となく涙し、手を合わせることしかできなかった。とにかくいざという時に、「命を真ん中に考える」ようにしたいとの思いを強くするばかりだ。



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