21世紀になってから『クララ白書』や『丘の家のミッキー』が表紙イラストを変更して再販してます。だいたい氷室冴子の『クララ白書』の1巻初版が出たのは1980年、久美沙織の『丘の家のミッキー』は84年。四半世紀前の作品です。確かに当時は人気がありました。『クララ白書』はみさきのあがコミック化し、さらには少女隊の主演で映画にもなってます。『丘の家のミッキー』もめるへんめーかーがコミックにしてますね。少女小説の王道。
『マリア様がみてる』が最初に出たのは98年で、これらに再販がかかっているのが01年以後だから、やっぱり『マリみて』人気のおかげかな。内容も時代で古くなるものではないし、イラストを変えると完全新作で通用します(でも自分には精神的に読み辛くなってたな)。主人公が携帯メールではなく手紙を書くところが20年の歳月かなと思いましたけど、そもそも『マリみて』だってインターネットはあっても携帯電話は登場してなかったし。
そうなんですよね。25年や50年では人間社会なんて目立って変わりはしないんです。確かに気軽に海外旅行に行けるようになった。ファッションなんかで流行廃りはある。でも21世紀になって高層ビルが立ち並ぶ間に(古都でなくても)50年前100年前のままの建物が残っている。そして、そんな古い家に住んでいる人も、月旅行に使った以上の能力のコンピュータが収まった携帯電話を使い、自家用車にはカーナビが積んであったりします。未来なんて、そんなもんです。“未来”はじんわり来るもんなんです。
で、修学旅行篇『チャオ・ソレッラ!』を読了。学園コメディとして安心して気軽に読めます。
こういう学園物(特に少女が主人公の作品)というのは、もういい年した男性には読むのが辛いことが多いのです。とかく登場人物の過剰なまでの思いこみや思い入れに辟易させられたり、陶酔しきった作品世界の設定についていけない部分があったり。昔は好きだった『丘の家のミッキー』(久美沙織)とか『クララ白書』(氷室冴子)なんてもう読めません。
これは作品が悪いんじゃなく、読み手が作品世界とかけ離れてしまっただけ。大騒ぎしている登場人物たちの言動を、つい「なに、そんなことで騒いでるんだ」「くだらない」としか受け止められなくなっちゃってます。共感できない。
でも、このシリーズでは、そういう部分に他のキャラや作者自身による「なんだ、そんなこと」とか「あなた、おかしいです」とツッコミが入るので、それでバランスがとれるんですね。な、そう思うよね?と。
ただミッション系女子校の卒業生たちにいわせると、「あの学校って、すごくリベラルだよね」とのこと。「上級生には丁寧なのに、教師らへの言葉はぞんざい」「応援合戦で学生服が認められるなんて信じられない!(あたしたちはさんざん頼み込んで却下されたのに!!)」「シスター、全般に物わかり良すぎ!!」……まあ、女子高生の元気とか、上流階級の子弟ならではのリベラルさなんてものは、"ミッション系ならではの保守性"には勝てないもんらしいです。
「でも、あんたら卒業してずいぶん経ってんだから、今の学校は変わってない?」
「ああいう世俗と隔絶した世界にとって10年や20年は、時間が経ったうちには入りません」
って、ロストワールドかい。
ただ、この作品、ときどきネタが20年くらい古いと思うこともあって、それがしっくりする原因かもと思ったり。いまどき水面から足が2本生えていて「スケキヨ」と連想する女子高生なんかいませんって。
おっと、ひらがなが読めるようになった末の子が、置きっぱなしになっていた本を読んだらしく、「ごきげんよー、ごきげんよー」と言い出したので取り上げる。まだ早い!
【マリア様がみてる】【チャオ・ソレッラ!】【今野緒雪】
『マリア様がみてる』が最初に出たのは98年で、これらに再販がかかっているのが01年以後だから、やっぱり『マリみて』人気のおかげかな。内容も時代で古くなるものではないし、イラストを変えると完全新作で通用します(でも自分には精神的に読み辛くなってたな)。主人公が携帯メールではなく手紙を書くところが20年の歳月かなと思いましたけど、そもそも『マリみて』だってインターネットはあっても携帯電話は登場してなかったし。
そうなんですよね。25年や50年では人間社会なんて目立って変わりはしないんです。確かに気軽に海外旅行に行けるようになった。ファッションなんかで流行廃りはある。でも21世紀になって高層ビルが立ち並ぶ間に(古都でなくても)50年前100年前のままの建物が残っている。そして、そんな古い家に住んでいる人も、月旅行に使った以上の能力のコンピュータが収まった携帯電話を使い、自家用車にはカーナビが積んであったりします。未来なんて、そんなもんです。“未来”はじんわり来るもんなんです。
で、修学旅行篇『チャオ・ソレッラ!』を読了。学園コメディとして安心して気軽に読めます。
こういう学園物(特に少女が主人公の作品)というのは、もういい年した男性には読むのが辛いことが多いのです。とかく登場人物の過剰なまでの思いこみや思い入れに辟易させられたり、陶酔しきった作品世界の設定についていけない部分があったり。昔は好きだった『丘の家のミッキー』(久美沙織)とか『クララ白書』(氷室冴子)なんてもう読めません。
これは作品が悪いんじゃなく、読み手が作品世界とかけ離れてしまっただけ。大騒ぎしている登場人物たちの言動を、つい「なに、そんなことで騒いでるんだ」「くだらない」としか受け止められなくなっちゃってます。共感できない。
でも、このシリーズでは、そういう部分に他のキャラや作者自身による「なんだ、そんなこと」とか「あなた、おかしいです」とツッコミが入るので、それでバランスがとれるんですね。な、そう思うよね?と。
ただミッション系女子校の卒業生たちにいわせると、「あの学校って、すごくリベラルだよね」とのこと。「上級生には丁寧なのに、教師らへの言葉はぞんざい」「応援合戦で学生服が認められるなんて信じられない!(あたしたちはさんざん頼み込んで却下されたのに!!)」「シスター、全般に物わかり良すぎ!!」……まあ、女子高生の元気とか、上流階級の子弟ならではのリベラルさなんてものは、"ミッション系ならではの保守性"には勝てないもんらしいです。
「でも、あんたら卒業してずいぶん経ってんだから、今の学校は変わってない?」
「ああいう世俗と隔絶した世界にとって10年や20年は、時間が経ったうちには入りません」
って、ロストワールドかい。
ただ、この作品、ときどきネタが20年くらい古いと思うこともあって、それがしっくりする原因かもと思ったり。いまどき水面から足が2本生えていて「スケキヨ」と連想する女子高生なんかいませんって。
おっと、ひらがなが読めるようになった末の子が、置きっぱなしになっていた本を読んだらしく、「ごきげんよー、ごきげんよー」と言い出したので取り上げる。まだ早い!
【マリア様がみてる】【チャオ・ソレッラ!】【今野緒雪】