ようやく確定申告の計算が終わり、4回ほど検算をしましたが細かい数字を丸める作業で戸惑い、ようやくまとまりました。
なんだか大変な作業の様でしたが還付の金額を要した時間で割ると、最低賃金以下の時間給でした・・・
お国は「PCで計算ができますよ。」とは説明していますが、やはり鉛筆と消しゴムそれに計算尺と算盤で計算した方が、老人の頭には染みこみます。
年2回のタイヤ交換と確定申告は道具を使って汗をかかないといけません。
タイヤ交換も自分で出来なくなったら運転免許も返納しようと思うし、確定申告も自分で出来なくなったら商売もやめようと思います。
還暦過ぎの大脳を酷使したのでご褒美に美術館に出かけました・・・
確か市の美術館でA氏の回顧展を企画展示しているのを広報で拝見しました。
郵便局を回ってからの夕刻の時間でしたから入館者は数人でした。
今回は主に七十年代から晩年までの展示でした。
A氏は父親の勤めていた会社の経営者でもありました。
展示してある晩年の写真を拝見して、私が幼児だったころが懐かしく思い出されました。
私の名前はA氏が名前を付けてくれたと父親がよく話していました。
押入れのどこかに、誕生祝いの大きな封筒にパステルで描いた私を描いていただいたものがあると思います。
生前の最期にお会いしたのが大学の入学式の後だったでしょうか・・・
たぶん戦後の混乱期に身を粉にして働いてきた、経営者と従業員だったので、今のようなドライな雇用関係ではなかったのだろうと思います。
穀物の輸入代理店をしていたので、昭和の終わり頃にはイリノイ州あたりの穀倉地帯にはよく出かけていました。
何回か穀物油脂の成分表の翻訳を頼まれたこともありました。
会社も戦後の経済成長の波に乗り、父親も管理職で行きつくところまで行き、80歳近くまで嘱託として勤務していました。
今の体たらくな私と違い、仕事人間の父親でした。
まあ、そんなでしたから休日にダットサンに乗って会社によく連れて行ってくれたこともありました。
そんな時に、父親が事務手続きをしている時に、A氏のアトリエに入ったことがありました。
その頃の我が家は三軒長屋で風呂は銭湯通いの生活でしたから、アトリエなんて見たことも聞いたこともなく、初めて見るイーゼルに掛かった描きかけの黒と白が基調の油絵とテレピン油の匂いが子供心に妙に残っています。
美術館を一回りして、あの懐かしいテレピン油の匂いがしていないのが、もうあれから60年近い時間が過ぎてしまったのかと思いました。
毎年秋になると公募展が始まり、父親と一緒に出かけるとあの独特なテレピン油の匂いが心の奥底に残っています。
なんだか大変な作業の様でしたが還付の金額を要した時間で割ると、最低賃金以下の時間給でした・・・
お国は「PCで計算ができますよ。」とは説明していますが、やはり鉛筆と消しゴムそれに計算尺と算盤で計算した方が、老人の頭には染みこみます。
年2回のタイヤ交換と確定申告は道具を使って汗をかかないといけません。
タイヤ交換も自分で出来なくなったら運転免許も返納しようと思うし、確定申告も自分で出来なくなったら商売もやめようと思います。
還暦過ぎの大脳を酷使したのでご褒美に美術館に出かけました・・・
確か市の美術館でA氏の回顧展を企画展示しているのを広報で拝見しました。
郵便局を回ってからの夕刻の時間でしたから入館者は数人でした。
今回は主に七十年代から晩年までの展示でした。
A氏は父親の勤めていた会社の経営者でもありました。
展示してある晩年の写真を拝見して、私が幼児だったころが懐かしく思い出されました。
私の名前はA氏が名前を付けてくれたと父親がよく話していました。
押入れのどこかに、誕生祝いの大きな封筒にパステルで描いた私を描いていただいたものがあると思います。
生前の最期にお会いしたのが大学の入学式の後だったでしょうか・・・
たぶん戦後の混乱期に身を粉にして働いてきた、経営者と従業員だったので、今のようなドライな雇用関係ではなかったのだろうと思います。
穀物の輸入代理店をしていたので、昭和の終わり頃にはイリノイ州あたりの穀倉地帯にはよく出かけていました。
何回か穀物油脂の成分表の翻訳を頼まれたこともありました。
会社も戦後の経済成長の波に乗り、父親も管理職で行きつくところまで行き、80歳近くまで嘱託として勤務していました。
今の体たらくな私と違い、仕事人間の父親でした。
まあ、そんなでしたから休日にダットサンに乗って会社によく連れて行ってくれたこともありました。
そんな時に、父親が事務手続きをしている時に、A氏のアトリエに入ったことがありました。
その頃の我が家は三軒長屋で風呂は銭湯通いの生活でしたから、アトリエなんて見たことも聞いたこともなく、初めて見るイーゼルに掛かった描きかけの黒と白が基調の油絵とテレピン油の匂いが子供心に妙に残っています。
美術館を一回りして、あの懐かしいテレピン油の匂いがしていないのが、もうあれから60年近い時間が過ぎてしまったのかと思いました。
毎年秋になると公募展が始まり、父親と一緒に出かけるとあの独特なテレピン油の匂いが心の奥底に残っています。