LKR日記

日常の身辺に起きる四方山な出来事を書き連ねたブログを始めました。
興味のある方は、お立ち読みください。

陸軍登戸研究所・・・

2019年03月17日 10時52分17秒 | アマチュア無線
「陸軍登戸研究所」なんて書くと、なんだ~!と思います。

もう、遡ること30年以上も前の事にになります。
関東地方で21MHzの周波数を使って、いわゆるアマチュア無線でロールコールを20人ほどでやっていました。
まだ、携帯電話もインターネットも無い、昭和の時代でした・・・
その頃私もまだ30代の若造でした。

そのうちに、電波だけでなく地上で合いましょうということになり、当然のことながら一番若かった私が連絡役を引き受けました。
連絡は電話か郵便でした、私はFAXなんて持っていなくて、当然のごとく黒電話でした。

その中の一番年長のOMがY氏でした、お歳は当時で古希を過ぎておられましたでしょうか。
戦前からのアマチュア無線家で、その世界では一目置かれる方でした。
当然のことながら若輩で幹事の私は酒席ではお隣の席に座り気を使いました。

アルコールが入り酔われるとOMの話は「ニューマン文書」とか「陸軍登戸研究所」とか「殺人電波」とか「ゾルゲ事件」とかの無線関係に詳しい方以外には意味不明の単語が沢山出てきました。
私も、存じ上げていたのですが、当時子育てもあり、続いて両親の介護が重なり時間だけが過ぎてしまいました。
リタイアして現役を退いてから、気になっていた事がフツフツと頭の中をよぎり、調べ始めました・・・

前述の単語を辿って行くと、「陸軍登戸研究所」に突き当たりました。
先ずは現地へと、ネットで調べて出かけて見ました。
今は明治大学の校舎と敷地になっていました。
埼玉の辺地から、神奈川の現地までは電車を乗り継いで二時間以上の時間を要しました。

30年前のY氏の話していた「単語」が皆つながり判りました。
その資料館の設立にY氏が粉骨砕身の努力をなさったお話を担当学芸員の方からお伺いしました。

いまさらながら思い返すと、Y氏のお話は酒席でお聞きするにはもったいなかったと改めて思います。
たかが、趣味の集まりでしたが、戦前の日本の大事な事を聞き逃してしまいました。

また、爺の戯言でした・・・
コメント
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