LKR日記

日常の身辺に起きる四方山な出来事を書き連ねたブログを始めました。
興味のある方は、お立ち読みください。

碩学・泰斗の師に学ぶ・・・

2019年03月03日 09時27分43秒 | 雑談・その他
確定申告もようやく終わり、3月に入り担当講義も予定が入ってないのでまとまった時間が取れるようになりました。

現役時代から考えると、まとまった時間が取れるのは幸せなことです。
面倒なもめごとや、判断をしなくてはならない事などの煩雑な事象が無いのは、余計なストレスからの何よりの開放です。
そして、何よりもアルコールを常時飲むことをやめたのが自分が使える時間が増えた大きな一因でした。

現役の頃から気になっていた資料を集めていた、明治維新以後に起こった近代国家の事件を一つのキーワードで紡いだ事象をまとめてみようかなと考えています。
どのような形になるか判りませんが、もう少し現場を歩いて観てディテールを固めようかと思います・・・

思い返すと、私の様な勉強もろくにせずにこの歳まで生きてきてしまったのですが、振り返ってみると知らないうちに教えていただいた師が振り返るとその道では碩学・泰斗であったのが奇遇でした。

もう40年以上も前でしたが、野鳥の観察について回っていたT先生と、植物の調査で同じようについて回っていたA先生がそうでした。
ある時A先生に樹木調査の同行で野外調査に出かけた時に、「野鳥の識別はどんなふうに習ったのか?」と問われて、若い時にT先生について回ったことを話したところ、A先生とT先生は大学時代の同級生であったことが判明しビックリしました。
「あいつには、鳥についてははかなわなかった・・・」とA先生の口から洩れました。
両先生共に、たくさんの本を著しているのですが、当時若かった私に判らないことを懇切丁寧に教えていただきました。

教えていただいた事も学んだ専攻も生かすことなく、あらためて社会に還元出来なかった事を今になり考えると、これからは形を変えて伝播役をしていこうかと思います。

教えを乞うにはやはり碩学・泰斗の師に学ぶのが王道な気がします。
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テレピン油の匂い・・・

2019年03月02日 11時36分33秒 | 雑談・その他
ようやく確定申告の計算が終わり、4回ほど検算をしましたが細かい数字を丸める作業で戸惑い、ようやくまとまりました。
なんだか大変な作業の様でしたが還付の金額を要した時間で割ると、最低賃金以下の時間給でした・・・

お国は「PCで計算ができますよ。」とは説明していますが、やはり鉛筆と消しゴムそれに計算尺と算盤で計算した方が、老人の頭には染みこみます。
年2回のタイヤ交換と確定申告は道具を使って汗をかかないといけません。
タイヤ交換も自分で出来なくなったら運転免許も返納しようと思うし、確定申告も自分で出来なくなったら商売もやめようと思います。

還暦過ぎの大脳を酷使したのでご褒美に美術館に出かけました・・・
確か市の美術館でA氏の回顧展を企画展示しているのを広報で拝見しました。
郵便局を回ってからの夕刻の時間でしたから入館者は数人でした。
今回は主に七十年代から晩年までの展示でした。

A氏は父親の勤めていた会社の経営者でもありました。
展示してある晩年の写真を拝見して、私が幼児だったころが懐かしく思い出されました。
私の名前はA氏が名前を付けてくれたと父親がよく話していました。
押入れのどこかに、誕生祝いの大きな封筒にパステルで描いた私を描いていただいたものがあると思います。
生前の最期にお会いしたのが大学の入学式の後だったでしょうか・・・

たぶん戦後の混乱期に身を粉にして働いてきた、経営者と従業員だったので、今のようなドライな雇用関係ではなかったのだろうと思います。
穀物の輸入代理店をしていたので、昭和の終わり頃にはイリノイ州あたりの穀倉地帯にはよく出かけていました。
何回か穀物油脂の成分表の翻訳を頼まれたこともありました。
会社も戦後の経済成長の波に乗り、父親も管理職で行きつくところまで行き、80歳近くまで嘱託として勤務していました。
今の体たらくな私と違い、仕事人間の父親でした。

まあ、そんなでしたから休日にダットサンに乗って会社によく連れて行ってくれたこともありました。
そんな時に、父親が事務手続きをしている時に、A氏のアトリエに入ったことがありました。

その頃の我が家は三軒長屋で風呂は銭湯通いの生活でしたから、アトリエなんて見たことも聞いたこともなく、初めて見るイーゼルに掛かった描きかけの黒と白が基調の油絵とテレピン油の匂いが子供心に妙に残っています。

美術館を一回りして、あの懐かしいテレピン油の匂いがしていないのが、もうあれから60年近い時間が過ぎてしまったのかと思いました。
毎年秋になると公募展が始まり、父親と一緒に出かけるとあの独特なテレピン油の匂いが心の奥底に残っています。
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ふだん使わない頭を使うと・・・

2019年03月01日 09時54分06秒 | 雑談・その他
2月があっという間に終わり、3月になりました。

2月末の担当講義が終了し、しばしの間まとめて時間が取れることになりました。
ここのところアルコールを摂取することを止めたので、夜の時間を長く使うことが出来るようになりました。
その分、アルコールの購入費用が本の費用に充てられるようになりました。

アルコールを常飲するようになったのは30過ぎでしたから、もう30年以上も飲み続けた事になります。
ほとんど所謂「家飲み」でしたが、改めて飲酒に費やした費用を計算尺で出して見ると、高級外車が買えるくらいになりました。
でも、「酒を飲んでいたので、よく覚えていない・・・」なんて言い訳を言うことは一度もありませんでしたけれど・・・

断酒で覚えているのは、昭和の最後の年に無線関係の上位資格を受験するために、元旦から三箇月の間だけ断酒したことがありました。
仕事が一番忙しい時期に疲れて帰宅してから机に向かうのですから、時間を作るには断酒しなくては出来ませんでした。
そのおかげで無事一発合格して、今の私があります・・・

確か父親も私が物心つくようになった頃には飲んでいましたが、還暦過ぎにはほどほどになっていました。
今思うと、やはり仕事のストレスをアルコールで発散させていたのでしょうか。
覚えているのは、銭湯の帰りに酒屋に寄っての「角打ち」でした。
私は、酒屋の親父が信楽焼の古びた甕から出してくれる、飴色になったラッキョウが毎回の楽しみでした。

さて、机に向かう時間が出来たのですが、現役のサラリーマン時代にリタイアしたら読もうと購入していた本がかなりの冊数ありました。
以前にも書いたのですが、興味のある分野は齢を重ねても変わっていないようです。
民俗学・電子工学・物理学・数学・地学・昆虫・鳥類・・
やはり勉強したかったけれど、仕事にしてしまっては面白くないなと考えていたのだと思います。

ようやく、生活のための生業が終わったので細々とした収入で好きな学問をできるのが至福な時間です。
尊敬する伊能忠敬の様な老後を過ごせれば素晴らしいと思います。

現役時代に溜めていた雑用を片づけましたが、ここのところ1週間ほどの時間をかけて確定申告の書類を作成していました。
今まで総務関係の担当者にやってもらっていたことがこんな事だったのかと、思うことしきりです。

電卓を叩いて、収入・控除額・支出額、税額計算と手順は理解出来るのですが、場合分けが大変です。
収入源・対象年齢・扶養関係に始まり、加えて控除額の算定、支出の内訳と特に今年は複雑な収支関係なのでヘトヘトでした。
医療費控除だけで領収書の整理から始まり丸二日要しました・・・

ふだん使わない大脳の分野を使ったせいか、この1週間で甘いものが欠かせなくなりました。
コーヒー紅茶に砂糖、普段食べないチョコレート・・・
何かで読んだのですが、人間の摂取エネルギーの10~20パーセントは脳の活動エネルギーに費やされるとか。

確かに摂取した割に、運動をしていないのにも拘わらず、体重の増加はほとんどありませんでした。
しかも、毎晩熟睡で「ベッドに潜ると、起きたら朝になっていました。」状態の熟睡で、老人につきものの「頻尿現象」もありませんでした・・・

やはり、歳を重ねても頭を使わないとだめなんですね。

これからも、頭を使ってボケないようにしましょう。
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