橋本治 1991年 河出文庫版
えーと、難しい本です。ひさしぶりに読み返したんだけど。
何についての本かっていうのが、ひとことでまとめづらい。
っていうか、ひとことでまとめられっこない、やたら「ひとことでまとめて終わり」にしちゃう態度ってのはよろしくない、ってことが書いてあるって感じですね、むしろ。
著者のほかの本も何冊か読んだけど、ときどきすごくわかりにくい。
わかりにくいっつーのは、一見あたりまえそうなことを、ものすごく丁寧にひとつひとつ説いていくから、まどろっこしいっていうのに近いかも。
しかし、実際に読んでみると、橋本治の書いたりしてるほうが、現在のテレビとかの風潮である、やたら分かりやすさを求めて中間をすっ飛ばしてる、危うい論理に比べて、正しいんぢゃないかなって思える。
現実は、そんなに簡単なものぢゃないから。
(本文中にいくつか挟まってる余談みたいなページがあるんだけど、そのなかのひとつで「どうして私の話はこんなにもまだるっこしいのか」って題で、「人が問題にしないようなことばかりを問題にする。人が使わないような口調を使う。重要な問題を、とても重要な問題とは思えないように扱う。」という文章書きとして三重苦を背負ってる、なんて著者は自ら言ってますけど。)
主題は、日本の夏は暑いのに、なんで男たちは半ズボンを穿かないのか、ってことなんだけど、これが単純そうにみえて、深遠なテーマ。
詳しくは本書を読んでもらうしかないけど、ちょっと気になったとこだけひいても、一杯あるよ、たとえば、
>この国の栄誉は実に、男にとっては“自主性をなくすこと”であった
>日本の戦後というのは、男は外へ働きに女は家で留守番にという旧態依然が、“男女同権”という新しい意識の下にスタートされたと言ってもいい
>「俺が稼いでいるという理由だけで、どうして俺の女房になる女は、生活の心配をしなくていいんだ!?(略)」と思ったら、私はもうほとんど、女という女が許せなかったね。「あなた死なないで」と言って夫を戦場に送る妻っていうのは、そういうもんだと私は思ってました
>はい、日本の男にとって、会社というもんは“学校生活”とおんなじもんだと私は思ってます
みたいにね。
近代とは、戦後とは、男とは女とは、とかスッゴイ大きな問題を抱えてる、ものごとを真摯に考えるのに役に立つ本だと言っていいんぢゃないでしょうか。
ただ、1984年に36歳の著者が書いた本を、二十代前半だった当時の私が読んだのと、二十一世紀も10年以上経ったいま、当時の著者の年齢を大幅に上回っちゃった私が読むのとでは、ちょっと受けとりかたが違うかもしれないけど。
《第一部=混沌篇》とりとめもなく現在は流れる。
(1)コピーの時代
(2)しかし私は、コピーの時代が好きではない
(3)しかしコピーの時代とはこういう時代でもある
(4)コピーの論理の展がり方
(5)感性と知性
(6)大人と子供
(7)自信のなさの研究
(8)減点法の時代
(9)ピーター・パン症候群が通用しない国
(10)不定形時代の論理学
(11)人生は二筋縄
(12)ピーター・パン現象の解明
《第二部=挑戦編》ねェ、来年の夏はみんなで半ズボンを穿かない?
(1)コピーの時代2‐スローガンの復讐
(2)どうして男は半ズボンを穿かないのか?
(3)それではどうして男は暑さを感じないのか?
(4)それではどうして男は暑さを我慢するのか?
(5)日本の男が夏の暑さに半ズボンを穿かないでいることに関しての模範解答1
(6)日本の男が夏の暑さに半ズボンを穿かないでいることに関しての模範解答2‐冷房の研究
(7)日本の男が夏の暑さに半ズボンを穿かないでいることに関しての模範解答3‐自主性喪失の研究
(8)一体、日本の男が夏の暑さに半ズボンを穿くということにはどのようなメリットがあるのか?
(9)どうして日本の男は半ズボンを穿けないのか?という観点から見た高度成長の研究1
(10)ついでに語られる男の身勝手さとガラン洞さとノッペラボウさ
(11)夏に半ズボンを穿かない?と言い出した人間の、その冬の行動について
(12)一見無関係に繰り広げられる、“やさしい母”の終焉について
(13)それぞれの戦後の終焉は、一体“半ズボン問題”とどうからむのだろうか?
(14)戦後の話をするんだったら、やっぱり戦争の話をしなくちゃいけないなァと思って始められる、男の兵役義務の話
(15)あっという間にカタのつく、どうして日本の男は半ズボンを穿かないのか?という観点から見た高度成長の研究・完結篇
(16)それではどうして一般的な日本の男は夏の暑さに半ズボンが穿けないのかということの再研究
(17)どうして私はバカみたいに“提言”なんかするのか?
(18)いよいよ出て来た、待ってました的毛ズネの研究
(19)コピーの時代3‐ドンデン返しの復讐
えーと、難しい本です。ひさしぶりに読み返したんだけど。
何についての本かっていうのが、ひとことでまとめづらい。
っていうか、ひとことでまとめられっこない、やたら「ひとことでまとめて終わり」にしちゃう態度ってのはよろしくない、ってことが書いてあるって感じですね、むしろ。
著者のほかの本も何冊か読んだけど、ときどきすごくわかりにくい。
わかりにくいっつーのは、一見あたりまえそうなことを、ものすごく丁寧にひとつひとつ説いていくから、まどろっこしいっていうのに近いかも。
しかし、実際に読んでみると、橋本治の書いたりしてるほうが、現在のテレビとかの風潮である、やたら分かりやすさを求めて中間をすっ飛ばしてる、危うい論理に比べて、正しいんぢゃないかなって思える。
現実は、そんなに簡単なものぢゃないから。
(本文中にいくつか挟まってる余談みたいなページがあるんだけど、そのなかのひとつで「どうして私の話はこんなにもまだるっこしいのか」って題で、「人が問題にしないようなことばかりを問題にする。人が使わないような口調を使う。重要な問題を、とても重要な問題とは思えないように扱う。」という文章書きとして三重苦を背負ってる、なんて著者は自ら言ってますけど。)
主題は、日本の夏は暑いのに、なんで男たちは半ズボンを穿かないのか、ってことなんだけど、これが単純そうにみえて、深遠なテーマ。
詳しくは本書を読んでもらうしかないけど、ちょっと気になったとこだけひいても、一杯あるよ、たとえば、
>この国の栄誉は実に、男にとっては“自主性をなくすこと”であった
>日本の戦後というのは、男は外へ働きに女は家で留守番にという旧態依然が、“男女同権”という新しい意識の下にスタートされたと言ってもいい
>「俺が稼いでいるという理由だけで、どうして俺の女房になる女は、生活の心配をしなくていいんだ!?(略)」と思ったら、私はもうほとんど、女という女が許せなかったね。「あなた死なないで」と言って夫を戦場に送る妻っていうのは、そういうもんだと私は思ってました
>はい、日本の男にとって、会社というもんは“学校生活”とおんなじもんだと私は思ってます
みたいにね。
近代とは、戦後とは、男とは女とは、とかスッゴイ大きな問題を抱えてる、ものごとを真摯に考えるのに役に立つ本だと言っていいんぢゃないでしょうか。
ただ、1984年に36歳の著者が書いた本を、二十代前半だった当時の私が読んだのと、二十一世紀も10年以上経ったいま、当時の著者の年齢を大幅に上回っちゃった私が読むのとでは、ちょっと受けとりかたが違うかもしれないけど。
《第一部=混沌篇》とりとめもなく現在は流れる。
(1)コピーの時代
(2)しかし私は、コピーの時代が好きではない
(3)しかしコピーの時代とはこういう時代でもある
(4)コピーの論理の展がり方
(5)感性と知性
(6)大人と子供
(7)自信のなさの研究
(8)減点法の時代
(9)ピーター・パン症候群が通用しない国
(10)不定形時代の論理学
(11)人生は二筋縄
(12)ピーター・パン現象の解明
《第二部=挑戦編》ねェ、来年の夏はみんなで半ズボンを穿かない?
(1)コピーの時代2‐スローガンの復讐
(2)どうして男は半ズボンを穿かないのか?
(3)それではどうして男は暑さを感じないのか?
(4)それではどうして男は暑さを我慢するのか?
(5)日本の男が夏の暑さに半ズボンを穿かないでいることに関しての模範解答1
(6)日本の男が夏の暑さに半ズボンを穿かないでいることに関しての模範解答2‐冷房の研究
(7)日本の男が夏の暑さに半ズボンを穿かないでいることに関しての模範解答3‐自主性喪失の研究
(8)一体、日本の男が夏の暑さに半ズボンを穿くということにはどのようなメリットがあるのか?
(9)どうして日本の男は半ズボンを穿けないのか?という観点から見た高度成長の研究1
(10)ついでに語られる男の身勝手さとガラン洞さとノッペラボウさ
(11)夏に半ズボンを穿かない?と言い出した人間の、その冬の行動について
(12)一見無関係に繰り広げられる、“やさしい母”の終焉について
(13)それぞれの戦後の終焉は、一体“半ズボン問題”とどうからむのだろうか?
(14)戦後の話をするんだったら、やっぱり戦争の話をしなくちゃいけないなァと思って始められる、男の兵役義務の話
(15)あっという間にカタのつく、どうして日本の男は半ズボンを穿かないのか?という観点から見た高度成長の研究・完結篇
(16)それではどうして一般的な日本の男は夏の暑さに半ズボンが穿けないのかということの再研究
(17)どうして私はバカみたいに“提言”なんかするのか?
(18)いよいよ出て来た、待ってました的毛ズネの研究
(19)コピーの時代3‐ドンデン返しの復讐