佐藤究 2018年 講談社文庫版
これは、穂村弘の『図書館の外は嵐』で、
>そして、物語の真ん中近くの「ファミレス」のシーンで衝撃に襲われた。これ、最高のやつじゃないか。
と語られてるのが気になってしまい、運よくすぐ古本の文庫を見つけたのは先月のこと。
最近になってやっと読んだんだけど、うーん、なんというかが難しい。
ミステリーってことになってるんで、自分用の中身のメモとしてでも、詳細をあれこれ書くのはよくないだろうし。
でも、裏表紙に書いてあることだったら許されるんだろうから、猟奇殺人鬼の一家を舞台とした話ってのは言ってもいいんだろう。
なんぢゃ、そりゃ、って私も読み始めていきなり思ったが。
語り部である「わたし」は、市野亜李亜(アリア)、17歳の女子高生。
42歳の母、杞夕花(キユカ)、バーベルのシャフトで、連れ込んだ男を後ろからぶん殴る。
21歳の兄、浄武(ジョウブ)、ネットで知り合った女の子を、おびきよせて喉を咬みちぎる。
52歳の父、桐清(キリキヨ)、ふだんは不動産業界紙を読んだりしてる、地下の物置に殺した男の死体がミイラになっている。
という四人家族が住んでるのは西東京市東伏見で、「わたし」は友だちはいないらしいけど普通に高校に通ってる。
いまどきの高校生にしてはめずらしくスマホが嫌いだったりする、あとどこにでもある監視カメラも嫌悪してる。
>父に「進路をどうする」と訊かれて、できれば大学に行きたいと答えた。心理学をやりたい。人間の心を勉強しなから、人殺しもつづけたいの。
>「ふうん」と父は言う。「お母さんやお兄ちゃんはどう言っている」
>わたしは首を振る。わかんない。全然話さないから。(P.38)
という猟奇殺人鬼のわりには淡々とした調子で毎日を過ごしてるように語って物語は進んでくようにみえたんだが。
あるとき家庭内で事件が起きて、そこから一気に流れが変わる。
探偵小説によくある犯人探しとかトリック暴きとかが中心になってるわけぢゃない、そこんとこが内容出さずになんと言ったらいいかがむずかしい。
やっぱ穂村弘さんは、うまいので引用しちゃう、
>特徴としては、提示された謎が外界ではなく人間の心の中にあることだ。(略)ここにあるのは、自分が自分に出したなぞなぞ、絶対に出されなければならなかったなぞなぞ、にも拘わらず解かれてはならないなぞなぞ、とでもいうべき何かだ。(『図書館の外は嵐』p.89)
ということになる。
まあ、あんまり私の好みではないかもしれない、見かけの表現方法も含めて。
ちなみにタイトルの「QJKJQ」というのは、ポーカーでその5枚がきたら「エストー・ペルペトゥア」って手役だと、物語のなかでは言う、知らなかったけど。
そういえば主人公のイニシャルは「A」だね。