百目鬼恭三郎 昭和58年 ダイヤモンド社
前に読んだ『風の書評』の続編、古本屋で並んでたので、五月下旬だったか同時に買っといて、最近読んだ。
初出は『週刊文春』の1980年9月から82年9月の連載、匿名書評コラム「ブックエンド」だということで。
前著『風の書評』では、その連載が継続中なので著者名は匿名そのままで「風」としてたが、本書については連載が終わってるんで実名で出版したと。
匿名書評を嫌う作家は多く、しかもこの書評は悪口いう場合が多いんで嫌われていたというが、特に、
>わけても、人からはほめてもらうことしか期待しない女流作家と、ヨイショ専門の編集者としか交渉がなく、日頃批評の対象になったことのない大衆文学の作家の、匿名批評に対する反応はすさまじいようだ。(p.188「笑え!匿名批評」)
ということらしいが、匿名批評のもつ、著者の存在感よりも論ずる主題だけが存在する普遍性という価値については、このあとがきのところにくわしい。
いやー、しかし、たしかに悪口の言いようがすごいから、紹介されてる本がなんだかは入ってこなくて、こりゃダメだ的印象しか残らない。
>当節は、格好だけはりっぱだが、中味は中途半端、といった本がふえているようだ。(p.27「村井康彦編『年表日本歴史2』」)
とか、
>近年、えたいの知れないヌエ的な本がふえてきた。(p.54「集英社版『日本の街道4』」)
とか、
>(略)歌の名所紀行だが、例によってはなはだ杜撰であり、この著者にはものを書く厳しさが欠けているとしか思えない。(p.58「馬場あき子『歌枕をたずねて』」)
とか、
>四季の風物について書いた随筆くらいつまらぬものはない。読者は、月並みな風物の配置と紋切り型の描写に、うんざりさせられるだけである。世間にゴマンといる俳人の俳句とおなじで、筆者の自己陶酔以外の何物でもない。(p.65「堀古蝶『続筆洗歳時記』」)
とか、
>要するに、作者の知識不足、取材不足と、想像力の欠如というほかはないのである。
>文章力の不足もまためだつ。(略)私にいわせると、作者はまだ小説を書くだけの文章力をもっていないのだが、不思議にも、選評で各委員は、文章力があるとべたほめなのである。(p.82「斎藤澪『この子の七つのお祝いに』」)
とか、ビシビシ言ってる例は枚挙にいとまがないけど、気持ちよく響いてくるのはひとつの芸なんだろう。
あと、
>高名な歴史家を父にもち苦労もなしに有名人になったお坊っちゃんの著者でも、まさかこんなおめでたいことは思っていないだろうから、出版社の詐術とみて「読者をなめるな」と警告しておく。(p.77「羽仁進『自分主義』」)
とか、
>(略)私にはこの作者は読者をナメているとしか思えなかった。(p.113「文学賞(昭和五十六年度)雑感)
とかって、読者をなめているって怒りの表現が、いいかげんなものがあふれてる出版界への警告として、至極もっともって感じがしていい。