桜庭和志の話題で思い出したんだけど、
そういえばあの「桜庭・ホイス戦」、ドームに観に行ってたなーと。
1ラウンド15分のラウンド無制限で、6ラウンド90分の試合、いまおもえばよくやったなーって感じ。
ルールとか、試合時間とか、体重による階級とか、すべてがいい加減の昔のほうが、観てて面白かったのは確か。
いずれにせよ、格闘技とかライヴとかって、どんなに後ろのほうの席で肉眼ではハッキリ見えなくたって何だって、そのときその現場にいたってことが大事だと私は常々思っている。テレビぢゃダメなんだよね、あの会場の雰囲気のなかにいないと、観たことになんないって。
というわけで、ウチにあるプログラムとか(それにしてもプログラムってどうして高いんだろうね。あとサイズが中途半端にデカいとカバンに入んないんで持ち帰るのに困るんだよ。)と記憶を頼りに、観に行ったイベントを挙げてみましょう。
1993年11月18日 両国国技館 リングス
「バトルディメンジョントーナメント」の2回戦でした。お目当ての前田日明は、ヘルマン・レンティングに肩固めで一本勝ち。当時、肩固めってあんまり認知されてなかったので、何があったかわかんないうちに勝っちゃったって感じでしたが。
1994年1月21日 日本武道館 リングス
トーナメントの決勝戦、前田はビターゼ・タリエルと対戦して、勝って優勝。予定調和的ですが、リングスは番狂わせが起こりやすいし、ファンとしては、まあ勝ってホッとしました。タリエルは開幕前ノーマークだったし、いろんな強いやつがいるなーって感じがしましたね。
1995年7月18日 大阪府立体育会館 リングス
RISING SERIES FUMIZUKI 大阪大会ですね。この前年から滋賀に引っ越してたんで、どうしても最寄りの試合でも大阪になっちゃいます。大阪ではディック・フライが何か異常に人気ありましたね。
1995年12月19日 大阪府立体育会館 リングス
メガバトル・トーナメント1995の準決勝。ヴォルク・ハン対山本、前田対ハンス・ナイマンでした。当時の私は、断然ヴォルク・ハンファンでした。あの変幻自在な関節技こそが、私を打撃系より関節系好きにさせた根源です。前田との試合はプロレスでいうところの「手が合う」ってやつなんぢゃないかなと思います。足が絡まりながらリングをゴロゴロ転がってて「どっちが痛いか分かんねーぞ!」って場内から声が飛ぶような展開がよかったですねー。
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1998年10月11日 東京ドーム PRIDE
私のPRIDE詣では、ここからですね。PRIDE4、高田とヒクソンの2回目の対戦。前年は当日東京にいなくて行けなかったんですが、このときは万障繰り合わせていきました。また負けちゃいましたけど。すげえ緊張感がありました。
当時は、ほかの試合も10分3ラウンドで、グランドでネチネチした展開になると、すごく長く感じました。
ちなみに、アレクサンダー大塚がマルコ・ファスに大番狂わせで勝っちゃって、すごい盛り上がりました。一躍アレクの株が上がって、PRIDEによく出るようになったんだけど、意外とそのあとは伸びなかったなー。でも当日は、あれがあったんで、プロレス強いじゃん、もしかしたら高田もやれるかもって雰囲気になったんだと思う。
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1999年2月21日 横浜アリーナ リングス
前田の引退試合。アマレスの世界最強、アレキサンダー・カレリンとの対戦でした。袈裟固めでエスケープせざるをえず、ポイント2対1で負けちゃいましたが、最初のポイントは獲ったんで、一本勝負なら勝ってたなんて試合直後に前田が強がってました。それよりも何よりも、カレリンと試合が組めちゃったっていうのが、今おもうとすごい。
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1999年7月4日 横浜アリーナ PRIDE
PRIDE6。なぜか小川直也が出てきたんで、それも興味あった。
高田は当時最強とみられていたマーク・ケアーに挑んで負けた。ほんと負けを恐れずカードを組むって点では偉いと思う。
このころから桜庭の強さがかなりアピールされてきたような気がする。
試合後に「もっと強いひととやりたい」って言って、会場は盛り上がったけど、あとで相手のブラジル陣営は怒ってたらしいし。
1999年9月12日 横浜アリーナ PRIDE
PRIDE7。なんか夕方まで千葉で仕事してて、新横浜までかけつけた記憶がある。
桜庭が余裕しゃくしゃくで、この日の試合前の紹介ビデオでは「決めますよ、ダブルアーム・ス―プレックス」とか言ってて、ウケてた。(スパーリングで技の入りかた閃いたらしいんだけど、当然試合では出なかった。)
1999年9月18日 東京ベイNKホール パンクラス
PANCRASE 1999 BREAKTHROUGH TOUR。翌年に船木がヒクソンとやるってウワサだったんで、壮行の意をこめて(なんだそりゃ?)観に行った。っていうか、この機を逃したら、パンクラスの船木は観らんないから。
試合はKO勝ち。ちなみにメインの近藤有己もヒザで秒殺勝ち。
1999年11月21日 有明コロシアム PRIDE
PRIDE8。記念すべき桜庭のグレイシー初勝利。
その前の試合で、アレクサンダー大塚がヘンゾに歯が立たず判定負けしちゃって、逆に桜庭に対する期待というか最後の望みみたいな空気はすごかった。
いま思えば、体重差があるから、ホイラーには勝って当たり前なんだけど。
どうでもいいけど、このあとドームとか会場がでかくなる傾向にあったんだけど、有明くらいの大きさが一番いいような気がします。グランドで動いてるのに「ブレイクしろ」とか変なこと言うシロウトもいないし。この日は、会場にすごい一体感みたいなのあったなー。
この試合の勝利はあまりに嬉しかったので、あとでビデオ買って、ムシャクシャしたときには観て「折れ!」とか感情爆発させるのに使ってました。
ちなみに、このころのPRIDEは、公式プログラムに三代目魚武濱田成夫を使ってたりして、そのへんのセンスがすごい好きだった。
PRIDE8のプログラムに載せられてた詩は以下のとおり。
「太陽なみ。」
俺様の
えげつなさは
太陽なみ
太陽なみの
えげつなさ
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2000年1月30日 東京ドーム PRIDE
第一回のPRIDE GP開幕戦。PRIDEはずっと単発のイベントみたいなとこあったんだけど、いよいよトーナメント戦をやるっていうんで、誰が優勝するのか興味がありました、当時は。しかもホイス・グレイシーが出るっていうんで、ほんとどんな組み合わせになっても楽しみだなって感じがしてましたね。
いまでは総合格闘技って、なんとなくスタンダードになってきたんだけど、最初のころは、異種格闘技戦(レスリング対柔術とかね)って雰囲気がまだ残ってたんですよ。個々のカードでも、どっちが強いんだろって未知の魅力がありました。
高田が何もできないでホイスに負けちゃったんで、なんといっても当日いちばん盛り上がったのは、藤田和之が初登場で一本勝ちして「道はどんなに険しくても、笑いながら歩こうぜ」って言ったとこでした。もしかしたら、すげえ強いのかもって期待させられましたし。
2000年2月26日 日本武道館 リングス
KOKトーナメントの決勝戦。ダン・ヘンダーソンが優勝。当時はよく知らなかったんだけど、このひとはポテンシャルも高いのに加えて、ルールに対する対応力がいいですね。
KOKトーナメントは相変わらず「ブレイクあり」という変わったルールだったんだけど、これが意外なことに「人間は思ったよりスタミナがない」っていう事実を発見させてくれたという効用がありました。一回タックルいってそのあと決められないとブレイクになっちゃうのを見てるとわかります。
それにしても当日いちばん盛り上がったのは、田村がUWFのテーマで入場してきたときですね。判定とはいえ、ヘンゾ・グレイシーに勝ったし。
2000年5月1日 東京ドーム PRIDE
PRIDE GPの決勝戦。決勝戦といっても、二回戦・準決勝・決勝をこの日でやるという、いま思えば過酷な日程。
桜庭・ホイス戦が組まれてたんだけど、試合前から桜庭が「ボコボコにしてやる」とか発言してたんで、みんなグレイシー憎しで盛り上がってました。
それもよかったんだけど、藤田が、当時いちばん強いと思われてたマーク・ケアーに勝ったのも、すごい盛り上がりました。日本人プロレスラー強い!みたいなね。
桜庭・ホイス戦が90分だったこともあり、全試合おわったら、たしか23時ころだったような記憶があります。
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2000年5月26日 東京ドーム コロシアム2000
船木誠勝対ヒクソン・グレイシー。
金曜日だったんだよね、都内で仕事終わって駆けつけたら、観たかった第一試合の近藤有己は秒殺勝ちで終わってた。
船木・ヒクソン戦は、やっぱものすごく張り詰めたものがありましたね。いままで見たなかでいちばん緊迫感あったと思う。ほんと、これから命のやり取り、殺し合いが始まるんだって感じがした。ヒクソン側の主張で頭突き・エルボーは禁止のルールだったんだけど、そういう問題ぢゃなく、負けることは死を意味するみたいな感じがあった。あれは、ヒクソンが無敗っていうのもあるし、やっぱ船木の意気込みってのが影響してたと思う。桜庭だったら、試合は純粋な試合って感じで、あそこまで思いつめたものはなかったでしょう。
2000年12月17日 東京ベイNKホール 修斗
修斗 R.E.A.D. チャンピオンへの道。宇野薫と佐藤ルミナがやるというので、観に行った。
結果は宇野が勝って、試合後に突如「自分のなかではルミナさんが一番でした」とか言って、ベルトを返上してしまった。
ほかの試合では、三島☆ド根性ノ助が面白かったっす。
2000年12月23日 埼玉スーパーアリーナ PRIDE
PRIDE12。夏に石沢をKOしたハイアン・グレイシーが出てきて桜庭とやるっていうんで行ったんだけど、直前に怪我をしたらしくて、むりやり試合して負けてました。
試合前にヘンゾだったかな、何かマイクアピールしたんだけど、通訳が全然ちがうこと(なんか台本があったんでしょ)言って、むりやり対決ムードをあおってましたけど。
エンセン井上が、TKO負けしたんだけど、「戦えるのに、止めるのはおかしくないか」って抗議してました。結局これで引退しましたが。
2001年9月24日 大阪城ホール PRIDE
PRIDE16っす、この年から滋賀に住んでたんで、なかなか機会も減ったんだけど、大阪にきたときに観に行きました。
ノゲイラがマーク・コールマンに一本勝ち。下から腕をとって極めました。関節技ファンとしては、大満足です。
アイブルとか出てきてて、リングスからだいぶ引き抜きが激しくなってきたころ。そういえば、パンクラスからセーム・シュルトも来たなー。
2002年8月28日 国立競技場 Dynamite!
当時滋賀に住んでたんだけど、行きました、国立競技場。雨だったら中止で翌日は行けなかったんで、晴れてよかった。
K-1とPRIDEとアントニオ猪木という、いま考えるとよくわかんないプロデュースなんだが、対抗戦初期の当時は面白くできてました。
猪木がスカイダイビングで空から下りてくるとかいう、何でそんなことをってイベントもあったんだけど、試合はけっこうよかったっす。
ボブ・サップ対ノゲイラは、スタミナの切れたとこを仕留めて、ノゲイラファンの私としてはかなりスッとしたんだけど、桜庭がミルコを退治してくれると思ったのに負けてしまったのは残念です。(契約体重がきつくてミルコ側もいらついてたらしいが。)
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2003年6月8日 横浜アリーナ PRIDE
PRIDE26。藤田対ヒョードル戦が見たくて行った。藤田を応援してたんだが、当然のようにヒョードル勝ち。
あとミルコ・クロコップがここから本格参戦ですね。当時ヒョードル、ノゲイラの次くらいに位置していると思われたヒース・ヒーリングに勝ち。
2003年11月9日 東京ドーム PRIDE
PRIDE GP 2003(ミドル級)の準決勝・決勝。
っていうか、アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ対ミルコ・クロコップが観たくて行った。
打撃より関節ずきな私は、ノゲイラファン。2ラウンドで腕をとって一本とったときは、かなり気持ちよかった。ほんとスーッとした、会場はミルコファンのほうが多かったみたいですけど。けっこう苦戦したんだけど、1ラウンドの途中から間合いを詰めたのが勝因ですね。
グランプリはヴァンダレイが優勝。
高田が、猪木のことを「去る者は追わず」と言って、フジテレビがうじうじ言ってるけど大晦日にやるぞ、と宣言。
2003年12月31日 埼玉スーパーアリーナ PRIDE
男祭り2003。いまプログラムを見たら、12月17日現在で決まって印刷されてる試合は3試合しかない。11月に高田がやると宣言したのに意気を感じて、それだけで観に行ったようなもんですな。
吉田対ホイスは、判定決着なしってルールだったんでドローだったけど、内容はホイスの勝ち。
2004年2月15日 横浜アリーナ PRIDE
武士道の其の弐ですな。武士道シリーズの意味はよくわかんなかったんだけど、ヴァンダレイ・シウバとかが出るっていうのと、桜井マッハ速人がグレイシーとやるっていうんで観に行った。日本対シュートボクセ3対3って企画でした。五味を発見できたのが収穫かな。
2004年5月23日 横浜アリーナ PRIDE
武士道の其の参。日本対グレイシー3対3っていうんで観に行った。
もしかしたら、チケット勝ったときには、ヴァンダレイ・シウバ対近藤有己戦があったのかもしれないけど、シウバの負傷で実現しなかった。
五味の秒殺KO勝ちがよかったっす。
横浜アリーナって観やすくて会場としては結構好きです。
2004年12月31日 埼玉スーパーアリーナ PRIDE
夏にノーコンテストになったヒョードル対ノゲイラ戦をやるっていうんで、前年とは違って早くから観戦を決めてました。
ノゲイラを応援してたんだけど、ヒョードルが押して判定勝ち。ほんと、ヒョードルは試合を支配するのがうまい。
ヴァンダレイ・シウバが、体重の違いすぎるマーク・ハントとやって、初黒星。ちょっとシラけました。
KOタイムの一番速かった勝者に賞金だすみたいな企画があったんだけど、一試合目で美濃輪が秒殺して決まっちゃった。このころから美濃輪はキャラが立ってきた気がする。
あろ、五味がKO勝ちして、「判定?だめだよ、KOぢゃなきゃ」って言ったのはカッコよかったっす。
2005年8月28日 埼玉スーパーアリーナ PRIDE
PRIDE GP 2005(ミドル級)の準決勝・決勝。
っていうか、ヒョードル・ミルコ戦がついに実現したんで行った。
私はミルコが好きぢゃないんで、当然ヒョードルを応援してたんですが、見事完封勝ちでしたね。半歩前に出て間合いを詰めて、打撃を封じました。ほんと、そのへんの戦い方はうまいです。
ミドル級のほうは、ヴァンダレイがヒカルド・アローナに準決勝で負けちゃって。桜庭に勝ったころのヴァンダレイはヒールっぽかったんだけど、このころはもう日本人にも好かれてたんで、会場かなりガッカリ感ありました。アローナのファイトはいまいちスッとしないしね。でも、決勝ではマウリシオ・ショーグンがKO勝ちして盛り上がりましたけど。
2005年12月31日 埼玉スーパーアリーナ PRIDE
恒例になってる男祭り。小川直也対吉田を観に行った。
小川を応援してたんだけど(どうして私はいつも会場のなかで劣勢の側にまわってしまうのか)、負けてしまいました。
あとは柔術の菊田が、柔道の瀧本に勝ったのは、なかなかよかったですねー。
2006年12月31日 埼玉スーパーアリーナ PRIDE
男祭りですが、この年から私は札幌に引っ越してたんで、年末年始の帰省のタイミングで観に行ったってことになる。家でのんびりしてようかと思ったんだけど、フジテレビが降りたってこともあって、やっぱ会場まで観に行くっきゃないなって結論に達した。
ヒョードルもノゲイラも出てたんだけど、無差別級グランプリのあとのせいか、なんかワクワクしなかったような気がする。移籍とか引き抜きのグタグタにちょっと嫌気さしてきてきたのかもしれないけど。
そんななかで、青木真也みたいに新たな魅力あるファイターも発見できたのは収穫。
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そういえばあの「桜庭・ホイス戦」、ドームに観に行ってたなーと。
1ラウンド15分のラウンド無制限で、6ラウンド90分の試合、いまおもえばよくやったなーって感じ。
ルールとか、試合時間とか、体重による階級とか、すべてがいい加減の昔のほうが、観てて面白かったのは確か。
いずれにせよ、格闘技とかライヴとかって、どんなに後ろのほうの席で肉眼ではハッキリ見えなくたって何だって、そのときその現場にいたってことが大事だと私は常々思っている。テレビぢゃダメなんだよね、あの会場の雰囲気のなかにいないと、観たことになんないって。
というわけで、ウチにあるプログラムとか(それにしてもプログラムってどうして高いんだろうね。あとサイズが中途半端にデカいとカバンに入んないんで持ち帰るのに困るんだよ。)と記憶を頼りに、観に行ったイベントを挙げてみましょう。
1993年11月18日 両国国技館 リングス
「バトルディメンジョントーナメント」の2回戦でした。お目当ての前田日明は、ヘルマン・レンティングに肩固めで一本勝ち。当時、肩固めってあんまり認知されてなかったので、何があったかわかんないうちに勝っちゃったって感じでしたが。
1994年1月21日 日本武道館 リングス
トーナメントの決勝戦、前田はビターゼ・タリエルと対戦して、勝って優勝。予定調和的ですが、リングスは番狂わせが起こりやすいし、ファンとしては、まあ勝ってホッとしました。タリエルは開幕前ノーマークだったし、いろんな強いやつがいるなーって感じがしましたね。
1995年7月18日 大阪府立体育会館 リングス
RISING SERIES FUMIZUKI 大阪大会ですね。この前年から滋賀に引っ越してたんで、どうしても最寄りの試合でも大阪になっちゃいます。大阪ではディック・フライが何か異常に人気ありましたね。
1995年12月19日 大阪府立体育会館 リングス
メガバトル・トーナメント1995の準決勝。ヴォルク・ハン対山本、前田対ハンス・ナイマンでした。当時の私は、断然ヴォルク・ハンファンでした。あの変幻自在な関節技こそが、私を打撃系より関節系好きにさせた根源です。前田との試合はプロレスでいうところの「手が合う」ってやつなんぢゃないかなと思います。足が絡まりながらリングをゴロゴロ転がってて「どっちが痛いか分かんねーぞ!」って場内から声が飛ぶような展開がよかったですねー。
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1998年10月11日 東京ドーム PRIDE
私のPRIDE詣では、ここからですね。PRIDE4、高田とヒクソンの2回目の対戦。前年は当日東京にいなくて行けなかったんですが、このときは万障繰り合わせていきました。また負けちゃいましたけど。すげえ緊張感がありました。
当時は、ほかの試合も10分3ラウンドで、グランドでネチネチした展開になると、すごく長く感じました。
ちなみに、アレクサンダー大塚がマルコ・ファスに大番狂わせで勝っちゃって、すごい盛り上がりました。一躍アレクの株が上がって、PRIDEによく出るようになったんだけど、意外とそのあとは伸びなかったなー。でも当日は、あれがあったんで、プロレス強いじゃん、もしかしたら高田もやれるかもって雰囲気になったんだと思う。
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1999年2月21日 横浜アリーナ リングス
前田の引退試合。アマレスの世界最強、アレキサンダー・カレリンとの対戦でした。袈裟固めでエスケープせざるをえず、ポイント2対1で負けちゃいましたが、最初のポイントは獲ったんで、一本勝負なら勝ってたなんて試合直後に前田が強がってました。それよりも何よりも、カレリンと試合が組めちゃったっていうのが、今おもうとすごい。
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1999年7月4日 横浜アリーナ PRIDE
PRIDE6。なぜか小川直也が出てきたんで、それも興味あった。
高田は当時最強とみられていたマーク・ケアーに挑んで負けた。ほんと負けを恐れずカードを組むって点では偉いと思う。
このころから桜庭の強さがかなりアピールされてきたような気がする。
試合後に「もっと強いひととやりたい」って言って、会場は盛り上がったけど、あとで相手のブラジル陣営は怒ってたらしいし。
1999年9月12日 横浜アリーナ PRIDE
PRIDE7。なんか夕方まで千葉で仕事してて、新横浜までかけつけた記憶がある。
桜庭が余裕しゃくしゃくで、この日の試合前の紹介ビデオでは「決めますよ、ダブルアーム・ス―プレックス」とか言ってて、ウケてた。(スパーリングで技の入りかた閃いたらしいんだけど、当然試合では出なかった。)
1999年9月18日 東京ベイNKホール パンクラス
PANCRASE 1999 BREAKTHROUGH TOUR。翌年に船木がヒクソンとやるってウワサだったんで、壮行の意をこめて(なんだそりゃ?)観に行った。っていうか、この機を逃したら、パンクラスの船木は観らんないから。
試合はKO勝ち。ちなみにメインの近藤有己もヒザで秒殺勝ち。
1999年11月21日 有明コロシアム PRIDE
PRIDE8。記念すべき桜庭のグレイシー初勝利。
その前の試合で、アレクサンダー大塚がヘンゾに歯が立たず判定負けしちゃって、逆に桜庭に対する期待というか最後の望みみたいな空気はすごかった。
いま思えば、体重差があるから、ホイラーには勝って当たり前なんだけど。
どうでもいいけど、このあとドームとか会場がでかくなる傾向にあったんだけど、有明くらいの大きさが一番いいような気がします。グランドで動いてるのに「ブレイクしろ」とか変なこと言うシロウトもいないし。この日は、会場にすごい一体感みたいなのあったなー。
この試合の勝利はあまりに嬉しかったので、あとでビデオ買って、ムシャクシャしたときには観て「折れ!」とか感情爆発させるのに使ってました。
ちなみに、このころのPRIDEは、公式プログラムに三代目魚武濱田成夫を使ってたりして、そのへんのセンスがすごい好きだった。
PRIDE8のプログラムに載せられてた詩は以下のとおり。
「太陽なみ。」
俺様の
えげつなさは
太陽なみ
太陽なみの
えげつなさ
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2000年1月30日 東京ドーム PRIDE
第一回のPRIDE GP開幕戦。PRIDEはずっと単発のイベントみたいなとこあったんだけど、いよいよトーナメント戦をやるっていうんで、誰が優勝するのか興味がありました、当時は。しかもホイス・グレイシーが出るっていうんで、ほんとどんな組み合わせになっても楽しみだなって感じがしてましたね。
いまでは総合格闘技って、なんとなくスタンダードになってきたんだけど、最初のころは、異種格闘技戦(レスリング対柔術とかね)って雰囲気がまだ残ってたんですよ。個々のカードでも、どっちが強いんだろって未知の魅力がありました。
高田が何もできないでホイスに負けちゃったんで、なんといっても当日いちばん盛り上がったのは、藤田和之が初登場で一本勝ちして「道はどんなに険しくても、笑いながら歩こうぜ」って言ったとこでした。もしかしたら、すげえ強いのかもって期待させられましたし。
2000年2月26日 日本武道館 リングス
KOKトーナメントの決勝戦。ダン・ヘンダーソンが優勝。当時はよく知らなかったんだけど、このひとはポテンシャルも高いのに加えて、ルールに対する対応力がいいですね。
KOKトーナメントは相変わらず「ブレイクあり」という変わったルールだったんだけど、これが意外なことに「人間は思ったよりスタミナがない」っていう事実を発見させてくれたという効用がありました。一回タックルいってそのあと決められないとブレイクになっちゃうのを見てるとわかります。
それにしても当日いちばん盛り上がったのは、田村がUWFのテーマで入場してきたときですね。判定とはいえ、ヘンゾ・グレイシーに勝ったし。
2000年5月1日 東京ドーム PRIDE
PRIDE GPの決勝戦。決勝戦といっても、二回戦・準決勝・決勝をこの日でやるという、いま思えば過酷な日程。
桜庭・ホイス戦が組まれてたんだけど、試合前から桜庭が「ボコボコにしてやる」とか発言してたんで、みんなグレイシー憎しで盛り上がってました。
それもよかったんだけど、藤田が、当時いちばん強いと思われてたマーク・ケアーに勝ったのも、すごい盛り上がりました。日本人プロレスラー強い!みたいなね。
桜庭・ホイス戦が90分だったこともあり、全試合おわったら、たしか23時ころだったような記憶があります。
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2000年5月26日 東京ドーム コロシアム2000
船木誠勝対ヒクソン・グレイシー。
金曜日だったんだよね、都内で仕事終わって駆けつけたら、観たかった第一試合の近藤有己は秒殺勝ちで終わってた。
船木・ヒクソン戦は、やっぱものすごく張り詰めたものがありましたね。いままで見たなかでいちばん緊迫感あったと思う。ほんと、これから命のやり取り、殺し合いが始まるんだって感じがした。ヒクソン側の主張で頭突き・エルボーは禁止のルールだったんだけど、そういう問題ぢゃなく、負けることは死を意味するみたいな感じがあった。あれは、ヒクソンが無敗っていうのもあるし、やっぱ船木の意気込みってのが影響してたと思う。桜庭だったら、試合は純粋な試合って感じで、あそこまで思いつめたものはなかったでしょう。
2000年12月17日 東京ベイNKホール 修斗
修斗 R.E.A.D. チャンピオンへの道。宇野薫と佐藤ルミナがやるというので、観に行った。
結果は宇野が勝って、試合後に突如「自分のなかではルミナさんが一番でした」とか言って、ベルトを返上してしまった。
ほかの試合では、三島☆ド根性ノ助が面白かったっす。
2000年12月23日 埼玉スーパーアリーナ PRIDE
PRIDE12。夏に石沢をKOしたハイアン・グレイシーが出てきて桜庭とやるっていうんで行ったんだけど、直前に怪我をしたらしくて、むりやり試合して負けてました。
試合前にヘンゾだったかな、何かマイクアピールしたんだけど、通訳が全然ちがうこと(なんか台本があったんでしょ)言って、むりやり対決ムードをあおってましたけど。
エンセン井上が、TKO負けしたんだけど、「戦えるのに、止めるのはおかしくないか」って抗議してました。結局これで引退しましたが。
2001年9月24日 大阪城ホール PRIDE
PRIDE16っす、この年から滋賀に住んでたんで、なかなか機会も減ったんだけど、大阪にきたときに観に行きました。
ノゲイラがマーク・コールマンに一本勝ち。下から腕をとって極めました。関節技ファンとしては、大満足です。
アイブルとか出てきてて、リングスからだいぶ引き抜きが激しくなってきたころ。そういえば、パンクラスからセーム・シュルトも来たなー。
2002年8月28日 国立競技場 Dynamite!
当時滋賀に住んでたんだけど、行きました、国立競技場。雨だったら中止で翌日は行けなかったんで、晴れてよかった。
K-1とPRIDEとアントニオ猪木という、いま考えるとよくわかんないプロデュースなんだが、対抗戦初期の当時は面白くできてました。
猪木がスカイダイビングで空から下りてくるとかいう、何でそんなことをってイベントもあったんだけど、試合はけっこうよかったっす。
ボブ・サップ対ノゲイラは、スタミナの切れたとこを仕留めて、ノゲイラファンの私としてはかなりスッとしたんだけど、桜庭がミルコを退治してくれると思ったのに負けてしまったのは残念です。(契約体重がきつくてミルコ側もいらついてたらしいが。)
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2003年6月8日 横浜アリーナ PRIDE
PRIDE26。藤田対ヒョードル戦が見たくて行った。藤田を応援してたんだが、当然のようにヒョードル勝ち。
あとミルコ・クロコップがここから本格参戦ですね。当時ヒョードル、ノゲイラの次くらいに位置していると思われたヒース・ヒーリングに勝ち。
2003年11月9日 東京ドーム PRIDE
PRIDE GP 2003(ミドル級)の準決勝・決勝。
っていうか、アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ対ミルコ・クロコップが観たくて行った。
打撃より関節ずきな私は、ノゲイラファン。2ラウンドで腕をとって一本とったときは、かなり気持ちよかった。ほんとスーッとした、会場はミルコファンのほうが多かったみたいですけど。けっこう苦戦したんだけど、1ラウンドの途中から間合いを詰めたのが勝因ですね。
グランプリはヴァンダレイが優勝。
高田が、猪木のことを「去る者は追わず」と言って、フジテレビがうじうじ言ってるけど大晦日にやるぞ、と宣言。
2003年12月31日 埼玉スーパーアリーナ PRIDE
男祭り2003。いまプログラムを見たら、12月17日現在で決まって印刷されてる試合は3試合しかない。11月に高田がやると宣言したのに意気を感じて、それだけで観に行ったようなもんですな。
吉田対ホイスは、判定決着なしってルールだったんでドローだったけど、内容はホイスの勝ち。
2004年2月15日 横浜アリーナ PRIDE
武士道の其の弐ですな。武士道シリーズの意味はよくわかんなかったんだけど、ヴァンダレイ・シウバとかが出るっていうのと、桜井マッハ速人がグレイシーとやるっていうんで観に行った。日本対シュートボクセ3対3って企画でした。五味を発見できたのが収穫かな。
2004年5月23日 横浜アリーナ PRIDE
武士道の其の参。日本対グレイシー3対3っていうんで観に行った。
もしかしたら、チケット勝ったときには、ヴァンダレイ・シウバ対近藤有己戦があったのかもしれないけど、シウバの負傷で実現しなかった。
五味の秒殺KO勝ちがよかったっす。
横浜アリーナって観やすくて会場としては結構好きです。
2004年12月31日 埼玉スーパーアリーナ PRIDE
夏にノーコンテストになったヒョードル対ノゲイラ戦をやるっていうんで、前年とは違って早くから観戦を決めてました。
ノゲイラを応援してたんだけど、ヒョードルが押して判定勝ち。ほんと、ヒョードルは試合を支配するのがうまい。
ヴァンダレイ・シウバが、体重の違いすぎるマーク・ハントとやって、初黒星。ちょっとシラけました。
KOタイムの一番速かった勝者に賞金だすみたいな企画があったんだけど、一試合目で美濃輪が秒殺して決まっちゃった。このころから美濃輪はキャラが立ってきた気がする。
あろ、五味がKO勝ちして、「判定?だめだよ、KOぢゃなきゃ」って言ったのはカッコよかったっす。
2005年8月28日 埼玉スーパーアリーナ PRIDE
PRIDE GP 2005(ミドル級)の準決勝・決勝。
っていうか、ヒョードル・ミルコ戦がついに実現したんで行った。
私はミルコが好きぢゃないんで、当然ヒョードルを応援してたんですが、見事完封勝ちでしたね。半歩前に出て間合いを詰めて、打撃を封じました。ほんと、そのへんの戦い方はうまいです。
ミドル級のほうは、ヴァンダレイがヒカルド・アローナに準決勝で負けちゃって。桜庭に勝ったころのヴァンダレイはヒールっぽかったんだけど、このころはもう日本人にも好かれてたんで、会場かなりガッカリ感ありました。アローナのファイトはいまいちスッとしないしね。でも、決勝ではマウリシオ・ショーグンがKO勝ちして盛り上がりましたけど。
2005年12月31日 埼玉スーパーアリーナ PRIDE
恒例になってる男祭り。小川直也対吉田を観に行った。
小川を応援してたんだけど(どうして私はいつも会場のなかで劣勢の側にまわってしまうのか)、負けてしまいました。
あとは柔術の菊田が、柔道の瀧本に勝ったのは、なかなかよかったですねー。
2006年12月31日 埼玉スーパーアリーナ PRIDE
男祭りですが、この年から私は札幌に引っ越してたんで、年末年始の帰省のタイミングで観に行ったってことになる。家でのんびりしてようかと思ったんだけど、フジテレビが降りたってこともあって、やっぱ会場まで観に行くっきゃないなって結論に達した。
ヒョードルもノゲイラも出てたんだけど、無差別級グランプリのあとのせいか、なんかワクワクしなかったような気がする。移籍とか引き抜きのグタグタにちょっと嫌気さしてきてきたのかもしれないけど。
そんななかで、青木真也みたいに新たな魅力あるファイターも発見できたのは収穫。
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