小林恭二 1995年 朝日新聞社
1993年から1995年まで朝日新聞の夕刊に週一連載していたものの単行本らしい。らしいというのは、私が新聞では読んでなかったから(そのころ朝日読んでたかもしれないのに)。
冒頭に必ず自作の句をひとつ掲載したうえでのエッセイ(?)である。
『俳句という愉しみ』の句会も同時期にあり、そこで自分は俳句を詠まずに、あとで本を作るときに評をしていると、俳人たちに非難されていたが、この本でもそのことは触れられている。
各章とも、俳句づくりに苦労しており、創作の悪戦苦闘ぶりを自ら語っているところが面白いのである。
連載中には、アサヒネットに俳句を投稿するネット句会の会議室を作成し、そこでの句会での激闘ぶりも実況しているが、「妖怪しばり」=一句のなかに必ず妖怪を登場させること、などの珍ルールは遊んでいて楽しそうである。
そんななかで、猫鮫(著者の俳号)流俳句のつくりかたとして、思いつく限りの言葉の組み合わせを並べて試行錯誤し、アタマが朦朧となったとこでエイッと投稿するという技が披露されているんだが、それはやっぱりセンスのある人だからできることなんだろうと思う。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/0a/a8d9a23b471a2af86f0c8f6aa8d5e0d4.jpg)
1993年から1995年まで朝日新聞の夕刊に週一連載していたものの単行本らしい。らしいというのは、私が新聞では読んでなかったから(そのころ朝日読んでたかもしれないのに)。
冒頭に必ず自作の句をひとつ掲載したうえでのエッセイ(?)である。
『俳句という愉しみ』の句会も同時期にあり、そこで自分は俳句を詠まずに、あとで本を作るときに評をしていると、俳人たちに非難されていたが、この本でもそのことは触れられている。
各章とも、俳句づくりに苦労しており、創作の悪戦苦闘ぶりを自ら語っているところが面白いのである。
連載中には、アサヒネットに俳句を投稿するネット句会の会議室を作成し、そこでの句会での激闘ぶりも実況しているが、「妖怪しばり」=一句のなかに必ず妖怪を登場させること、などの珍ルールは遊んでいて楽しそうである。
そんななかで、猫鮫(著者の俳号)流俳句のつくりかたとして、思いつく限りの言葉の組み合わせを並べて試行錯誤し、アタマが朦朧となったとこでエイッと投稿するという技が披露されているんだが、それはやっぱりセンスのある人だからできることなんだろうと思う。
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