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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

大岡信の日本語相談

2018-04-15 18:13:14 | 読んだ本
大岡信 1995年 朝日文芸文庫版
もうひとつ日本語相談。
こっちのほうが丸谷才一のよりちょっとだけ早く手に入れた、今年に入ってからだけど、古本屋で。
冒頭に、週刊朝日の連載は1986年から1992年だと書いてあった。五冊の単行本から、回答者別に再編したのが、この文庫ということらしい。
著者は詩歌に詳しいので、回答のあちこちに歌の例などひかれていることが多いのが特徴のように思えた。
『「陛下」など尊称になぜがつく?」とか、『「耳をそろえて」の耳って何ですか」とか、一般常識の勉強にもなる。
『なぜないの?「今日は」の丁寧語』とか、『「おめでとう!」に過去形はない』とか、そういうのはけっこう好きである。
しかし、とりあえずさらっと一回読んだなかで、いちばん興味深かったのは「欧米人の身振りの大きいわけは?」にとどめさす。
質問者は、英語には日本語の「よ」とか「ね」とか「わ」とかの終助詞がないから、感情を表現する記号がないんで、身振りがその役割をしてる、っていう親の説明に納得してないんだが。
大岡さんの回答は、やはり終助詞の有無などではなく、「もっと大きな文構造全体の問題と深く関わっているのではないでしょうか(p.122)」という俄然アカデミックなもの。
“Her eyes were filled with tears.”とか、“He gestured for me to be quiet.”とかって例文を出して、文章自体が、「涙いっぱい」という状態や、「静かにしろ」って合図の様子を、身振りで示すことができるような終わり方をしているから、ジェスチュアが呼び起されるんだという。
それに対して、日本語では、「彼女は目に涙をいっぱい溜めていた」というように文章そのものが描写ぢゃなく「説明」になっているから身振りで表現するのに合わないし、「彼は身振りで『静かに』という合図をした」というように、「彼の合図」はすでに過ぎ去ったものとして回想される位置にあるので、身振りがつかないんだという。英語は文が過去形でも、最後にくるのが形容詞だから、そこに身振りつけて強調することができると。
日本語は基本的に文末に述語がくるんで、文末を多彩な目的語や補語で盛り上げる英語とかとはちかい、「いわばゆるやかに文全体が円環を閉じてゆくような印象を与える」んで、身振りが伴いにくいんだそうだ。
うーむ、言葉ってでかい存在だあ。
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丸谷才一の日本語相談

2018-04-14 18:16:54 | 丸谷才一
丸谷才一 1995年 朝日文芸文庫版
ちょっと前に、気になって、中古で買った文庫。
「日本語相談」というのは、週刊朝日で、読者からの質問に四人の執筆者が答えるというコーナーがあったそうで。
今もあるのか知らないけど、こういうのはおもしろいし、ためになるので、ぜひどこかで誰かが続けてほしいものだ。
読者からの質問というのは、たとえば、「黄色以外の声の色は?」とか、「『ど根性』『ど真ん中』のドは何か?」とか、「入試や芝居はなぜ『水もの』なのか」とか、もちろん日本語に関するもの。
ふるくからの言い回しに関してもあるし、最近の言葉づかいは乱れてないかみたいなのもあるし、これはネタだろみたいなのもあるようにみえる。
私が期待してたのは、べつのエッセイにちょっと触れられていた、「士」と「師」の違いは何か、だったんだけど、それへの答えは収録されてなかった。
全67編の質問と回答が載っているんだけど、一読したなかでいちばんおもしろい日本語論だと思ったのは、どうして現代短歌には枕詞が使われないのかというもの。
万葉から平安王朝といった古い時代の和歌は、呪術と社交という性格をもっていたけど、明治に正岡子規が革命を起こした結果、西洋文学ふうの詩のような短歌がつくられるようになり、三十一音は同じだけど中味はまったくちがうものになった、そのとき枕詞は捨てられたんだという。
うーむ。文学史はこういうことを教えるべきだよね。
ちょっと前に島田雅彦の文学史を読んだときに、政治家とか官僚とかの言葉の使いようが悪いって批判があったんだけど、時代は違えどやっぱ同じように作家からみると、そういう政治の世界の言葉はおかしいって映ってたようで、
>わたしが言ひたいのは、婉曲法が悪いといふことではない。お互ひに意味がよくわかつてゐるのではない婉曲法はいけない、と言つてゐるのです。(p.197「お互いに満足しない「痛惜の念」」)
なんて指摘があちこちにある。
この言い方はおかしいみたいな読者の投稿に対して、賛成するときは、あなたの言語感覚は正しい、といったような答え方をする。
そして、言語感覚をよくするには、すぐれた文学作品を読めとすすめる。
>普通、文学の効用は、おもしろい話を聞かせてもらふとか、為になる知識を得るとか、そんな方面だけが強調されてゐますが、言葉の最高の使ひ方を見物するといふ楽しさもあるのです。(p.31「「魚でいい」のと「魚がいい」」)
みたいなこと言われると、やっぱ島田雅彦の書いてたこと思い出して、文学は実用的な人文科学なんだと意を強くする。
あと、巻末にほかの回答者である井上ひさし、大岡信、大野晋との座談会が収録されて、主たるテーマは恋と和歌のはずなんだけど、なかで丸谷才一が、
>昔の日本人と接触した中国人は、日本人の頑固さにあきれていたと思うんです。中国文化を少しは受け入れていながら、まったく中国文化の大事なところは受け入れていない。何という野蛮、頑固、わがままな国民であろうかとあきれはてる。そのあきれ方は、いまアメリカ人が日本人に対してあきれているのとおなじくらい、あるいはそれ以上だったのじゃないでしょうか。
って言ってるところがあって、どうでもいいけど、これに関しては、ホリイ氏の『愛と狂瀾のメリークリスマス』で、日本人は西洋文化を理解して受け入れたふりをするけど本質的なものは持ちこませようとはしない、ってのを読んだ後だったってこともあって、やっぱずーっとそうだったんだと思った次第。
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エホバの顔を避けて

2018-04-08 18:09:11 | 丸谷才一
丸谷才一 昭和53年 中公文庫版
去年の秋に古本屋で買った文庫、最近ようやく読んだ。
ようやく読んだという意味ぢゃあ、昭和35年刊行のこの小説、著者の最初の長編で、愛読者を気取るんだったら(べつにそんな気はないが)、とっくに手をつけてなきゃいけなかったところ、なんか気が向かないで存在知ってたのに、ずっと放っておいた。
だって、なんかヘンなんだもん、主人公は日本人ぢゃなくて、大昔のアルバの町の靴職人のヨナという男。
小説のタイトルにエホバってあるのでもわかるんだけど、ヨナって、あれでしょ、旧約聖書に出てくるひと。
そっち方面の知識はないから、なにが題材で、どこからがこの小説ならではなのかもわかんないけど、大いなる魚に呑みこまれるってのは、聞いたことがあるね、ピノキオぢゃなくて、ヨナという人物について。
とにかく何だかわかんないけど、神のお告げのようなもの、望んでもないのに聞くはめになってしまい、ニネベって街に行って、この街の悪に神が怒って、あと40日で街は滅びるって言うのがミッションになる。
ヒゲが伸びたのは予言者っぽいけど、着てるものはボロボロだし、当然誰にも相手にされない、場合によっては迫害される。
三日くらいであきらめようとしたとこへ、ひょんなことから知りあった男が味方になってくれる。
素直に神を信じてる様子でもないし、なんか策略がありそうなんだけど、そいつと組んで街で説教をしてまわると、だんだん聴衆が言うことに耳を傾けてくる。
街から抜け出そうとした者が殺されていたとかってウワサもたち、十二万人ものひとびとは逃げ出すこともできず、食糧も高騰してきて殺伐とした街にとどまるしかない。
ヨナと相棒は、街角だけぢゃなくて、大きなお屋敷に行ったり、大臣のとこ行って、最後は王のところにまで行って、街の滅亡を説く。
そして40日目がやってくる、街のひとたちはすべて広場に朝から集まってんだけど、はたして日が暮れるまでにニネベの亡びは本当に訪れるのか。
うーん、私の好きではない一神教だからってわけだけでもないが、なんかいまひとつ著者らしいおもしろさがなくて、いまひとついいとは思えなかった。
どうでもいいけど、かな表記はこてこての歴史的仮名づかい、慣れないとリズムに乗りにくいかも、「じふぶん」が「十分」だって頭のなかで変換されるまで、ちょっと時間がかかっちゃったりするから。


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やせれば美人

2018-04-07 19:13:10 | 読んだ本
高橋秀実 平成20年 新潮文庫版
こないだ読んだ『はい、泳げません』と同じころ、やっぱ中古で買った文庫。
泳げませんのほうは、著者本人のスイミングスクール通いだったけど、こっちは奥さんのダイエットについて、いやー身を切ってネタを提供ですかー、果敢ですねえ。
奥さんは、結婚してからの10年で30キロ太り、158センチで80キロだという。
ある日、過呼吸かなんかで救急車呼ぶ騒ぎになって、病院に行って、特に異常はないんだけど、やっぱもうすこし体重落としたほうがいいんではないかと気づくとこから始まる。
でも、ダメだな、私には、この本はそれほど楽しく読めない。
『はい、泳げません』のほうは何か理屈ばっか言って泳ごうとしない男にイライラしたけど、これは何だかんだいってダイエットなんかしようとしない主人公の立て方なので、やっぱイラつく。
ダイエットとか、男の場合だと筋トレによる肉体改造とか、やるかやんないかだからねえ、やらないで方法論のまわりをクルクル回っててもしかたない。
でも、この奥さんのキャラ設定は、ある意味徹底的だ。
>「私は努力しないので、やせたいのよ」(略)
>「何もしないで、しあわせになりたいのよ」(略)
>「努力には“美”がない」(略)
>「努力せずに得てこそ、しあわせなのよ」(略)(p.35)
と、これってあれだ、典型的な女性原理、ディズニーの目指してるところだ。さらに、
>じゃあ、どういうダイエットなら、やってみたい?(略)
>「朝、目が覚めたらやせてた、っていうやつ」(p.36-37)
と来たもんだから、やっぱ、ありのままにしてたら、いつか王子さまがっていう、ディズニー的女性の価値観そのもの。
でも、まあ、本人はともかく、例によって著者はいろんな実体験をもつひとたちにインタビューしたりして、そのなかで特に目標達成したり成功したりしたひとの話なんかはおもしろい。
>自分を信じれる人はやせたがったりしません。自分のない人、自信のない人がダイエットに走るんです(p.111)
という意見なんかはいいねえと思う、ちなみに、これ、ダイエットに走る人を批判してんぢゃなくて、「ダイエットはライフワーク」とまで言い切って過激なダイエットをやらずにはいられないひとのセリフ、こういうひとが登場するからヒデミネさんの本はおもしろい。
あと、著者は山ほどあるダイエットの体験談広告なんかも数多くあたってみて、その結果として、
>体験者たちは、ダイエット法と必ず「偶然」出会う。(略)
>私の見る限り、「このダイエットは効果があると信じて一生懸命取り組んだら、本当にやせた」という気合いのこもった例はほとんどなく、みんな「たまたま」出会い、その結果に「びっくり」するのだ。(p.45)
というパターンに行き当たって、やや憤慨まで感じる。
でも、そこで女性誌の編集者に取材しに行くと、
>女性たちはこれらを読んで疑似体験するんです。自分もこうなれるんじゃないかしらとか、自分がこうなったらどうかしらとか。要するに“夢”を見るんです(略)
>ダイエット記事とはそのためにあるんです(p.47)
と、またしても努力なんかしない、みずから変身しようなんてこと企てない、ありのままでいると、ある日プリンセスになれる、ってディズニー的女性原理が登場するんである、これにはホント勝てない。
章立ては以下のとおり。第5章の「9、11、13」には、女性の服のサイズがなぜ奇数なのか、という話があって勉強になった。
Diet00 やせれば美人
Diet01 心臓バクバク
Diet02 デビュー前、デビュー後
Diet03 ダイエットが降ってくる 
Diet04 信ずる者は救われる
Diet05 9、11、13
Diet06 エネルギーの温存
Diet07 食神の星回り
Diet08 体重計、壊れる
Diet09 同窓会に向かって走れ! 
Diet10 ナルシストの暗示
Diet11 太る血液
Diet12 もう、食べたくありません
Final Diet 見えないダイエット
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きっとあの人は眠っているんだよ

2018-04-01 18:20:26 | 穂村弘
穂村弘 2017年 河出書房新社
年明けに、こないだ読んだ『これから泳ぎにいきませんか』といっしょに買ったやつ。
同時刊行とやらだが、そう言われると、片っぽだけ買うのは手落ちな気がしてしまうので。
こっちのサブタイトルは「穂村弘の読書日記」、書評よりはちょっとくだけた感じか。
巻末初出をみれば、2010年から2011年に「週刊現代」に連載したものと、2013年から2017年に「週刊文春」に連載したもの、後者はホントに文中の区切りに「×月×日」って入れてる日記のかたち。
なかみは、短歌はもちろんだけど、マンガあり、ミステリーを多く含む小説ありで、いろいろ。
古いものもあり、新しいものもある、読んだことあるけどまた読んでみたみたいなのもある。
よく古本屋に行くらしい、いいなあ、古本屋の多い街に住みたい。私の生活圏内では、年々減ってってる。
ひとに薦められて読むことも多いみたい、「好きそうだよ」とか言われて、読んでみたらもちろん気に入ったようで。
そのなかで気になったひとつが、『オーブランの少女』ってミステリー。深い謎がありそう、見つけたら読んでみよう。
『宝石の国』ってマンガも気になってしまった。
>(略)とうとう読んだ。既刊の三巻分を一気にまとめ読み。ほっとした。これで自分も『宝石の国』を読んだ人の仲間入りだ。(p.150「本のおかず」)
って感じで書かれちゃうと、仲間入りしてみたくなる。
『翻訳できない世界のことば』ってのも気になる。
フィンランド語の「PORONKUSEMA(ポロンクセマ)」というのは「トナカイが休憩なしで、疲れず移動できる距離」って意味で、他言語ではニュアンスが説明できない。
うーむ、冷静に考えると、そういうものを集めて一冊の本にまとめられるひとというのは、どんな能力の持ち主なんだろう。
ところで、タイトルの「きっとあの人は眠っているんだよ」は、『新車の中の女』というミステリーのなかで、小さな子供が言うセリフらしい。
なんとも謎めいてていい、「私の大好きな作品だ」って言ってるんで、これまた読んでみたくなる。
そんなふうに著者のことを私が信用するのは、たとえば本書のなかにも、
>喫茶店や電車の中で、それを読んでいる人を見かけたら好感を持つ本は何か。そんな話をしたことがある。私が思いついた答は「諸星大二郎の本」だった。(p.215「「ダーク」の教え」)
みたいな、私にとってうれしいフレーズを書いてくれたりするからで。
べつに好感持ってもらいたいとまでは思わないけど。
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