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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

予想どおりに不合理

2022-06-10 18:45:14 | 読んだ本

ダン・アリエリー/熊谷淳子訳 二〇一三年 ハヤカワ・ノンフィクション文庫版
副題は『行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」』。
先月に入ってからだったか中古の文庫を買って、わりとすぐ読んでみた。
気になったきっかけは、ユヴァル・ノア・ハラリの『21 Lessons』を読んだときに、近年人間の意思決定の研究が進んだとして、「私たちの選択はすべて、謎めいた自由意志ではなく、一瞬のうちに確率を計算する何十億ものニューロンによってなされることが判明した。自慢の「人間の直感」も、実際には「パターン認識」にすぎなかったのだ」(『21 Lessons』p.52)って指摘してる箇所の註に書名があがっていたからぢゃないかと思う。
原題「PREDICTABLY IRRATIONAL  The Hidden Forces Shape Our Decisions」は2008年の出版だというが、全然知らなかったな私は。
行動経済学ってのも聞いたことなかったんだけど、ふつうの経済学は計算をちゃんとできる人間を前提にして、なんかするときにそれにかかるコストとそれから得られる利益とを比べて、それが最善の結果になるのを選ぶもんだ、ってことを基準にしてるんだろうが、行動経済学は、いやいや人間ってのはそんな数式のような合理的なもんだけぢゃない要素も判断に影響して行動するんだよ、って立場らしい。
ぢゃあデタラメというかランダムに行動するのかっていうと、そうでもない、ふつうの経済学からしたら不合理なんだけど、実験とかしてみればそこにパターンはあるんだから、予想できるものである、「予想どおりに不合理」なんだという。
たとえば、って実験の例がいくつもあって、おもしろい。
雑誌の定期購読の広告の例、ある雑誌を1年間購読するのに、3つの選択肢あるとする、「A.ウェブ版を1年間購読(過去記事アクセス権あり):59ドル」、「B.印刷版を1年間購読:125ドル」、「C.印刷版を1年間購読+過去記事オンラインアクセス権あるセット購読:125ドル」、どれを選びますか。
学生の100人の選択した結果は、Aが16人、Bがゼロ、Cが84人、まあ、そうだ、BとCで値段同じならBは選ばない。
次に、その広告からB案を外して、二者択一で選ばせる、すなわち「A.ウェブ版(過去記事アクセスあり):59ドル」、「C.印刷版+過去記事ウェブアクセスのセット:125ドル」のいずれか。
すると、学生100人の結果は、Aが68人、Cが32人、安いウェブ版のみでよくて印刷版は要らないってことか。
こういう意見の変わりようは合理的なもんぢゃないよねっていう、最初の三択では料金とか印刷版のよさとかぢゃなくて、「おとり」の選択肢があったから、おトクそうにみえるセットの125ドルを選んだんでしょと。
だから、売る側は最初から125ドルのセットを売りたかったら、おとり広告を提示して、それを選ばせればいいということになる。
似たような例としては、寿司屋だとか鰻屋で「松・竹・梅」のメニュー出すなら、いちばん利益率の高いのを「竹」に設定しておけば、たいがい客は真ん中を選ぶっていうのもある。
べつの実験では、二種類のチョコレートのサービス価格での販売で、とにかく「無料!」の強さを研究している。
一種類のチョコレートはわりと高級でホントは一個30セントが相場のものを用意する、もう一種類はどこにでもある普通の小粒のチョコレート。
で、最初は、高級なほうを一個15セント、普通のほうを一個1セントにして、どっちか一個を選ばせる、結果として値段と品質をみんな考えたせいなのか、高級なほう73%、普通のほう27%という売れ行きになる。
次に、高級なほうを一個14セント、普通のほうを「無料!」で提供という条件で並べる、品質の差はさっきまでと同じ、値段の差もさっきまでと同じなのに、結果は高級なほう31%、普通のほう69%という結果になった、みんな値段と味で合理的に選んでんぢゃないんぢゃないのという。
まあ、おとりの広告の力とか、コストってのは相対的な差よりか何も失わないってのが最も評価されるとか、そういうのはいいとして、社会規範と市場規範の話が大事なんぢゃないかと思った。
たとえば、親戚なり友人の家にお客として呼ばれた、すごいご馳走をふるまわれた、そこで「いくら払えばいいですか?」などと言いだすと、人間関係はものすごくおかしくなる、みたいなこと。
>それはわたしたちがふたつの異なる世界――社会規範が優勢な世界と、市場規範が規則をつくる世界――に同時に生きているからだ。社会規範には、友だち同士の頼みごとが含まれる。(略)たいていほのぼのとしている。(略)
>ふたつめの世界、市場規範に支配された世界はまったくちがう。(略)賃金、価格、賃貸料、利息、費用便益など、やりとりはシビアだ。(略)市場規範のなかにいるときは、支払った分に見合うものが手にはいる。そういうものだ。
>社会規範と市場規範をべつべつの路線に隔てておけば、人生はかなり順調にいく。(p.122-123)
こういうのも実験してみればわかることで、ちょっとしたことを手伝ってもらうのに、人の好意に期待してお願いしてみると協力してくれる人はけっこういるが、カネを出すから手伝ってくれと声をかけると断られることが多いとか、人間がみんな合理的な経済の人だったらカネもらえるほうがやるはずでしょと。
人情は大事だ。んなことは旧い気質の日本人のほうがわかってそうな気もするが。
ほかに面白いのは、期待とか予測とかが評価に影響を及ぼすって話なんだけど、「ワシントン・ポスト」が仕掛けた実験で、世界的バイオリン奏者に朝のワシントンDCの地下鉄の駅でストリートミュージシャンのふりをさせて一時間くらい演奏させた。
通りがかった地下鉄利用客1097人中、27人しかお金を入れなくて、32ドルしか稼げなかった、立ち止まって1分以上聴いていたひとは全体の0.5%の7人だった。
後日著者がバイオリン奏者にインタビューすると、「音楽を経験するのに期待が重要な役割を果たす、クラシックを鑑賞するにはふさわしい環境が必要」みたいに答えたという。
おまけとして、逆にベルリン・フィルのなかに二流の演奏者を混ぜておいたら、聴衆は気づいて演奏の質に落胆するだろうかと問うと、「その場合、期待が経験に勝るでしょうね」(p.311)と答えたというのは、なかなかつらいことを認めてるってことか。
あと、独自性欲求の話もおもしろい、4種類のビールのメニューを用意して、4人の客のテーブルに持っていく、それぞれ注文したいビール一つを同時に紙に書いて提出してもらう形式と、順番にひとりっつどれにするか聞いていく形式とでは、後者のほうが注文されるビールの種類が増えるという、つまり前の人が言ったビールを外して注文する人が多い。
>要するに、独自性を表現することに関心のある人ほど、テーブルでまだだれも頼んでいないアルコール飲料を選んで、自分がほんとうに個性的だと示そうとする傾向が強いということだ。
>この結果は、人がときとして、他人になんらかの印象を与えるために、消費行動から得られる快楽を犠牲にすることを示している。人が食べ物や飲み物を注文する場合、目標はふたつあるようだ。自分がもっとも楽しめるものを注文することと、仲間に好感を持たれるように自分を表現することだ。(略)つまり、人々、とくに独自性への欲求が強い人たちは、評判という効用を得るために、個人の効用を犠牲にすることがある。(p.433)
ということで、一応それなりの効用に従って選択してるから合理的なのかもしれないけど、コストと利益っていっても人間は単純ぢゃないのねってわかる。
うーん、私だったらどうかなー、自分さえよければいい人間だから、ほかの人と違うものわざわざ選んで、気に入らないもの飲むはめになるようなリスクはおかさないような気がするなー。
あー、でも女性とのデザートでの場だったら、ちがうもの頼んどいて、「私のも食べていいよ」と差し出すかもしれないな、なに、あまり合理的とはいえない? 好きにさせてくれ、そんなこたぁ。
閑話休題。
あと、気になったのは、
>世界を見まわすと、たいていの不正行為は現金から一歩離れたところでおこなわれている。企業は会計で不正をするし、企業の役員は過去の日づけに改ざんしたストックオプションを使って不正行為をする。(略)不正行為は、現金から一歩離れたときにやりやすくなる。(p.407)
って指摘。
学生寮の共用冷蔵庫に、缶コーラの6本パックを入れておくと72時間以内になくなってしまった、誰かが持ってっちゃったのだ、だけど6枚の一ドル札を載せた皿を入れておいても紙幣はなくならなかった、みんな現金には手を出しづらいのだ。
もっと深刻そうなのは、テストの結果によって報酬がもらえる実験をする、ただし成績は自己申告制なので、ごまかして多めに報酬がもらえるという状況下において、現金を受け取るという設定だと過大な申告はそれほどないんだけど、報酬の引換券っていうものをかます設定だと実際より良い点数で申告するやつが出てくる、「不正行為は、現金から一歩離れたときにやりやすくなる」。
ひとからカネを獲ろうというときだって、「婆さんカネ出しな」って言って財布とかから現金抜き取るよりも、「ATMでこうやって操作してくださいね」って電話で指示するほうがやりやすい、心が痛まないっつーか、不正行為してる意識が軽減されてるのか、ってあたりまで、この研究結果は説明及んでくると思う、ヤな生き物だね人間は、っていうかカネがダメにするのか。
1章 相対性の真相
2章 需要と供給の誤謬
3章 ゼロコストのコスト
4章 社会規範のコスト
5章 無料のクッキーの力
6章 性的興奮の影響
7章 先延ばしの問題と自制心
8章 高価な所有意識
9章 扉をあけておく
10章 予測の効果
11章 価格の力
12章 不振の輪
13章 わたしたちの品性について その1
14章 わたしたちの品性について その2
15章 ビールと無料のランチ

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決断力

2022-06-07 18:42:21 | 読んだ本

羽生善治 二〇〇五年 角川oneテーマ21新書
あー、やっと見つけた、これ、やっぱ売ったりせずに仕舞ってあったか、って感じが私としてはする新書。
谷川十七世名人の『構想力』なんかよりは先に読んだはずなんだけど、ウチのなかで行方不明になってた。
今みたら初版だった、二〇〇〇年代の私って意外と新書を読んでたりしたんだなと最近思う。
(それで、いろいろ読んではみたが、あまりたいしたことは書いてないなと思って、その後あまり手を出さなくなった可能性はある。)
当時は忙しかったはずだから、移動の合間に軽いものをと読んでたのかな、これなんてブックカバーが「KIOSK」のだし。
長年放っておいたのは、最初に読んだときの印象があまりなくて、読み返そうという気にはならなかったからだろう。
なんか刺さるものがないんだよね、専門誌のインタビューとかのほうがよっぽどおもしろい気がする。
そうなんだよな、羽生さんのそれまでの発言とか何も知らないひとが読んだら興味もつのかもしれないけど、将棋の世界に親しんできた身だと、あらためて本にしたと言われても、いまさらですか感のようなもの感じてしまう。
もちろん、将棋の話、経験とか勝負にのぞむ考え方とか、升田、大山、米長、谷川といった棋士の話とか、そういうのが主成分なんだけど。
ところどころでねえ、
>将棋だけに限らない。ビジネスや、広く人間関係においても、気持ちの差は大きいのではないだろうか。(略)日頃から実力を磨き、周りからの信用を勝ち取ることは、物事を推し進めるために大切なことだと考えている。(p.48)
とか、
>もちろん、人間は将棋の駒とは違う。しかし、戦略がなければ、企業も将棋も時代の進歩に取り残される点では同じであろう。(p.86)
とか、
>(略)そういう研究や勉強をしない棋士はいない。毎日毎日、情報を集め、研究し、分析して最新の形に精通することに努力するようになった。
>経営者が、毎日「日本経済新聞」を読んで、紙面から「何か役立つことはないだろうか」「新しいヒントになる記事はないだろうか」と隈なく調べるのと非常に似ている。(p.132)
とかって調子で、「はい、サラリーマンのみなさん、将棋の第一人者が、ビジネスにも通ずることを書いてくれたので読みなさーい」みたいな編集・販売側の意図が透けて見えちゃうとこが、気になってしかたない、羽生さん、そんなこじつけはしなくていいから、将棋に特化したこと語ってくださいって、こっちは言いたくなっちゃう。
ちなみに、将棋に勝つためには情報も集中力もといろいろあるんだけど、本書のタイトルは、
>「将棋を指すうえで、一番の決め手になるのは何か?」
>と問われれば、私は、「決断力」と答えるであろう。
>私は、いつも、決断することは本当に難しいと思っている。直感によって指し手を思い浮かべることや、検証のための読みの力も大切であるが、対局中は決断の連続である。その決断力の一つ一つが勝負を決するのである。(p.56)
って一節があるんで、そこらへんからとられたんぢゃないかと思う。
でもねえ、実際の対局で羽生さんが選ぶ指し手って、難しい場面をさらに複雑化させるようなのが目立つんだよねえ、なんか年々その傾向がつよくなってる気さえする。
なんか、こうやるのが最善で俺の勝ち、みたいな決断くだすんぢゃなくて、相手に手を渡す、あんたなんか指してよ、みたいな手を忙しそうな重大な局面で出してくるのが印象的。
それで、局後に、控室の検討ではこうやれば優勢って意見でしたよ、みたいな取材受けると、「そんな簡単なものではないと思うんですよね」みたいな感想をもらす、たぶん本当にそういう考え方でのぞんでるとしか思えない。
そういやあ、いい勝負が続いていたのに、相手がまちがえて、自分が優勢になると羽生さんがため息をつく、って逸話もあったな。
勝敗わからないギリギリのところで、ずっと最善を尽くすべく考えていたいのに、あんたが間違ったから終わっちゃうぢゃないかよ、みたいに聞こえるため息、羽生さんは無意識だけど、ぢゃあ聞こえるようにやろうかなって冗談でインタビューに答えてたような記憶がある。
第一章 勝機は誰にもある
第二章 直感の七割は正しい
第三章 勝負に生かす「集中力」
第四章 「選ぶ」情報、「捨てる」情報
第五章 才能とは、継続できる情熱である

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江戸バレ句 戀の色直し

2022-06-04 18:31:55 | 読んだ本

渡辺信一郎 二〇〇〇年 集英社新書
ウチのかたすみに長くしまってあった新書をみつけたので、また読み返してみた。
私の持っているのは2004年の3刷だが、例によって当時の自分がなんの目的というか興味をもって、こういうのを読んでたのかはわからない。
バレ句ってのは、「破礼」って書くらしいが、もとは「恋句」といったようで、まあ、よーするに江戸時代の川柳のうちの艶笑句ってやつである。
「蛤は初手赤貝は夜中なり」なんてのは、立川談志家元の落語で聞いたような気もするが、なかなか教養のない現代人の私なんかにはパッと意味がわからないのが多い、そこがいいんだけどね。
本書は特にそういうのの意味を解説するとか、ましてや私のようなものの劣情を挑発しようとかってためのもんぢゃなくて、時代をおって(宝暦・明和・安永・天明とか)、どんな句があるか出典を明らかにしつつ変遷というか流れを調べあげたもの。
たとえば「総句数は5830、そのなかのバレ句数は198句、約3.4%」とかって具合で、私も数えて統計をとるのは嫌いぢゃないが、そこ数えるのかと驚くほどのまじめさである。
当時の川柳の句集ってのは、なにもバレ句だけを集めたもん作ろうとしてたわけぢゃないので、まあいろいろあるなかでのおまけのような位置にバレ句はあったのかもしれない。
句集っていっても大家の作者が詠んだ作品集ってんぢゃなくて、懸賞問題としてひろく募集して何人かの選者が選んだものだったという。
初代川柳というひとが始めたのが宝暦七(1757)年のことらしいが、毎月五日、十五日、二十五日の三回締め切り設定して募集したところ、一回あたりの10日間に二万句が集まったというから大人気イベントだ。
最初のころの募集では、前句という「七・七」の言葉がお題になって、それにくっつける「五・七・五」をつくって応募するんだが、私としてはこの前句のあるやつのほうがおもしろくて好きだ。
たとえば、「好きなことかな好きなことかな」とか、「にぎやかな事にぎやかな事」とかって出題に、まあ普通のおかしさのある川柳をつくればいいんだけど、どこにでもこういうときに色っぽい方向へ物事を考えちゃうやつがいるわけで、それでバレ句が集まっちゃう。
また、川柳というひとは、そこで格調高くないとダメよなんて言わず、「恋のおかしみ」のある作品には高得点を与えるって、イキなとこあったから、その後もそれが伝統になったんぢゃないかと。
コンテンツは以下のとおり。巻末に全句索引がついてるのがいいですね。
零壹 「バレ」の意味について
零貳 川柳作者たちにみる「バレ」の意識
零参 現代人は「バレ」句をどう楽しむか
零肆 川柳評万句合勝句刷の末番句について
零伍 川柳評万句合勝句刷の末番句鑑賞
零陸 五字付け『真似鉄砲』について
零漆 見利評万句合勝句刷の艶句について
零捌 『誹風末摘花』について
零玖 秘稿『最破礼』について
零拾 『誹風神の田艸昌湯樽』の「破礼句一題」について
拾壹 『滑稽発句類題集』の「恋部」の句について
拾貳 『柳の葉末』について
拾参 後期『誹風柳多留』の各篇について(1)
拾肆 後期『誹風柳多留』の各篇について(2)
拾伍 後期『誹風柳多留』の各篇について(3)
拾陸 後期『誹風柳多留』の各篇について(4)
拾漆 後期『誹風柳多留』の各篇について(5)
拾捌 『新編柳多留』の艶句について
拾玖 上方の柳書『狂句梅柳』について
貳拾 幕末の柳書『しげり柳』などについて
貳壹 『誹風可和家内喜』『紅の花』などの「バレ」句絵本について
貳貳 江戸末期の『雑俳吐溜抄』について
貳参 明治初期の『新選狂句川柳五百題』について
貳肆 明治二一年の『新風狂句柳彦生栄』について

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