かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

Back To Black

2025年02月07日 | Music


今朝、無事、アテネからイスタンブール経由で帰国。
スムースなフライトだったが、成田なので、家に着いたのは、お昼ごろ。
いつものことながら、時間かかり過ぎ。

機内で、映画を2本見たが(昔は、大スクリーンに1フライトに2本ぐらいで、ほとんど見たい映画に当たったことがない)、最初は、インディアナ・ジョーンズ最新作。
もちろん既に見ているのだが、今回の旅行で、関連のある展示を見る機会に恵まれたので、もう一度見てみた。

そして、もう1本が、エイミー・ワインハウスのドキュメンタリータッチの映画であるBack To Black。
悲しいけどいい映画だった。
本当は、映画館で見ようと思っていたので、ちょっと申し訳ない?

彼女については、あまり知らなかったのだが、そのジャズへの情熱と、一方で、様々なトラブルに巻き込まれてしまう弱い心を持つ。
わがままな性格から、回りの助言に耳を貸さず、結局27歳の若さで、薬物かアルコールかわからないが、過剰摂取で亡くなってしまった。
その薬物の成果なのかはわからないが、天才的なボーカリストで、グラミー賞を総なめにするが、その時は、アメリカに入国できず、ロンドンからの中継になった。
そして、それが、危ない橋を渡りながらたどり着いた最高地点になった。
本人が、どの程度喜んでいたのか、周囲だけがはしゃいでいたのか。
今となってはわからないが、普通に考えれば、歌手として成功したければ、もっと違うやり方があっただろうと思わざるを得ない。
ただ、そうしていたら、あれほどの感動を与えられたかは、わからない。

20代後半で早逝したミュージシャンは、少なくない。
彼女と一番被るのは、ジャニス・ジョプリンだろうか。

歌う目的と、人生の目的が、嚙み合わず、悲劇を招いてしまった。
悲しいが、素晴らしい歌を残してくれてありがとうという気持ちにもなった。

そういえば、ミュージシャンを描いた映画には、早逝したり、ドラッグに苦しんだりしたミュージシャンを描く場合が多い。
これも、映画を感動的にするためには、やむなしか。
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ディラン初日本公演チラシ

2025年01月29日 | Music
今日は、関西。
冷えている。

森永卓郎さんが、亡くなられたという。
山崎さんに続いて、同世代の経済アナリストの訃報。
覚悟していたとは言え、残念。
そういう歳なのかもしれないが、やはり若すぎる。
ご冥福をお祈りする。



結構珍品チラシをゲット。
ボブディランの初来日公演のチラシ。

私は、3/1公演に行けて、すばらしい体験だったのだが、演奏自体は、バックバンドを従えた歌謡ショーみたいで、イマイチだったような記憶。
ただ、その後、このエポックメイキングなコンサートの音源が、どんどんリリースされて。
直後に出たライブ盤で、当日の音源も入っていたが、最近、当日の音源がすべてアナログ化されて、リリースされた。
そういった意味でも、ラッキーな日に行けた。
私の19歳の誕生日でもあった。
理由はわからないのだが、とにかく我が道を行く昨今のディランのコンサートの中で、まだポピュラー・ミュージックの意識があった時期のステージだったかもしれない。
ビッグバンドを従えてのステージの違和感だったかもしれない。
この写真のイメ―ジとはちょっと違って、化粧もしていて、自分を見失いかけているのではないかとの印象すら受けた。
でも、ヒット曲をたくさん入れたセトリで、今から思うと超貴重な体験だった。



裏面には、なんとKiss。
1回目のコンサートの後、珍しくライブが放送されて(たぶんNHK?)、行けなくて後悔していたタイミングでの再来日だった。
当時は、チケットゲットがたいへんで(今も一部そうだが)、ステージ裏みたいな席だったが、かえってメンバーのステージに飛び出していく姿などが見れて面白かった。
ただ演奏するだけではないコンサートを本格的に始めたのはKISSだったかもしれない。
当時は、当然オリジナルメンバーだった。
武道館の中で、花火を打ち上げたり、1曲のためにドラムがせりあがったり、サプライズの連続だった。

いい時代だったと言えばそれまでだが、今も評価されているところを見ると、その中に普遍的な価値があったに違いない。
いい時代に生きている!!



今日は、陽のある内に、新幹線に乗れた。
日本武尊が、死にかけた伊吹山。



いつもの定点観測。
コメント (2)
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HARAMI Premium Night 2024

2025年01月26日 | Music


今日は、ゴルフ。
富士山が綺麗だが、北風強すぎ。
向かい風だと、どう曲がるか予測がつかない。
ということで、スコアもさっぱり。



遅いスタートだったので、夕方の富士山も。



そして、夜は、初めてのHARAMIちゃん。
テレビでよく見かけるが、本当はどんな感じか見たかった。



花が凄い。
人気の高さを感じる。
ファンサービスも旺盛のようで、入り口から大盛り上がり。
お米さんは、ファンのことで、新米は、新たなファンのことらしい。



どういうご関係か知らないが。



リクエスト受付コーナー。
ステージ後半で、投票の中から10曲、アットランダムに選び、それをつなげて、即興メドレーにする。
普段は、4曲らしいが、今日は、特別サービスで、10曲。
ハイスクールララバイは、知らなかったようで、その場で、ネット配信を聞いて、曲を覚える。
無言は、題名ではわからなかったが、ネット配信を聞いたら、知ってた曲とのこと。
それにしても、結構曲芸技で、手品に近い!



特別メニューの熟成HARAMIビーフ。
味がしまっていて、美味しかった。



完全ソロコンサート。
昭和のヒットソングを、HARAMI編曲で、次々披露。
見事。
もっとポップスっぽくアレンジするのかと思ったら、結構重厚な感じのアレンジも多く、昭和ポップスの質の高さを再認識させられた。
観客も昭和世代が中心で、昭和ノスタルジーをくすぐる選曲も良かった。



セットリストが公開されていた。
Dancing Queen 以下が、アンコール。

モンキーマジックの後に、10曲メドレー。
サウスポー、ハイスクールララバイ、無言、ぎんぎらぎんにさりげなく、プレイバックパート2など、リクエストする方もする方だが、それに応える方も、応える方。
でも、このコーナーが、HARAMIちゃんのコンサートの売りになっているらしい。

ということで、HARAMIちゃんが、実力派ピアニストであることがよくわかった(失礼!)。
ポピュラーソングのピアノコンサートにご興味の方に、お勧め!
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Steve Gadd Band Japan Tour 2025

2025年01月24日 | Music


今日は、昼法事の後、夜はSteve Gadd。
まさに大御所。
もう何度見たか。
でもまた見たくなる。

Steve Gadd(ds)

メンバーは以下だが、ギタリストが、LAの大火で、来日出来ず代役になった。

スティーヴ・ガッド(ドラムス)
Walt Fowler(flh,tp)
ウォルト・ファウラー(フリューゲルホーン、トランペット)
Travis Carlton(b)
トラヴィス・カールトン(ベース)
Mitchel Forman(p,key)
ミッチェル・フォアマン(ピアノ、キーボード)
Duke Gadd(per)
デューク・ガッド(パーカッション)
Toshi Yanagi(g)
トシ・ヤナギ(ギター)

トシ・ヤナギさんは、初めてだったのだが、急遽の代役にも関わらず、違和感なく完遂。
日本人ミュージシャンの層の厚さを感じる。
バンドメンバーも、違和感なく、演奏できたようだった。

席が、前から2番目で、キーボードの目の前で、ミッチェルが、グランド・ピアノを弾く時は、足しか見えない。
逆に、ファウラーのプレイは、ど真ん中。
もう、何度も演奏してきたよ!という感じで、余裕のプレイ。
ボーカルもあったが、どれだけ、会場に聞こえていたか。
息子のDuke がボーカルの曲があったが、まぁ普通だった?

元メンバーのDavid SpinozaのDosen’t She Know Buy Now などを軸に、Jan Hammer GroupのOh, Yeah?、Fish For Dinner、Duke’s Anthem (Walt Fowler song)など、聞いてて楽しい曲が続いた。
ドラマーの一時代を築いたリジェンドのステージを堪能できた。
メリハリがついていて、本当に気持ちいい!!
カリスマドラマーを中心にした腕利きミュージシャン・グループ。
ちょっと音響に難があった場面もあったが(ハウリング?)、満喫した。
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デヴィッド・ボウイ 幻想と素顔の狭間で

2025年01月21日 | Music


今日は、日中、家事に集中し、夕方から映画。
本当に久しぶりのムービル。
かなり古くなって、建て替えが決まっているが、映画館自体は、109が運営していて、綺麗だし、整備もしっかりしている。
シネコン全盛で、苦労は、していると思うが。
近くは、若者の歓楽街で、若い時、飲みにいくのは、いつも近くの五番街だった。
ムービルだけ立て替えてもという感じもするが。



まぁマニアックな映画。
ボウイの、デビューからグラムロック時代までを、ドキュメンタリータッチで、関係者が語る。
特に、最初の奥さんのアンジーの証言が貴重。
ナッシングから、スーパースターになった過程を、当事者として語ってくれる。

元々歌の独創性は際立っていたが、それをどうスーパーにするか。
ジャンルもフォークなのか、ロックなのか。
バンドをどうするのか。
そして、バンドメンバーが登場するが、その楽曲の制作過程が興味深い。
最初のアイデアは、ボウイが持ち込むが、その場で、どんどんアイデアが加わり、でもテイクは、マックス3回という。
当時の流行りとは、違う手法だったが、ラッキーなことにスターダムにのし上がった。

ツアーも、回を重ねる毎に、巨大化。
日本のツアーも、チャレンジングだったそうだが、当時の日本では、大人気ミュジシャンの来日として、大きな話題になっていたと記憶する。
みな、ビートルズの次のスターに飢えていた。
同級生のお姉さんが、仙台から武道館に行って、大感激したという話も聞いた。
それに続くアメリカ公演も、大成功だった。

ところが、ピークに達したところで、ツアーメンバーを突然解雇してしまう。
給料も支払われなかったという。

ボウイだけではなく、ほとんど4人で作り上げてきた世界なのに。
アメリカのドラッグのせいだと言うが、そうなのだろう。
最初の奥さんのアンジーが言うのだから、間違いない。
でなければ、こんな薄情なことができるはずはない。
NYのスター達との派手な交流が報道されたのも、この頃だったと記憶する。



映画は、ここで唐突に終わる。
その先は、まったく別のボウイが、別の世界を作っていくのだが。
私は、幸いなことに、その最終形のボウイを見れた。
早逝したが、その歳に私も近づきつつある。



何故か、ミュージシャン絡みの映画が次々リリースされる。
本コンサートのBDは、ゲットしているのだが、まだ見れていない。
映画が先行しそう?



謎に満ちたディランのドキュメンタリー・タッチの映画も封切り予定という。
ミネソタから、私の住んでいた近くのイリノイ州にしばらくいたとされていたが、どうもニューヨークに直接行ったらしい。
どう映画で描かれているか、興味深々なのだが、行けるかな?

ということで、初期のボウイを、当時の映像と、関係者のインタビューにより、リアルに感じることができた。

ボウイファンは、マスト。
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