かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

テッサロニキ

2025年01月31日 | Europe・Middle East・Africa


今日から、ギリシャ。
イスタンブール経由で来たが、door to door で、24時間。
遠い。
おまけに、yahooが使えなくて、不便。



イスタンブール行きは、前回のトルコに続いて2回目。



空港は、どんどん立派になっている。
成田は、これからどうするのか。
あまりにも、小さい。



空港内には、大理石の彫像が、多数展示されている。



美術館もあったが、昨今の円安で、高かったので、時間もないし割愛。



そして、テッサロニキへ。



もう、夜だが、夜景が綺麗だった。
ここは、まだトルコ領。
マルマラ海の北岸。



テッサロニキに近づいてきた。
海沿いにある。



空港名には、マケドニアの名が刻まれている。
アレクサンドロス大王の故郷だ。
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エピフォン・カジノ

2025年01月30日 | The Beatles
Fテレビ問題が、収まらない。
元の事件の真相が、わからないのだから、議論が錯綜するのも無理もないのだが、やはり、最初のB報の(半分)誤報と、問題発生後のFテレビの当事者たちの対応は、お粗末と言わざるを得ない。
2回目の記者会見での記者達もひどかった。
とても、まともな報道に携わる人たちの態度とは思えなかった。
そもそもN氏が問題を起こさなければ、何も起こらなかったのだが。
B報は、特に、民間人に対しては、慎重な裏どりを徹底して欲しい。
今回の件も、最初の報道が、訂正後の報道だったら、その後の流れは、かなり変わっていただろう。
本件とは、直接の関与はなかったようだが、F社のS氏は、当然もう退任するお歳であることは、本人もわかっているはずだ。



久し振りにファンクラブで、お買い物。
エピフォンカジノの1/4スケールモデル。
こちらは、1965レボリューションナチュラル。
ジョンが、レボリューションのMVでも、Let It Be のルーフトップでも、プラスティックオノバンドでも使っていた。
ジョンが神に見えた。



こちらは、エピフォン・カジノ・ナチュラル。
3人共使っていたが、特jにジョンとジョージが1966年のツアーでよく使っていた。
日本公演では、ステージでも、バックステージでも演奏している姿が残されている。
当然最後のUSツアーでも使っていた。

ビートルズといえば、リッケンバッカ―だが、中期以降は、こちらの方を多用していたのではないか。
モデルの出来もよくて、楽しい逸品をゲットできた。

明日から、海外で、更新タイミングが乱れる見込み笑笑
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ディラン初日本公演チラシ

2025年01月29日 | Music
今日は、関西。
冷えている。

森永卓郎さんが、亡くなられたという。
山崎さんに続いて、同世代の経済アナリストの訃報。
覚悟していたとは言え、残念。
そういう歳なのかもしれないが、やはり若すぎる。
ご冥福をお祈りする。



結構珍品チラシをゲット。
ボブディランの初来日公演のチラシ。

私は、3/1公演に行けて、すばらしい体験だったのだが、演奏自体は、バックバンドを従えた歌謡ショーみたいで、イマイチだったような記憶。
ただ、その後、このエポックメイキングなコンサートの音源が、どんどんリリースされて。
直後に出たライブ盤で、当日の音源も入っていたが、最近、当日の音源がすべてアナログ化されて、リリースされた。
そういった意味でも、ラッキーな日に行けた。
私の19歳の誕生日でもあった。
理由はわからないのだが、とにかく我が道を行く昨今のディランのコンサートの中で、まだポピュラー・ミュージックの意識があった時期のステージだったかもしれない。
ビッグバンドを従えてのステージの違和感だったかもしれない。
この写真のイメ―ジとはちょっと違って、化粧もしていて、自分を見失いかけているのではないかとの印象すら受けた。
でも、ヒット曲をたくさん入れたセトリで、今から思うと超貴重な体験だった。



裏面には、なんとKiss。
1回目のコンサートの後、珍しくライブが放送されて(たぶんNHK?)、行けなくて後悔していたタイミングでの再来日だった。
当時は、チケットゲットがたいへんで(今も一部そうだが)、ステージ裏みたいな席だったが、かえってメンバーのステージに飛び出していく姿などが見れて面白かった。
ただ演奏するだけではないコンサートを本格的に始めたのはKISSだったかもしれない。
当時は、当然オリジナルメンバーだった。
武道館の中で、花火を打ち上げたり、1曲のためにドラムがせりあがったり、サプライズの連続だった。

いい時代だったと言えばそれまでだが、今も評価されているところを見ると、その中に普遍的な価値があったに違いない。
いい時代に生きている!!



今日は、陽のある内に、新幹線に乗れた。
日本武尊が、死にかけた伊吹山。



いつもの定点観測。
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日本の古代とは何か

2025年01月28日 | Books
今日は、ゴルフ。
午前中、コンディション最高で、スコアもまずまず。
ところが、午後から強風が吹き出し、直接は関係ないのだが、大叩きホールも出してしまい、平凡なスコアに終わった。
残念。
現在、関西に移動中。



本書は、本屋で見つけた。
比較的若い研究者が、日本の古代(奈良~平安)の諸テーマについて、最新の研究を解説、議論。
新書の割には、かなり専門的で、難しかったが、現在のNHK大河ドラマに描かれている世界でもあり、興味深く読めた。

驚かされるのは、私が、初めて日本史を習った頃の考えは、かなり覆されているということだ。
覆されるというとちょっと言い過ぎかもしれないが、かなりステレオタイプ的な歴史観を持っていたのが、そんな単純なものではない、もっと複雑曖昧なものだという議論になっている。
例えば、藤原氏は摂関政治の中で、権力を維持し続けたと思われているが、実際、道長は、摂政・関白だった期間は短く、それでも、20年権力を持ち続けた。
これは、摂関政治の時代だったから、権力を持ち続けたという以外の要因が大きかったことを意味する。

唐風文化から国風文化の流れは、遣唐使廃止がきっかけとされるが、実際は、遣唐使は、廃止されておらず、国風文化が芽生えた後も、唐風文化>国風文化という時代は続いたという。
ただ、国風文化が少しづづ育っていたというのも事実で、徐々に染み入るように変わっていった様子がわかって来たのだという。

受領は、悪代官イメージだが、この考え方も大きく変わっている。
確かに、悪い人もいたのだろうが、大方は、責任感を持って、地方統治を行おうとしており、その中での勢力争いがあったと考える。
今と変わらない?
逆に負担が大きく、成り手が減ってきてほどだという。

国をまとめようとして、中国の制度を導入したが、その理想と現実のギャップを埋めきれず、試行錯誤したというのが、日本の古代という結論?
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古墳

2025年01月27日 | Books


今日は、風は収まったが、冷えている。
家事に集中。

先日読んだ新・古代史で、NHKの番組で、古代史の面白さを教えてくれていた松木さんが、早逝されたことを知った。
その寸前に本書が出ていたことを知り、ネットでゲット。
文庫本だが、総カラーで、楽しく読める。

よくある古墳ガイドというよりは、いろんな角度から、日本の古墳を解説した図鑑みたいな本だった。
意外と知らないことが多かったことに、気づかされた。
例えば、古墳の形でも、双円墳、双方墳、積石塚など、珍しい形の古墳があることを知った。
石棺の位置が、前期は、後円部の上方にあり、これは、天に近い場所という意味があったという。
そして、前方部から後方部へは、天空のスロープのフォルムになっていた。
ところが、後期になると、横穴式になり、前方部の深部に設置されるように変化していった。
海外のお墓についても、紹介されているが、ヨーロッパでも似た作りのものが発見されている。
前方後円墳は、段差が、付けられていることが知られるが、最上級は、前方部、後円部とも3層なのだという。
大きさだけを意識していたが、その段差の数が被葬者の地位を反映していたのだという。

本書に写真が多く掲載されているため、見たことのないような造りの古墳が多いことも知った。
特に石積みの仕方が、時代や地域によって、大きく異なっている。
古墳の内部に入れる機会は限られるが、次回行く機会があったら、注意して見てみたい。
かなりローカルにある古墳も多く、全部回ることは難しいが、地方を訪れた時は、紹介されている古墳にも立ち寄りたい。
ニッチな古墳についても情報収集したい方向け。
面白かった。
改めて、松木さんに感謝したい。
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