カンレの日記

還暦の年から始まったブログ、いつの間にか古希そして喜寿を迎えた日々のこと。思いのままに。

阪神・淡路大震災の小さな一コマ

2025年01月17日 | 思い出話

今日は、阪神淡路大震災から30年の記念日だと言う。

しかし日本列島、いろいろな大きな災害があることに

驚きと、今後が不安になる南海トラフとやらも

不安の要因はいっぱいですね。

 

 

阪神淡路大震災で思い出す、我が家の出来事があります。

あの時、息子は関西の大学に行っていて

大阪に住んでいました。

 

栃木県は、それほどの揺れもなかったので軽視していました。

ですが、地震の直後、息子から電話があり

「今すごい地震があって、恐ろしい、怖い」

恐怖におびえるような電話だった。

その時、なんて励ましたか覚えてないのですが・・・

 

 

その後、テレビを付けて驚いてしまいました。

すぐに、息子のところに電話を掛け直しました。

が・・・その時はもう電話が通じなくなっていました。

あの時・・・地震直後に息子から電話があって無事なことはわかったのは

不幸中の幸いだった。

今でもあの時の一瞬は小さな一コマでしたが、思い出されます。

 

 

あの時被災した方、その後の災害にあわれた方達を思うと

本当に大変な思いを、今もされている方が多いと思います。

能登の被災の方たちにも

何んとも言いようがなく

言葉が思いつかない。

何もできない後期高齢者ですが・・・比べ物にはならないですが・・・

お互い精一杯生きて行くしかないのかなと。。。。

 

コメント (4)    この記事についてブログを書く
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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (フーミン)
2025-01-17 17:30:25
本当にそのとおりですね。
毎日を大切に生きていかないといけないと思います。
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Unknown (yuki)
2025-01-18 12:24:37
私も震災後の各地に伺っています。
東日本の時は7回ほど岩手県に入りました。
阪神淡路の時も、入れるようになってから伺いましたが、タクシーに乗って案内していただき、当時の様子をお聞きしました。
テレビなどの映像には出ない、埃や悪臭・・・。
そして、避難所に寝泊まりして、夜は窃盗犯になることも多くあったようです。
また、避難所では盗写もあり劣悪な環境だったとのことです。

今では何もできない後期高齢者ですが、当時の語り部として、身近な方に伝えるのも大事なのでしょう。
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フーミンさんへ (カンレ)
2025-01-18 15:37:59
若い頃は、毎日を大切に・・・なんて思わなかったのにね。
この歳になると、皆さん思うようになるのですね。
お互い、頑張りすぎず頑張りましょうね。(笑)
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yukiさんへ (カンレ)
2025-01-18 15:46:17
そうですか。
yukiさんは、やっぱり行動派でしたね。
空気を感じる現地は、リアルで一層ボランティア精神をかきたてられたでしょうね。

三陸には私も一度、テントをもって、市の一行に加わり、現地に向かったのですが、あいにくの悪天候でボランティアならずの時がありました。

ホントに何もできない今、人に迷惑をかけない生き方(自分のことは自分で)が精いっぱいですね。
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