21期生の中川です。
ブレイクスルーという言葉があります。新型コロナウィルスが流行る中ですので、ワクチン接種をしたにもかかわらず感染したというイメージがありますが、本来は「難関・妨害などを突破すること。特に、科学や技術の進歩、技術的改良による問題解決。」(Weblio辞書より引用)とのことです。
私は、3月6日に東京マラソンに参加しました。自分なりにブレイクスルーと感じたことがあったのでそれを話題にします。
今回、第15回目となる東京マラソンの開催日は2022年3月6日で「東京マラソン2021」どいう2021というタイトルが残っています。理由は、新型コロナの影響もあり当初は2021年3月7日(日)の開催でしたが10月17日(日)に延期され、さらに大会開催1カ月前の9月に東京都が緊急事態宣言発令下にあることもあり10月開催も再延期され、2022年3月6日(日)の開催となりました。結局は1年待ったことになります。そのため東京マラソン2022は中止となりました。
コースは、東京都庁~水道橋~上野広小路~神田~日本橋~浅草雷門~両国~門前仲町~銀座~田町~日比谷~東京駅前・行幸通り(日本陸上競技連盟・ワールドアスレティックス/AIMS公認コース)の42.195キロメートルです。
参加者数は例年36,500人でしたが、今年は25,000人となり、実際に走ったランナーは、2万人弱だったと聞いています。トップアスリートの辿った道を走ることこれが魅力的ですが、男子はエリウド・キプチョゲ選手、女子はブリジット・コスゲイという両名ともケニアの選手でした。詳細は報道のとおりです。
さて、私ことですがフルマラソンは25年以上前の30歳の時につくばマラソンに出場して以来2回目の挑戦でした。1回目の当時は労働組合専従前で伸長174cm、体重63kgくらいでしたが、あまり練習をしないので最後は歩いてしまいもう一度挑戦したいとは思っていましたが、労組役員の不摂生がたたり体重が89kgまで増えてしまい走るどころではありませんでした。
労組引退後も、神輿を担いで酒を飲むという不健康な生活が続いてました。2019年に新型コロナが流行し始め神輿を担ぐ機会もなくなったので試しにフルマラソンに応募したら当選してしまい、体重も70キロを切るくらいになったので、勿体ないから出場を決めました。
そのような中東京マラソンでの課題は2つありました。
1つ目は関門と時間制限です。以下のとおりですが、参加資格が6時間40分以内で42.195キロを完走できることになっています。関門とか収容とか用語がいかにも厳しい用語です。
関門場所 地点 関門閉鎖時間 足切タイム
①5.6キロ収容関門 飯田橋セントラルプラザ前 10:30 1時間20分
②9.9キロ収容関門 日本橋南詰 11:00 30分
③14.6キロ収容関門 駒形橋西詰交差点 11:40 40分
④19.7キロ収容関門 深川一丁目交差点 12:30 50分
⑤25.7キロ収容関門 浅草橋交差点 13:20 50分
⑥30.1キロ収容関門 数寄屋橋交差点 13:55 35分
⑦34.2キロ収容関門 札ノ辻交差点 14:35 40分
⑧42.195キロゴール 東京駅前・御幸通り 16:10 35分
関門にたどり着かないとリタイアになり、今年はいつもと違って収容バスもなく、灰色コートの審判員にリタイアを告げて、電車で帰らなければならないとても寂しい思いになるルールでした。東京の道路を通行止めして開催するのだからこの関門はしょうがないです。でもこれは精神的に厳しいものでした。
2つ目の問題は自分にありました。まずは56歳という年齢で意欲はさほどでもないものの完走はしたかったのですが練習しなかったのです。2022年3月も中止かなと思いましたし、何よりも寒くなってから、月間走行距離で10月8キロ、11月34キロ、12月は寒いから全く走らず、1月は35.5キロ、2月に慌てて82.6キロ走りましたが、2月の練習ランは大失敗で膝周りを正座できないくらい痛めてしまいました。しかもスタートは第三ウエーブで9時35分スタート、完走はあきらめざるを得ないと思いましたが、ところが不思議なもので、スタートしてみると意外と体が動きました。
実は都庁から第一関門までは40メートルの差を降りる下りなので、オーバーペースになりやすい地点でもあり早く走れたようですが、それでも一応対策としてピッチを小さくすり足気味で早く動かして、胸を張り腕は絶対に下さず絶えず走る姿勢をくずさない戦術でいきました。もちろんいつものように20キロすぎて足は痛くなりましたが、希望がない状況でもあきらめないで、背筋を伸ばした姿勢で臨むそれだけを維持しました。
だいたい最悪1キロ9分程度なら完走できますが、手を下げて歩いてしまうと1キロ15分まで時間がかかってしまい6時間40分での完走は無理です。腕の振りは重要です。
沿道の応援もあり、ゴール前7つの関門をほぼ30分前にクリアするペースが維持できて完走ができました。タイムは大したことありませんが、56歳の年齢と25年のブランクを考えれば、自分にとってはブレイクスルーだったと満足しています。完走メダルも10月17日のままである意味ご愛敬ですが、関係者は相当なご努力とご調整の中開催されたのだろうと思いました。大事にしたいと思います。
走行後、すぐに帰宅予定でしたが、前職の友人と軽く打ち上げさせて頂きました。私の完走は五分五分くらいとみていたようですが、いい刺激になったようです。その友人もハーフマラソンに挑戦する気持ちになったようです。今後通常の仕事でもこれくらいの充実感があるようなことが続けられればいいなと思います。
2022年3月16日