こんにちは。13期生の三好康司です。
今日は、前職で初めて転勤、単身赴任になった2009年当時のことを書いてみます。
私は1985年に総合商社に入社、2008年まで営業一筋でした。繊維部門で、インテリア(カーテン、マットなど)、寝装品(布団など)、家庭用品(タオル、水回り製品など)、ベビー用品(ベビーカーなど)、医療部外品(マスクなど)の輸入・国内販売を行なっていました。まさに、「気合と根性」で営業をする泥臭い営業マン、ちょっと部門の中で儲けて、お恥ずかしながら天狗になったこともありました。
そんな中、2009年4月、東京に転勤になりました。リスク管理部という管理部門、全社のリスクを見る部署です。繊維しか知らない私が、「航空機・船舶・自動車・木材・機械・食料などの部門のリスクを管理しろ」と言われ、戸惑う毎日でした。
また、業務で飛び交う言葉、「このプロジェクトのデューデリの結果をどう判断するのか?」、「このプロジェクト・ローンはバルーンか?」、「契約書のフォース・マジュールはこれでいいのか?」、「エグジットはちゃんと取り決めているのか?」、「この会社の実バラはどうなんだ?」、全く言葉の意味が分かりませんでした。さらに、繊維と例えば航空機では業界慣習が全然違い、営業部の言っていることすらも、すんなり理解できませんでした。
「えらいとこに来てしまったなあ。私は、アホなんかなあ」、当時住んでいた品川区大森の単身赴任寮で一人、つぶやいたことを覚えています。
半月くらい悩み、出した結論は、「分かるように勉強しよ」ということでした。誰かの名刺に中小企業診断士という肩書きが入っていたことを思い出し、中小企業診断士とはどんな資格かを調べました。そして、この資格を取れば、会社全体を理解できるようになるのではないかと思い勉強し2012年に診断士登録、2013年に13期生として「稼プロ」にお世話になりました。あと、診断士は自己研鑽で取得したつもりだったのですが、気がついたら2015年に退職、現在独立7年目になります。
2009年の転勤、異動当初は、前職リスク管理部の仕事はいややなあと思ってましたが、結果として現在があります。いろんな業界を知れたこと、海外プロジェクトの要諦を知ったことが、今の海外展開支援の仕事につながっています。
「人生万事塞翁が馬」です。