すっかり寒くなりましたね。今夜も 「鍋料理に濁り酒」 と、既に決定してしまった 14期生 木村です。
また、しばしお付き合いいただければ幸いです。
前回、筋ジストロフィーという筋委縮症の難病の話をさせていただきました。本日はその続きです。私が、数年前、
「日本筋ジストロフィー協会」 の全国大会に参加した時、ある事例報告がありました。
それは、外国の支援資金集めの事例で、主催者はご自身も筋ジストロフィー患者です。内容は、有名なミュージシャンに何人も声をかけて、
チャリティーでイベントに出演してもらい、支援資金集めに成功しているというものです。もちろん大勢の一般の方々がこのイベントを
観に来るわけですが、その入場料が、この病気の支援資金に充当されます。
なぜ成功したかというと、観に来る方々からすれば、通常では絶対にありえない組合せのミュージシャンのオールスター戦を観ることができ、
ミュージシャン側もこのイベントに呼ばれることが一つのステータスのようになっているためです。何よりもその場に集う者全てが楽しむこと
そのもので、困っている人々の助けになるという関係性が働いているのではないでしょうか?(余談ですが、なんだか診断士的に、
ブランド価値、準拠集団(願望集団)、関係性マーケティング、相乗効果などのキーワードが出てきそうですね。失礼しました。)
年々規模が拡大しているようで、主催した人物は、もう完全にプロモーターですね。たまたま筋ジストロフィーという病気だっただけで、
それを上手に利用したまでです。イベントの映像を見ましたが、皆さん、本当に普通に楽しんでいましたね。難病という重苦しさは少しも
感じませんでした。
この難病をかかえた主催者は、最初からこうなると想定していたかたかどうかは、分かりません。(例えば、診断士が事業の戦略を
立てるような・・・・)ただ、ひとつ想像できることは、勇気をもって周り人を巻き込みながら、一歩踏み出したことは間違いないと思います。
ハンディキャップのある人の方が、ハンデを乗り越えようとする意識が働くためか、かえって何かを成し遂げることができるのかもしれませんね。
情けないかな、なまじ五体満足だと甘えが働いてしまう気がします。反省しきりです。
本日も最後までお付き合いいただきありがとうございました。
14期生の日野卓郎です。
ブログを楽しく読ませて頂きました。
いつも思うのですが、
なぜパラリンピックはもっと大々的に
マスコミが主体となってフォーカスされないんでしょうか?
パラリンピックのバスケやテニスってホントに格闘技っつーか、ホントにハンデあるんですか?ってくらいのパフォーマンスですよね。個人的にはオリンピックの前にパラリンピックをやった方がよくない?とか思ってるんですが、何を言いたいかと言うと、ハンデをハンデとせずに一歩動くその勇気を、僕は見習わなきゃいかんなと思いました。
結局、魂というかスピリットというか、その辺のことですよね。
たまたま、ハンデがあったという方が正しい気がすることがあります。
そういう人たちに言わせれば、
「ハンデがある?だから何。」という感覚なのでしょうね。
難病の方と向き合う時は、彼らの気持を尊重することが一番大切と思うのですが、その気持を形にすることは、とてもとても大変なことだと思います。
主催者の方も、参加されている方も、スタッフの方も素晴らしいですね。考えさせられるブログでした。