こんにちは。19期の遠藤孔仁です。
私の所属する会社は昨日が仕事納めで、本日から大掃除やら家の用事に明け暮れそうです。
毎年思うことですが、あっという間に一年が過ぎていってしまいます。
先日、私の所属する組織開発研究会が2年振りにリアル開催され、参加いたしました。
私自身、この研究会にはコロナ禍に参加するようになったため、メンバーの方と直接お会いする初めての機会となりました。
画面に映される姿や声の感じから想像している本人のイメージと、実際に会い五感を通じて受けるイメージにギャップがある人もいたり、
同じ場を共有してワークショップを行う臨場感など、リアルならでは醍醐味を実感できて楽しいひと時となりました。(その後の懇親会も含めてですが。。。)
さて、突然ではございますが、『silent』(サイレント)というドラマをご存じでしょうか。今年の10月から12月までフジテレビで放映されたテレビドラマです。
主人公が音を失い、手話を通じて、気持ちを通わせていくドラマなのですが、言葉を発せず、静かな時間の流れの中で、視線や表情、間を使ってお互いの感情のやりとりを表現しています。そうした演出が功を奏して、ネットでも話題となっており、私の妻と娘も毎週欠かさず、ドラマを見ておりました。私はそのような二人を傍目に見ていたわけですが、妻は無言の中で紡がれる気持ちの交流を感じつつドラマに見入っていました。かたや娘はそうした演出を「だるい」「長い」と一刀両断。そんな対照的な二人の態度ですが、なぜ娘はそのような感想に至ったか疑問に思い、彼女の行動を振り返りました。
すると、テレビは基本録画で1.5倍速。スマホではYoutubeも1.5倍速、そしてショートムービーを次々にフリックして興味のあるものを見ていくというスタイル。まさにタイパを地でいくデジタルネイティブの生態です。そうなると、ドラマの演出として効果的に使っているはずの「間」が邪魔なものとして存在し、このような感想を抱いたのではなかろうかという仮説に至りました。この世代の全てがそうだと言うわけでもなく、彼女の個人的な嗜好が大きく影響している部分もあると思うが、時間に対する感覚が明らかに親世代の感覚と異なっている部分があるのだと思います。
そして、このような時間に対する感覚の違いが、様々なコミュニケーションの場面にどのような影響を与えるのか。本質的に変わらない部分と変わっていく部分。それを見極め、その違いを如何にアジャストしていくか。そのような能力もコロナ禍を経た価値観の転換期には必要な能力なのではないかと考えました。
そのような意味で、「やはりリアルはいいよね」という感覚的なものではなく、リアルの場におけるコミュニケーションやチーミング・信頼関係を構築することに対してどのような影響があるのか。そのような観点について、言語化しその価値と有効に活用できるケースを整理し、リアルとオンラインの使い分けの一助にしていければと妄想した次第です。
私は家族と映画館に映画を観に行くのを大事にしています。倍速もできなければ、別の行動をとることもできない(会話含む)のでそれぞれが集中して観ることができるのがいいと思っています。
タイパが急速に注目される昨年の中でも『silent』は「倍速では見ない」派が多いと聞いたことがありました(日経コラムでもあったようななかったような…)が、さすがにタイパ最前線世代にはそうではなかったんですね。
私自身、楽しみにしていたドラマの1つではあり最後まで楽しみましたが、話題になるほどにはハマり切れませんでした(個人的には「エルピス」派です)。ただ、これはドラマのクオリティというよりもターゲット設定の問題と考えています。『silent』は「オジサンをターゲットとしていない」と感じました。なので、オジサンがたちが「『silent』、そんなにはハマらないよね」と言っても、制作サイドからすると「あなたたちをターゲットとしていないので。ゴメンナサイね」となりそうな気がしており、「ターゲット設定の大切さ」を感じたドラマでもありました。(もちろんハマったオジサン方もいらっしゃると思います・・)