こんにちは、富岡です。
突然ですが、皆さんはパチンコをやりますか?
私、縁あってこれからパチンコホールスタッフの教育に携わります。
とはいえ私自身、学生時代以来、パチンコからは遠ざかっておりました。
今急いで業界研究しているところです。今日はパチンコの歴史について少し。
パチンコは戦後庶民の娯楽として発展してきました。
最初のブームは昭和26年頃。
一人の天才釘師の出現が、パチンコを革新的に変えたのです。
その人の名は正村竹一。
それまでのパチンコ盤の釘の配置は画一的に等間隔になっていました。
彼はそれをがらりと変えてしまったのです。
「正村ゲージ」と言われるもので、今の釘の配置の原型になっています。
このおかげで見た目にも美しく、また玉がどちらに飛んでいくか分からない
おもしろいパチンコ盤が出来あがりました。また入賞すると「チーン」という
音が出るように細工したのも正村氏の功績です。「チーン、ジャラジャラ」と
玉がでるようになったパチンコは大ブームになりました。
正村氏が偉かったのは、特許や意匠権を一切取らなかったことです。
周りに勧められても耳を貸さず「みんなで仲良く使えばいいがな」と意に介さかった
そうです。そのおかげで各社が正村ゲージをマネして全国に一気に広がったのでした。
その後さらに機械は改良され、それまで手動単発式だったものが電動連発式に.
変わり、人気は加熱しましたが、あまりにも射幸性が高いということで
昭和30年連発式が禁止になり、業界は大変な危機にさらされます。
それを救ったのは、役物、チューリップといった台の改良です。
また、業界は機械化による改革を進めていきます。
今まで人の手で玉を入れていたのを、ホール中に玉がかけめぐる道を巡らせ、
機械によって玉を循環させ、合理化を図っていったのです。パチンコ台も
改良を重ね、玉が詰まるトラブルも減少しました。
電動連発式が復活し順調に発展した業界でしたが、昭和50年頃再び危機が訪れます。
インベーダーゲームの大ブームです。人々はゲームセンターや喫茶店に群がり
このゲームに熱中し、パチンコホールからは人が消えました。
ばたばたとつぶれるパチンコホールが続出しました。
業界の苦悩が始まります。
この危機をどうやって脱するか?
この続きは次回に。
富岡 淳
14期生の日野卓郎です。
ブログを楽しく読ませて頂きました。
外国人の友達によく聞かれる質問の
1つに、パチンコのことがあります。
何であんなのに日本人は熱中しちゃってるの??
といった感じで、非常に不思議がっています。しかし一方で、パチンコが娯楽産業で最大の売上規模。確か年間で20兆近いお金が動いてたと記憶しています。
日本特有の娯楽ということで、パチンコの歴史は非常に興味深いものがあります。
私はバクチはからっきしダメみたいで、パチンコは行ったことはあるものの勝てません。そういえば20年ほど前、嫁がビギナーズラックでパチンコにはまってしまい、やめさせるのに苦労したことを思い出しました(笑)
私が大学生の頃、クラスメートがよく、パチンコで生活をしのいでいました。
パチンコは、先が読めないが、当たると大きいワクワクさがありますね。その心理を「音」を用いて、効果を高めているのですね。そして、ゲームセンターなど、マーケティングの競争戦略という視点でも勉強になりました。
次回も楽しみにしています。