佐藤幹夫著「津久井やまゆり園「優生テロ」事件、その深層とその後」を読んで
照る日曇る日 第1871回
「戦争と福祉と優性思想」という副題の付いた長い長い、しかし重い重い論考を、やっとこさっとこ読みあげて、もう健忘症の全国民から忘却の彼方に置き去りにされようとしている7年ほど前の大殺傷事件を、改めて生々しく思い出した次第です。
この事件のあと、私の長男がお世話になっている施設の当時の理事長さんが「今こそ障害者を施設から地域へ移行する絶好のチャンス」と力説されていたのですが、私には違和感がありました。
昔から障碍児者を、施設に閉じ込めず、一般社会で自立して生きられるようにすべきだ、という考え方があることは承知していましたが、それは正しい方向だとしても空想的な理想論に近く、実際には、施設がなければ生きていけない障碍児者は昔も今も数多いのです。
私たちは、障碍者の地域移行をますます促すと共に、少なすぎる施設をますます随所に開設していかねばなりません。もとより施設の良し悪しはあるけれど、施設自体が悪いのではなく、良い施設と悪い施設がある。悪い施設を、改善改良革命しなければならないのです。
繰り返しますが、施設を活用しない限り生きていけない障碍児者が沢山います。だから、とりあえず今回の事件への施設側の対応としては、それぞれの施設の職員と共に「植松的な思想と行動」についての徹底的な対話を交わし合い、その中から、事件の再発を防ぐ対策を考えていくことこそ喫緊の課題だと思ったのですが、あれからおよそ7年が経過しても、当事者たちによるその種のアプローチが行われた形跡もないのは誠に残念なことです。
さて本書です。著者は、2016年7月26日の未明に発生したこの大事件の軌跡を、当時の報道や公判記録によって的確に再現しています。
そして著者は、この「優生テロ」がなぜ発生したのか、その本源は何かについて、障害福祉、社会福祉、施設問題、優性思想と生命倫理学、障害学、精神鑑定、児童心理学と犯罪心理学、精神医学と精神病理学、戦争心理学、刑法、刑事裁判と責任能力問題、犯罪被害者問題、匿名報道と報道、テロリズム、非暴力思想、永山則夫と宮崎勤事件、ナチスとアウシュヴィッツ、総力戦体制と福祉等に関わる先学の著作や資料、考察を自在に駆使し、さらに法廷における自らの植松本人との「実験的視線対峙!」を含む植松聖の人格研究を踏まえて、思想的、哲学的思考を粘り強く推進しながら、広大な俯瞰的視座の元に一元的に把握しようと試みています。
亡き弟が障害者であった著者は、巻末に『植松死刑囚に送った父親の「手記」』という自筆の手紙を添えていますが、私はこの「エピローグ」を、涙なしに読み終わることはできませんでした。これを読んで心を動かされない者は、それこそ植松が言う「失心者」でありましょう。
ニッポンが米国に絡め取られるごとくニッポンに絡め取られる私 蝶人