千駄ヶ谷・国立能楽堂で「第30回青翔会」をみて
蝶人物見遊山記第357回
好天の一日、久しぶりに能を見聞きしることができて、楽しかった。
私がこの新人育成&発表をモットーとする「青翔会」を好むのは、演目が多岐に跨っていることと、料金が安いこと、能の各流派が総出演してその個性を競い合って超面白いから、なのですが、贔屓にしている金春流シテ役の柏崎真由子選手の活躍をこっそりのぞいてみたいから、でもあるんですね。
今回彼女は、舞囃子「田村」に出演して、3人の仲間と一緒に地謡をうたっておりましたが、他の誰よりも大きく口を開け、力強く明遼な発語を心掛けていることが一目瞭然で、その真摯な取り組みにいたく感銘を受けました。
ところでクラシックに徐々に女性指揮者が増えてきたように、シテ役にも柏崎選手のような女性が増えてきて観衆の耳目を集めていますが、地謡についての関心は、あまり高いとは言えないようです。
しかしバックコーラスのみならず集団メインボーカルとして、能というドラマ全体を、陰に日向に支える地謡は、能にとって、きわめて大切なパートです。
そして私がさいきん能の実演に接するたびに思うのは、能楽のジェンダ―ということ。
今回柏崎さんが所属する金春チームは、珍しく全員が女子でしたが、観世、宝生、喜多の3波はみな男子で、その対比がなかなか興味深かったのです。
常識的に考えれば、前者がソプラノかアルトで、後者がバリトンかバスとなるはずでしょうが、そう簡単ではない。実際は男性陣は総じて穏やかなバス、女性陣は「疑似男声風のバリトン!?」というちょっと奇妙な感じでした。
ジェンダ―噺で話題を繋いでいくと、今回、源氏物語を元にした「半蔀」の「夕顔」は、宝生流のシテ役の男性の金森選手が演じましたが、もしこれを金春流の村岡嬢が演じていたら、全然違う景色になったと思うのですが、ついでにもしも「田村」の女性ボーカルが、男性性を捨てて全員が綺麗で透明なソプラノで歌っていたら、どんな詩的な上演効果が生まれただろうと想像せずにはいられませんでした。
あだしごとはさておいて、今次の公演で最も気合が入っていたのはハナの「高砂」とトリを務めた観世流で、前者におけるハイドンの交響曲103番「太鼓連打」を遥かに凌駕する林雄一郎選手の圧倒的な太鼓乱打、そして後者の「石橋」における山階彌右衛門&清水義也両選手による紅白連獅子揃い踏みは、満座の聴衆を興奮の坩堝に叩きこんだのでした。
さりながら、どうして我々は、。その興奮の極点でブラボー!を叫ばず、演者たちの退場を静かに待って、徐に控えめな拍手を贈ることしかしないのでしょうか?
ともかくも短歌の世界の基準点 奥村晃作は稀有なる歌人 蝶人