あまでうす日記

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田辺武光著「二月・断片」を読んで

2023-10-04 10:10:06 | Weblog

田辺武光著「二月・断片」を読んで

 

照る日曇る日 第1967回

 

白内障を手術したばかりの双眼で、大学時代の先輩のTさんから送られてきた、Tさんの同級生の田辺さんの短編小説を読む。

 

これは1967年8月号『文藝』の学生小説コンクールの入選作であるが、その当時学費学館闘争をバリケードの中で雑魚寝しながらたたかっていた我々の日常を背景にした恋愛小説なので、溜まり場にしていた喫茶店や登場人物の誰やかれやに思い当たる節もあり、武装右翼体育会殴り込み、機動隊突入前夜の緊迫感など、殊に印象的な読み物であった。

 

まず驚くのは、闘争の渦中にありながら、作者が自分を取り巻く状況を冷静に客観視していることで、当時文学部のスロープ下の03部室でおのれ、そして全世界を相手に懸命にたたかっているつもりでいた私とはだいぶ違った「大人な」場所に立っていたんだなあと思うのである。

 

2番目は作者の「受賞の言葉」にあるように、散文よりも韻文を重視したその文体である。本作の狙いが、単なる恋愛や闘争自体の描写にあるのではなく、その散文の流れに混ざり合い、またある時はそれを断ち切って別な文脈へと移動したり、拡散したりするきわめて自由で流動的な文体の駆動である。

 

そのやり方を作者はゴダール映画の特質から学んだと述べているが、不意に物事の真実(ここでは恋愛や闘争)に迫ると見せて、その寸前で身を翻し、「ハハ冗談だよ、冗談」とでも言いたげにそこから逸脱する軽妙な遊びの精神が、ゴダールの箴言と同様、この小説でも不器用かつ未完成な形で僅かに発揮されているのだが、残念ながら選考委員の安岡章太郎、井上光晴、石原慎太郎の三氏はその肝心要の急所をしかと見届けることができなかったようだ。

 

作者が自認しているように、本作は「あくまで習作の域を出るものではない」が、「おそらく数年後、少なくともこれ以上のものが生まれるでしょう」という予言を、我々は半世紀以上の長きにわたって待ち続けているのである。

 

   紀伊国屋に10冊残る我が詩集誰か買わんか誰も買わんか 蝶人

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