あまでうす日記

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祖父佐々木小太郎半生記~佐々木小太郎古稀記念口述・村島渚編記「身の上ばなし」より

2023-10-09 08:38:26 | Weblog

祖父佐々木小太郎半生記~佐々木小太郎古稀記念口述・村島渚編記「身の上ばなし」より

 

遥かな昔、遠い所で 第103回

 

第1話 母の眼病その2

 

病院には広々とした庭があって、中に観音様の御堂があった。お参りする人が次から次へとあって、線香の煙の絶え間がなかった。母の目を治すために、何か祈りたい気持ちでいっぱいだった私は、母から聞いた柳谷の観音と、いずれ同じ観音様だから、これに母の眼病平癒を一心込めて祈ってみようと決心した。

 

毎朝母が目を覚ますと、いちばんに便所に連れていかねばならぬ。それから次々と用事がある。お参りは、まだ母が目を覚ます前にしなければならない。

私は毎朝うすぐらい時に起きてお参りをした。それからお祈りをするにしても、ただ「お母さんの目を治して下さい」だけでは、自分の真心が観音様に通じないような気がして、とつおいつ考えて、「私の片目をお母さんに上げますから、お母さんの片目だけでも見えるようにして」といつでも祈った。

それもただ心の中で念じるだけでは通じないような気がして。声に出して祈った。

 

こんなに早く誰も聞いている人は無いと思って、声はだんだん大きくなった。

ところがそれを聞いている人があった。丹後の森というところから来ている馬場治右衛門というおじさんと、越前から来ている川合おえんさんというおばさんだった。

 

馬場さんは目の悪い奥さんに付き添って来ていて、ひまさえあれば老病院長の碁のお相手をしている心の優しいおじさんだった。

おえんさんも優しい世話好きの良いおばさんだった。

 

この2人が病院中」、に言いふらして、「可哀そうなことだ」、「感心なことだ」と、大変な同情を呼び、とりわけ老病院長がすっかり感動して、病院長と老夫人が願主となり、馬場さんやおえんさんたちが奔走し、病院中こぞって観音様に百万遍の大祈祷を病院の大広間で開くことになった。

 

私もその座に連なった。見ると一つひとつの玉の大きさがピンポンの玉ほどもあるような大きな数珠を座敷に置き、それを囲んで一同が輪に座り、まず願主の祈りがあると、続いて会衆は口々に南無阿弥陀仏を唱えつつ両手で玉を送って数珠をグルグル回すのである。

 

玉の中に格別大きくて房の垂れたのがあって、それが老院長のところへ回ってくると、老院長はうやうやしくこれを押し頂き、「戌の年三十三歳女眼病平癒致しますよう南無大慈大悲の観世音菩薩」と唱え終わると、すぐにまた数珠回しが始まり、これが限りなく繰り返される。

 

はじめのうちは数珠の回りがゆるやかだったが、だんだんそれが早くなり、念仏の声も高くなり、一人ひとりに憑き物でもしたかのように満場湧きかえるような白熱した祈りとなった。

 

私は人の情のありがたさに泣き、これほど熱のこもった大勢の祈りは、きっと観音様に通じて御利益が頂けるだろうと、何だかひどく元気づけられた。母もきっとおかげが受けられるだろうと言って喜んだ。

 

   藤沢の市役所行けばメダカ池に藤沢メダカが泳ぐ10月 蝶人

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