照る日曇る日 第1967回
「参謀本部編纂の地図をまた繰開いて見るでもなかろう、と思ったけれども、余りの道じゃから、手を触るさえ暑苦しい、旅の法衣の袖をかかげて、表紙を付けた折本になってるのを引っ張り出した。」という、序からはじまる講談「高野聖」を声に出して読んでみよう。
「心持余程の大蛇と思った。三尺、四尺、五尺四方、一丈余、段々と草の動くのが広がって、傍の渓へ一文字に颯と靡いた。果ては峰も山も一斉に揺いだ、恐毛を震って立ち竦むと涼しさが身に沁みて、気が付くと山嵐よ。」
幻想、奇想、空想、官能世界の基礎になっているのは、そのプルーストを思わせる、長ったらしく入り組んだ、されど精密に微分積分された螺旋状の文体である。
「裸体の立姿は腰から消えたようになっていて、抱きついたものがある。
「畜生、お客様が見えないかい。」
と声に怒りを帯びたが、
(お前たちは生意気だよ、)と激しく「いいさま、腋の下から覗こうとした件の動物の天窓を振返りさまにくらわしたで。」
主語と話者、語りと地の叙述が頻繁に入れ変わるのでよく目を凝らしていないと、あるいは目を織らしているので、目が眩む。
「女滝の中に絵のようなかの婦人の姿が歴々、と浮いて出ると巻き込まれて、沈んだと思うとまた浮いて、千筋に乱れる水とともにその膚が粉に砕けて、花片が散込むような。あなやと思うと更に、もとの顔も、胸も、乳も、手足も全き姿となって、浮いつ沈みつ、ぱッと刻まれ、あッと見る間にまたあらわれる。私は耐たず真逆に滝の中へ飛込んで、女滝を確実と抱いたとまで思った。気がつくと男滝の方はどうどうと地響打たせて。山彦を呼んで轟いて流れている、ああその力を以て何故救わぬ、儘よ!」
鏡花の文章は、現代小説が多様化で弱体化すればするほど、その原初的な幻想力の威光が強力に沁みとおるように思われる。
インフルと宣告されたがその翌日インフル脱しかなり良くなる 蝶人