変形性股関節症に負けない『心と身体』を目指して -運動指導士 彦坂惠子-

踊りが命と舞台と指導に明け暮れていた私が突然変形性股関節症と言われ、手術をし引退したが現在運動指導士として活躍中

ヤン君の思い出

2011-05-28 17:11:08 | Weblog

 昨日、関東圏は梅雨入れしました。随分と、早い入梅です。
 今日は台風の影響と梅雨前線の影響で、雨、暫くは、雨。
 やっぱり、雨は気が重くなります。

 私は、この4月からのテレビドラマの中で毎回観て、泣けて泣けて…
 しまっている反町さん主演の「グッドライフ」(反町さんの子どもが白血病で…)
 が気になっています。

 そんなことを思っていたときに読んだ、私の愛読‘高野山教報'から、ご紹介します。


        『ヤン君との思い出』  北原隆義(石川県在住 本山布教師)

 ある町に若い女性が母親と二人で暮らしていました。母親は娘が高校生のときに
 離婚し、何とか短大まで送り出し、その娘もようやく2年ほど前に社会人となりました。
 娘は同じ会社の2つ年上の青年と結婚することになり、明日青年のご両親に挨拶に
 伺うことになりました。彼女は前の晩、一睡もできないまま当日を迎えました。

 早朝、彼との待ち合わせ場所に行くため、駅のホームで電車を待っていました。列の
 一番前に立っていた彼女は、ホームに滑り込んでくる電車の姿をおぼろげに眺めた
 一瞬後、気を失ってしまいました。そして、そのままホームの下へと崩れ落ちてしまった
 のです。それはほんの一瞬の出来事でした。

 彼女が意識を取り戻したのは病院のベッドの上でした。目に入るのは白い壁とお母さん
 の姿。娘は自分がどうなったのか母親に尋ねました。母親は涙をこらえて事故のことを
 伝えました。両足の膝から下がなくなってしまったこと。救急車で病院に運ばれたこと。
 あれから三日が過ぎたこと。娘は自分の身の上に起きたことを受け入れることが
 できませんでした。体を動かすこともできず、ただ白い布団に横たわっているだけ。
 恋人は一度見舞いに訪れたきり、再び訪ねてくることはありませんでした。たくさんの
 ことが一度に起こりました。けれど不思議なことに、悲しいという感情はわきあがって
 きませんでした。

 そんなとき同じ病院に入院しているヤン少年が、彼女の元を訪ねるようになりました。
 「おねえちゃん、どうして足がないの?」と、少年は質問します。最初、彼女はこの
 少年のことが好きではありませんでした。少年の言葉を通じて、現実を直視しなければ
 ならなかったからです。それでもヤン少年は彼女のことが気になるのか、毎日のように
 遊びに来ました。やがて二人は打ち解け冗談も言い合う仲になりました。でも、そんな
 ささやかな楽しい時間は長く続きませんでした。

 ヤン君は白血病で間もなく帰らぬ人となってしまいました。二重の苦しみに彼女は
 途方に暮れました。やがてヤン君の母親が彼女の元に一通の手紙を持ってきました。
 それは、ヤン君が生前娘に宛てて書いた手紙でした。白い画用紙を広げると、
 マジックで彼の文字が綴られていました。

 「ぼくはもう助からないから、ぼくのこの足をお姉ちゃんにあげるよ。天国から
 見守っているから、この足を使って早く歩けるようになってください。お姉ちゃん、
 がんばってね。さようなら」

 娘はその手紙を大事そうに抱きかかえ呟きました。
 「そんな重い病気だったの。ごめんね、私のことばかり心配してくれて。本当に
 ごめん」。やがて、あれほど嫌がっていたリハビリも積極的に取り組むように
 なりました。すべてをしっかりと受け止め、力強い一歩を踏み出しました。

 彼女は今までに起こった出来事のずてを決して忘れないでしょう。そして、出会った
 人たちの温もりをいつまでも胸に抱き続けるでしょう。悲しみを乗り越えた彼女の
 笑顔が印象的でした。それはまるで仏さまのように優しく清らかな表情でした。


 書きながら、また泣けて泣けて…バソコンの字が読めなくなりました。

コメント (2)
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