変形性股関節症に負けない『心と身体』を目指して -運動指導士 彦坂惠子-

踊りが命と舞台と指導に明け暮れていた私が突然変形性股関節症と言われ、手術をし引退したが現在運動指導士として活躍中

3.11 忘れない

2020-03-11 12:18:20 | 日常生活

もう、9年
まだ、9年 

東日本大震災、この日を忘れない!!
2万人近い方々が お亡くなりになり
いまだに 仮設住宅に40000人近くの方々が。

孤独の中に亡くなられた方々も多かったのでは。

あの日、私は、昼食後 亡き叔母を車いすに乗せ近くの床屋さんへ
連れていき、のんびりとテレビを見ていました。
そこへ、急に ドーーんとすごい音と共に 激しく南北に(感覚も実際も)
30センチ近く足元が動きました。

声も出せず、ただただ、リビングのテーブルにしがみついて
長い時間(2分近く) おろおろと立ちすくんでいました。
その後 すぐに床屋さんに電話して エレベーターが止まってしまったので
もう、少しお迎えを待ってもらいました。余震もあるかもしれないので。

その後 電気が突然止まり、歩いてマンションの玄関ロビーへ行き、
住民の方々と喧々囂々 話しました。
3時間後 電気は来ないので 仕方なく 叔母を迎えに
叔母に頑張ってもらい 一段一段階段を3階まで 上がってもらいました。

股関節症の皆さん 最悪の時 何があるかわかりません。
普段 階段昇降をしない方も もしもの時に 上がれません 降りれません
では、自分が困ります。
最低限の階段昇降 歩行能力は、必須です。
これだけは、自分の身は自分で守る!! の条件になります。

道路の陥没 道路の凹凸 車いすでは 逃げられません。
弱者でも誰かが助けてくれるのを待っていたら 死ぬ危険があります。
日頃の心構えをこの日を忘れないことで 考えてください。
東日本の方だけでなく 西日本の方々も 


話を戻し、その後 夫と息子とも 電話もメールも通じず
何とか通じて息子を迎えに車を出すも 大渋滞
10分の道が 45分
やっとの思いで 叔母を残している家へ着き
夫は、というと 夜中の12時に やはり車で息子同乗で
道のルートだけ決めて 低速で夫の姿を探し探し行くも
会えるまでに何時間もかかり、家に戻りました。

その後も 電気水道ガスすべて使えず、どんなに苦しかったか。
計画停電 計画運休 間引き運転 
お米はない スーパー行くも 売り物がない おばを抱えて
大変な毎日でした


その時の思いを忘れないで 備えておくことを 今も心掛けて
今は、自分の股関節症の身体が思うにならず 避難生活は まず
無理だ
3.11の時 震度5強でもびくともせず 高所の物も何も落ちず
しっかりした 建物のマンションなので家の中は安心
でも、万が一 外出先で地震にあったら 私は、大丈夫じゃないと
思う。
これから先の課題の一つ
どうする私。


多くの御霊へ祈りを捧げます
今もご苦労されている方々に私のできること をします。

コロナで大変なことになっています。
心をしっかり持って 生きていきましょう💛
今 生きているものとして 精一杯生きましょう!!!




          『変形性股関節症に負けないでね!』

コメント
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