こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

アセった・・・

2011年05月01日 | 通勤・交通・旅行
さて、病理学会も終わり、少したまった仕事を片付けようと、通勤に使っているバッグを手に取り、身分証を探したら、ない

ネックストラップにつけているのだが、ストラップごと無い。
家の中のおもだったところを探したが、ない。

顔面蒼白

ここのところ、医学のあり方、病理医としての私自身のあり方、等々、いろいろ、悩んだのだが、結局は、現実社会における”ルール”のようなものに従っていないとどうしようもない。

学会中に無くしたのかとも思い、パシフィコ横浜にも電話したが、そのようなものは届いていない。とのこと。

うーむ、それはそうだろう。もし拾った人がよからぬことを考えるような輩であれば、医者の身分証など、悪いように使おうと思えばいくらでも使える。落としたら出てくるわけがないと思った方がよい。

困った・・・


あとは病院か。
学会前日の水曜日、どのような状況で病院を後にしたのかが、思い出せない。
帰る途中で、カバンの中にポスターがあるのを確認したのは覚えているのだが、身分証がそのときあったのかは覚えていない。
ノー天気なことに、その後3日間は学会で、全く気に留めずに過ごした。


気もそぞろに、車で病院に行くことに。
49年ぶりと言う、連休中に開催された通常国会での予算委員会の質疑をラジオで聞きいていたらあっという間に病院に着いた。話はそれるが、野党の皆さんも、いろんなことをよく考え、いいことを言っており、ぜひ、政府与党も意見を取り入れ頑張って欲しい。

警備員さんに、事情を説明して院内には入ることができた。
まずは、病理診断科にむかう。日直の技師さんに部屋を開けてもらうが、切り出し室の方。鏡検室は開けられない。仕方ないので、医局に向かうが、医師の身分証が無いと入れない。

鉄壁

セキュリティーがしっかりしていると言うことがどういうことか、しみじみと実感する。
うちの医局、盗難が無い、という話を再認識。妙に安心しつつ、日曜ということもあってか、誰も医局の前を通らない。
仕方なく、検査室に戻り、今日日直の医者でだれか知っている人がいないか探す。

いたいた

内線でPHSを呼び出すと、医局にいるとのこと。

「せんせー、ID忘れちゃったんで、なかから開けてもらえる?今、病理にいてこれから医局に行くので」
つとめて、平静を装う。
「いーですよー。」

無事、医局に入れた、ありがとー

しかし、これでは、まったく解決になっていない。
身分証は医局の私のデスクにあるのか?なかったら、どうする。

ドキドキしながら、デスクに到着、あってくれ、盗難ならともかく、紛失となると、譴責処分は免れまい

デスクの上にはない、

横の白衣をかけているキャビネットを開け、白衣のポケットを探る・・・
あったーーーー。よかったーーーー。滂沱の涙。



さて、こういうことは、人間である限りごくたまに経験することではあるが、実際こうやって経験すると、”絶対”というものが、いかに”相対的な尺度”によって決められているかがよくわかる。

最悪の場合、譴責処分を受け、職を失い、破滅し、家のローンも払えなくなりあげくのはては一家離散か、とまで思い詰め、ハンドルを握る手は震えていた。お腹も痛くなった。でも、いざ、見つかったとなると急に話は違ってくる。あって当たり前。

なに食わぬ顔で、休日出勤しているほかの医者とも、言葉を交わす。
「じゃ、また明日、よろしくお願いします」とか、
日直の技師さんにも「お疲れ様です、お先にー」なんて。

日常なんて、小さい出来事から、こんなふうに大きな出来事まで、様々に折り重なって進んでいく。
”そもそも”水曜日の帰りに忘れさえしなければ。ということだが・・・そのことが何にどう影響を与えたか。

考え出すときりがない。世の中なんでこんなに複雑なんだろう。